逆転!? 大奥喪女びっち

みく

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【城下逃亡編】

257 雨の降る夜に②

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 満が家光から逃れるように俯き、立ち上がる。
 共に過ごせる最後の夜だ、丁寧に足を拭いてあげよう……、そう考え手拭いを手にして、畳に座る家光の前にたらいを寄せた。


「でも……帰りたくない」

「千代さん……、先におみ足を温めましょうか……」


 決して広くない土間に満が窮屈そうに身体を屈め、盥の湯に手拭いを浸けると、促されるままに家光は、昨夜と同じように土間に足を下ろし湯に浸す。寒さでかじかんだ足先に、温もりがじんわりと染み込んだ。
 数少ない触れ合いのチャンスタイム。
 なれどこれが最後だと思うと、いつもは言わない本音が勝手に零れてしまう。


「……わ、たし……、みちるさん……と、離れたくないです……」


 “みちるさんと離れたくない。”


 好き合っているのに、どうして離れなければならないの。
 どうしてあなたは別の女の所に輿入れするの。
 国の最高権力者だというのに、好きな男一人すら手に入れられない。

 ……屈む満の頭上に震えたようなか細い声が覆い被さった。
 満は顔を上げてくれず、白金の髪の旋毛つむじが見えるだけ。変装用のかつらも眼鏡も、濡れてしまったから既に取り払っている。
 自らの前でだけは素のままの姿を見せてくれる彼が、こんなにも愛おしいというのに、態度はなんてつれないのか……。


「……」


 ぽた、ぽた。
 絞った手拭いから湯が落ち、水音を立てた。
 家光の素足に大きな手がそっと触れて、湿った温かい手拭いが肌を滑ってゆく。

 満に触れられると温かい湯だけでは得られない熱が身体の芯に灯り、体温が上昇していくのがわかる。
 愛情と親切心から尽くしてくれているのだと理解しているが、毎晩こんな風にされては――。

 ……もっと触れてくれていいのに。

 そう思っても満は真摯に足の手入れをしてくれるのみで、それ以上触れてくることはない。


「……みちるさんは?」

「……」

「みちるさんは、私と離れても平気ですか……?」

「……」


 雨が屋根を打ち付けているというのに家光、自らの声とちゃぷちゃぷという水音だけを耳が拾う。
 問い掛けても満は黙ったまま、ひたすら足を温めながら洗ってくれていた。


「……っ、もう二度と会えないんですよ……? みちるさんはそれでも、いいんですか……?」


 ――私はみちるさんがいないと淋しくて、毎日泣いちゃいそうです……。


 彼の気持ちを尊重し、困らせるようなことは言いたくなかったが、一度口を衝いて出てしまったら止まらない。
 満は困っているのだろう、顔を上げないまま家光の主張を黙って聞き続け――そして、折角絞った手拭いを盥に落としてようやく顔を上げた。


「……、っ、いいわけ、ない……っ!」


 ……顔を上げた満の眉が苦し気に顰められている。
 満はそのまま、座る家光に飛び込むように抱きついてきた。


「ぇっ、み、ちるさん……?(へ? わ、わぁああああっ……♡♡??)」


 ――私、みちるさんに抱きしめられてるぅうううっ♡♡!?


 即座に家光はパニックに陥る。
 まさか、満が自らに飛び掛かってくるとは全く予想していなかった。


 (ああっ♡ みちるさんの好い匂いが……♡ 胸板あっつぅい……♡♡)


 硬い胸板に抱かれ、温もりと好い匂いが自らを包み込んでいる。
 どれだけこの瞬間を待ち望んでいたのだろう……と、一週間しか経っていないが、随分長い間待ったように思えた。

 満に包まれ、もうこのまま死んでもいい、好きな男に抱かれて死ねるのなら本望。
 この時ばかりは将軍だとか、まつりごとだとか、一切合切どうでもよくなった。
 半ば昇天し掛かり家光の目蓋が半分落ちる。
 ……その内満の吐息が耳に掛かった。


「……私があなたを前に、どれだけ我慢していたとお思いですか?」

「……え?」

「毎晩共寝をするなどと無茶を仰る、可愛いあなたのお願いを叶えるために、私がどれ程 苦汁を飲んだと思っているんですか……!」

「っ……、み、みちるさん……?(怒ってる……? 怒った顔もよき……♡)」


 耳を擽るような熱い吐息と共に低音で静かに声が紡がれ、どきりとしたのも束の間、急に両肩を捉まれ剥がされる。
 向かい合った満の眉は歪んでおり、口も引き結んで、苦々しい顔で咎めるような視線を向けてきた。
 吸い込まれそうな藍宝石ネオンブルーの瞳が真っ直ぐに家光を見つめている。

 普段柔和な表情の多い満の渋い顔も過ぎて、家光の目も瞬時に大きく見開かれ、思わず凝視してしまう。
 鋭さを孕む視線が少し怖い気もしたが、そんなことよりイケメンは怒った顔も美しい。
 彼のどんな表情でも、こうして見つめ合うだけで幸福を感じられるのだから、忘れないようにしっかりと目に焼き付けておかなければ。

 満の視線を受け止め、見返すこと僅か。
 満は“ふー”と一息深く息を吐いてから再び口を開いた。


「千代さん。あなたは女で、私は男です」

「へ? は、はい……そう、です、ね……?」


 ――知ってますよ……!


 家光は満が素敵な男性だということは既知であり、自らが女であるということもしっかり理解している。
 だから満とキスをしたいし、ハグもしたいし、それ以上もしたい。
 だけど満が望んでいないから手は出さないと決めた。

 改めて性別を強調され、家光の頭の中には疑問符が浮かぶ。
 何を当たり前のことを……と。

 ……満はまだ続きがあるのだろう、家光が瞬きを何度かしている間に、諦観したように少しだけ口角を上げた。


「世捨て人の私に、醜い劣情を抱かせた女性はあなたが初めてです。何度あなたで吐精したかわからない」

「は、はい……? 今、なん……(とせーってなんだ……?)」


 ――とせー……おっ、オットセイ……?


 いや、たぶん違うな。

 水族館のオットセイが「ハロー☆」と挨拶で手を挙げるポーズが浮かんだが、恐らく違うのだろうと思い、即妄想を掻き消す。
 満が何を言っているのか、これまで恋人が居たことの無い家光にすぐ理解できるはずもなく……、ただただ瞬きを繰り返した。


「……千代さん」

「はい……」

「口吸いをしても構いませんか?」


 頭が呆けた家光の肩に、顎に、満の指先が触れる。
 そっと上を向くように仕向けられ、満の身体が近付いたかと思ったがそうではなかった。
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