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【新妻編】
158 今宵の予定
しおりを挟む「……福、わざと言ったでしょ……!」
襖が閉じられ家光は怒りを滲ませた声を発する。
「さあ……? 何のことでしょうか……私には解り兼ねますね」
「あのねぇ……。振ちゃんはねえっ!」
愉快そうに澄ました顔で小首を傾げる春日局に、家光は眉を寄せ声を大にした。
――振ちゃんは私のことが好きなのよ……!?
好きな女が別の男に“今夜抱かれます”なんてはっきり聞かされたらショックでしょうが……!!
まだ友達としての情しかないが、それでもはっきりと好意を伝えてくれた振を傷付けたくはない。
そもそも将軍の房事を関係のない第三者に聞かせるとはどういうことだと、家光は憤慨していた。
「……振は……、家光様をお慕いしているのでしょう?」
「っ……!? 福、知ってたの!?」
春日局がにっこりと優美な笑みを浮かべると、家光は はっと目を見開く。
――福……! あなたはどこまで把握してるっていうのっ!? 恐ろしい人……!
振の気持ちを まさか春日局が知っているとは思わなかった。
解っていた上でさっきの発言だとしたら、春日局は中々の鬼畜である。
「……………………………………………………………………、それで今宵の事なのですが……」
問われた春日局は再び澄ました顔をしてから、要件を話し始めた。
「ぅをいっ。福っ! 何、今の間は……!」
――やっぱり、知ってたな……!
こういう所が本当、食えなくて嫌になる。
春日局からの返答は無いが、彼は恐らく把握済みなのだ。常に監視が付いているから当然と言えば当然なのだが(プライバシーなど皆無である)。
家光は心の中で『振ちゃん、私の義父がごめんね……』と謝罪したのだった。
「家光様。本日は湯浴みをされてから奥にて孝様と夕餉を共にして頂き、そのまま寝所へおいで下さい」
春日局は持っていた書付を開き、中身を読み上げる。
書付はこの後の予定が書かれていたようだ。
……午後の公務が終わった後、自由時間を経てから湯浴みの刻限であるが、その後夕食を摂るのが家光の常……。
基本的に夕餉は独りで摂っているが、傍らには正勝だったり、正盛だったり、重澄だったりが付き添ってくれていた。
誰かと夕餉を共にするのは上洛の旅以降、久しぶりではなかろうか。
独りで食べる夕餉も悪くはないが、誰かと食事をするのも また一興。
とはいえ、相手は孝。
……楽しめる気がしない。
家光は眉を顰めて声を張り上げていた。
「……福っ! 私っ、まだ心の準備が出来てないのっ。もう少し待って。あと一月位したら覚悟を決めるから……お願いっ!」
「……いえ。今宵は必ず、孝様とお過ごし頂きます」
家光が懇願するも春日局は眉一つ動かさず、涼しい顔のまま冷淡に言い放つ。
「福っ! 私がこんなにお願いしても駄目なの!?」
――福、わかってよ……! 今日はまだ辛くて無理だよ……!
家光は春日局に近寄り、彼の袖を強く引いて縋った。
……それでも春日局の顔色は変わることなく、彼は益々冷ややかな瞳で薄っすらと口の端を吊り上げる。
冷笑するようなその、表情……。
春日局は一体何を考えているのだろうか。
家光は突然向けられた冷たい笑みに目の奥がじわりと痛むのを感じた。
ところがどうやら、その笑みは家光に向けられたものでは無かったらしい。
「…………家光様。ご安心下さい。孝様にはよぉく言って聞かせて御座います。故に、家光様のご心配されるようなことは起こり得ません。孝様より謝罪する機会が欲しいとのことで、今宵の席を設けただけのことですよ」
「え」
……孝の所業を思い出し、憤っているのだろうか。いつも淡々とした春日局の語気が重く低い。
彼の言の葉には“よぉく”が強調されていた気がした。
家光に向けた笑みではなかったようで、彼女は目を瞬かせる。
……なんと、孝が家光に謝りたがっているらしい。
先週、家光に今宵のことを予告した日の昼間のことだ。
以前から春日局は、孝にどうしても謝罪する機会が欲しいと懇請されていたのだが、家光の仕事の関係もあり漸く目途が付いたのが その日であった。
確かに今週は忙しい一週間で、これといった出来事が、仕事以外は振に花を生けてもらって ほっこりしたという記憶しか家光にはない。
春日局も奥の仕事が忙しく、先週会ってから今の今までこうして座って話をする機会もなかったのだ。
「有り得ませんが万が一、家光様が恐怖するような事態になりました時には風鳥も仲裁に入りますし、外には正勝も控えておりますので。前回の時とは違った夜となりましょう」
春日局の瞳が先程の冷たい瞳と打って変わって、優し気に細められる。
「…………それ、信用して…………………………いいの…………よ、ね……?」
「? ……………………………………ふっ。……はい、家光様。私はいつでも貴女の味方ですよ……?」
訝し気に窺う家光に春日局は肩を竦めて、ふっと笑った。
「ぅ、嘘だぁ~」
「嘘とは心外ですね……」
「……福はさー、私のこと振り回し過ぎなんだよ。いっつも、私の事振り回しちゃってさ~、そんなことなら先週言ってくれればよかったじゃん。この一週間 私がどんな想いでいたと思ってるのよ……」
――勿体ぶっちゃってさ……! あ~あ、やんなっちゃう!
昔から春日局は基本的に優しいが、優しいだけの男では決してない。
家光を将軍にするために、何でもする冷酷さも持ち合わせているのだ。
例え家光本人が多少傷付いたとしても、徳川家が安泰ならそれでいい。
……そういう考えの持ち主である。
総ては家康との約束を果たすためなのだろう。可愛い愛娘をちょいちょい窮地に立たせるのは、さながら獅子の子落とし……。
付き合わされる方はたまったものではない。
“起こり得ない”“有り得ない”……と、二度も告げたのだ。春日局がここまで言うのなら信用してもいいかもしれない……。
……だが、しかし。
――もっと早く安心させて欲しかったわ……!
先週決まっていたならさっさと言ってくれれば良かったのだ。
この一週間“御渡りの日よ、来るな……!”と何度願ったと思っているのか。
家光は頭にきた腹いせに春日局の胸辺りを拳で少し強めに どんと叩いてやった。
(あ、胸板厚っ……!)
不意に触れた春日局の胸板が家光の拳を軽々と弾く。
春日局は衿が乱れてもびくともせず、涼しい顔をしていた。
旅の途中で見た事があるが、春日局の肉体は中々のもの。
――そういえば、福っていい身体してるんだよね……。
自分や正勝の年齢を鑑みれば、かなりの年齢の筈なのだが着痩せするタイプなのか……。
春日局が鍛えている姿を見たことはないが、これはあれだ。
……かなり作り込んでいる身体ではなかろうか。
現代ならイケオジ……と呼んでもいいかもしれない。
「それは申し訳ありませんでしたね。調整が中々終わらなかったものですから」
「何の調整……?」
家光の拳に乱れた衿を正しながら春日局は口角を上げたが、何のことか解らない家光は首を傾げていた。
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