逆転!? 大奥喪女びっち

みく

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【新妻編】

167 二つの条件

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 ……家光の小鼻がひくひくと微動している。


 目の前に迫る人物が誰だか解る最大の理由は……匂いである。
 頭を垂れ続ける人物に近付くにつれ、孝の使う香が芳しく、家光の鼻を擽った。

 ……悔しいが、孝は好い匂いがするのだ。
 甘く、華やかでその美しい顔面に相応しい芳香。

 くど過ぎず、一度嗅げば忘れられない男の香りは性的魅力に溢れている。
 香だけでは出ない香りだ……、孝本人の匂いと混ざって出来た匂いなのだろう。

 初夜の日に嫌という程嗅いだ匂いだが、あの日は酒の臭いの方がきつかったっけ……なんて家光は思い出し、孝本人だけの匂いと初夜の嫌な思い出が結び付いていないことに安堵した。

 正勝や振も好い匂いがするが匂いだけで誰であるか、恐らく家光には嗅ぎ分けが出来てしまう。

 心のイケメン手帳とやらには匂いまで記入されているようで、いざイケメン達から迫られると引いてしまう癖に、しっかり記憶しているなんて……。

 家光はそんな自分の性分に呆れていた。


 さらに匂いに加えて近付けばわかる、先程挙げた着物のセンスは目を見張るものがある。

 ……孝はお洒落なのだ。

 薄暗い中でも着物の一部に金糸がちらちらと輝いているのが見えるが、派手な金糸の刺繍を着こなせる男はそうはいないだろう。

 婚儀の日は婚礼衣裳だったから忘れていたが、元々はこういう服が似合う男であった。

 今は座礼で頭を下げて小さく見えるが、孝は高身長で、体躯も見目も良い美丈夫。
 将軍に輿入れなどせず自由気ままな貴族であれたならば、女に困ることなどないであろう色男である。


(犬になった気分だわ……、くそぅ……好い匂いがするっ!)


 ――だからって絆されないんだからねっ……!


 ……孝は見た目だけは家光のタイプに属するのだが、どうにも相性が悪すぎた。


「…………(来てやったけど……?)」


 頭を下げ続ける孝の前までやって来た家光は、黙って彼をただ見下ろす。


「…………」


 家光がやって来たことに気付いた孝はびくりと肩を一瞬揺らしたが、そのまま頭を下げ続け、一言も発さなかった。


「…………?」


 ――謝るんじゃなかったの……!?


 孝から何も言って来ないため、家光はいらっとして眉を顰め大奥側の襖に向かう。


 “孝さまなんて無視しときゃいいんですよ。”


 不意に月花の言葉が過り、家光は“完全に同意!”と孝を無視することにした。


 ……家光自分に謝罪したいと言ったのは孝である。

 こちらはそれに応じてやって来たのだから、先ずはそちらから何か言ってしかるべきだろう。


(……なんだこいつ……、謝る気があるのか……?)


 ――よもや、私から歩み寄れとか言うまいな……?


 こんな時、こちらが気遣ってやらねばならないのだろうか……なんてお人好しな家光は思ったが、こちらの方が立場が上である。

 正室だろうと、将軍であろうと、瑕疵がある側が誠意を示すのが先だろう。
 わざわざこちらから あの夜のことを持ち出すのも変な話だ。


(謝りたいんじゃなかったの? 意味わかんない……。さっさとご飯食べて寝よー……って……)


 ――あ、何もしなくていいとはいえ、今夜は孝と一緒に過ごさなきゃいけないんだっけ……。


「…………はぁー……」


 ……家光は深い溜息と共に御鈴廊下を後にした。


 孝と目を合わせていないからかは解らないが、本人を目の前にしても不思議と身体が震えることはなかった。









「……孝様も夕餉会場に参りましょう」


 家光が御鈴廊下から出て行くと、孝の肩に付添人の手が掛かる。
 云われて孝は漸く顔を上げた。


「…………ああ(家光……)」


 ――顔を見ることすら叶わなかった……、まあ、当たり前か……。


 自分はそれだけのこと彼女にしたのだ……。


 ……孝は静かに立ち上がる。


「それにしても……春日局様は意地の悪いお方ですね。あのような条件をお出しになるとは。どうやって謝罪をしろというのか……」

「……いや……、こういう機会を設けてくれたのだ。そう悪い方ではない」


 家光達の後に充分な距離を取った孝は、付添人の話に夕餉会場に向かいながら首を左右に振るう。

 孝の付添人が言うように、今日この場を設けてもらう為、孝は春日局に条件を二つ出されていた。




『一つ、何も訊かれずに……こちらが用意した御末(※)を独り、貴方付きにさせて頂きます。何かと役に立つ男ですから扱き使われると良いでしょう』


『一つ、家光様から孝様にお声が掛からない内は一言も発さないで頂きたい。貴方はそれ程のことをしたのです。どうかそのことをお忘れなきよう』




 ……以上二点の条件を呑めば家光に謝罪する席を設けてやるという約束を、孝は春日局に頼み込んだ末に漸く取り付けたのだ。


 その際 春日局は含み笑みを浮かべて蔑んだ目で孝に告げていたが、春日局は孝との約束を守り今宵の席を設けてくれている。


「孝様付きの御末だなんて……間者のようなものではないですか……!」


 付添人の男は憤りに顔を顰めた。

 ……孝の世話役は鷹司家から連れて来た者達ばかりなので、前者、一つ目の条件の意味は恐らく“監視を付けるぞ”という意味である。

 その条件を聞いた途端、世話役達は皆口々に文句を云っていたが、孝としては実家からの要望や小言、愚痴が減るため万々歳。

 いつもなんやかんやと指図してくる世話役達にはいい加減うんざりしていた処だ。

 自分付きの御末が居れば、常に徳川の監視がある中で鷹司家、そして公家からの徳川軽視発言など出来ようもない。


 家光に惚れてしまった今、孝は家光にも徳川にも悪感情などなかった。

 むしろ、家光は家のしがらみから救ってくれた菩薩か、観音か。はたまた天女ではなかろうか。


 ……と、ここまでは良かったのだが、後者……二つ目の条件はどうしたものか。


 頭を下げるのは自由だが、家光から問われない限り口を開くな……ということである。


 ……これでは謝罪が頭を下げること以外何も出来ない。


 家光が傷ついているのはわかるが、謝罪したい気持ちを伝えられないのはもどかしい。

 春日局にこってり絞られ、もう嫌という程自分の立場を理解させられた孝は、家光が自分のものだけになる女ではないということも受け入れ、溢れ出る独占欲をなんとか捨て去った。

 独占欲を捨てられなければ『離縁』。

 ……説教を受けた際に春日局から云われたことだが、そんなことを持ち出されては家光に惚れた孝は従うしかない。

 側室を取ることは将軍家にとって必要なことで、家光は個であるが、公の存在。

 そこに家光の意思を挟んではならないのだと春日局には耳に胼胝たこが出来る程聞かされた。

 家光が自分以外の男と身体を重ねると思うと腸が煮えくり返り、どうしようもなくなるが、それでも春日局が言うには、


貴方だけ・・・・がご正室なのです。唯一・・の家光様の伴侶なのですよ? それ以上に何を求めるというのです』


 “自分だけが、唯一の伴侶”


 ……こんな甘言を聞かされ、孝は承諾せざるを得なかった。


 家光は唯一の自分の伴侶……。
 自分は家光にとって唯一の正室。


 愛し合えなければ意味はないのかもしれないが、互いに対の存在となれるならば、それはそれで他の側室にはない絆が作れようもの。

 まだ完全に納得出来ていないが、“唯一”という言葉に孝は溜飲を下げるしかなかった。
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