258 / 310
【城下逃亡編】
257 雨の降る夜に②
しおりを挟む満が家光から逃れるように俯き、立ち上がる。
共に過ごせる最後の夜だ、丁寧に足を拭いてあげよう……、そう考え手拭いを手にして、畳に座る家光の前に盥を寄せた。
「でも……帰りたくない」
「千代さん……、先におみ足を温めましょうか……」
決して広くない土間に満が窮屈そうに身体を屈め、盥の湯に手拭いを浸けると、促されるままに家光は、昨夜と同じように土間に足を下ろし湯に浸す。寒さでかじかんだ足先に、温もりがじんわりと染み込んだ。
数少ない触れ合いのチャンスタイム。
なれどこれが最後だと思うと、いつもは言わない本音が勝手に零れてしまう。
「……わ、たし……、みちるさん……と、離れたくないです……」
“みちるさんと離れたくない。”
好き合っているのに、どうして離れなければならないの。
どうしてあなたは別の女の所に輿入れするの。
国の最高権力者だというのに、好きな男一人すら手に入れられない。
……屈む満の頭上に震えたようなか細い声が覆い被さった。
満は顔を上げてくれず、白金の髪の旋毛が見えるだけ。変装用の鬘も眼鏡も、濡れてしまったから既に取り払っている。
自らの前でだけは素のままの姿を見せてくれる彼が、こんなにも愛おしいというのに、態度はなんてつれないのか……。
「……」
ぽた、ぽた。
絞った手拭いから湯が落ち、水音を立てた。
家光の素足に大きな手がそっと触れて、湿った温かい手拭いが肌を滑ってゆく。
満に触れられると温かい湯だけでは得られない熱が身体の芯に灯り、体温が上昇していくのがわかる。
愛情と親切心から尽くしてくれているのだと理解しているが、毎晩こんな風にされては――。
……もっと触れてくれていいのに。
そう思っても満は真摯に足の手入れをしてくれるのみで、それ以上触れてくることはない。
「……みちるさんは?」
「……」
「みちるさんは、私と離れても平気ですか……?」
「……」
雨が屋根を打ち付けているというのに家光、自らの声とちゃぷちゃぷという水音だけを耳が拾う。
問い掛けても満は黙ったまま、ひたすら足を温めながら洗ってくれていた。
「……っ、もう二度と会えないんですよ……? みちるさんはそれでも、いいんですか……?」
――私はみちるさんがいないと淋しくて、毎日泣いちゃいそうです……。
彼の気持ちを尊重し、困らせるようなことは言いたくなかったが、一度口を衝いて出てしまったら止まらない。
満は困っているのだろう、顔を上げないまま家光の主張を黙って聞き続け――そして、折角絞った手拭いを盥に落としてようやく顔を上げた。
「……、っ、いいわけ、ない……っ!」
……顔を上げた満の眉が苦し気に顰められている。
満はそのまま、座る家光に飛び込むように抱きついてきた。
「ぇっ、み、ちるさん……?(へ? わ、わぁああああっ……♡♡??)」
――私、みちるさんに抱きしめられてるぅうううっ♡♡!?
即座に家光はパニックに陥る。
まさか、満が自らに飛び掛かってくるとは全く予想していなかった。
(ああっ♡ みちるさんの好い匂いが……♡ 胸板あっつぅい……♡♡)
硬い胸板に抱かれ、温もりと好い匂いが自らを包み込んでいる。
どれだけこの瞬間を待ち望んでいたのだろう……と、一週間しか経っていないが、随分長い間待ったように思えた。
満に包まれ、もうこのまま死んでもいい、好きな男に抱かれて死ねるのなら本望。
この時ばかりは将軍だとか、政だとか、一切合切どうでもよくなった。
半ば昇天し掛かり家光の目蓋が半分落ちる。
……その内満の吐息が耳に掛かった。
「……私があなたを前に、どれだけ我慢していたとお思いですか?」
「……え?」
「毎晩共寝をするなどと無茶を仰る、可愛いあなたのお願いを叶えるために、私がどれ程 苦汁を飲んだと思っているんですか……!」
「っ……、み、みちるさん……?(怒ってる……? 怒った顔もよき……♡)」
耳を擽るような熱い吐息と共に低音で静かに声が紡がれ、どきりとしたのも束の間、急に両肩を捉まれ剥がされる。
向かい合った満の眉は歪んでおり、口も引き結んで、苦々しい顔で咎めるような視線を向けてきた。
吸い込まれそうな藍宝石の瞳が真っ直ぐに家光を見つめている。
普段柔和な表情の多い満の渋い顔も好過ぎて、家光の目も瞬時に大きく見開かれ、思わず凝視してしまう。
鋭さを孕む視線が少し怖い気もしたが、そんなことよりイケメンは怒った顔も美しい。
彼のどんな表情でも、こうして見つめ合うだけで幸福を感じられるのだから、忘れないようにしっかりと目に焼き付けておかなければ。
満の視線を受け止め、見返すこと僅か。
満は“ふー”と一息深く息を吐いてから再び口を開いた。
「千代さん。あなたは女で、私は男です」
「へ? は、はい……そう、です、ね……?」
――知ってますよ……!
家光は満が素敵な男性だということは既知であり、自らが女であるということもしっかり理解している。
だから満とキスをしたいし、ハグもしたいし、それ以上もしたい。
だけど満が望んでいないから手は出さないと決めた。
改めて性別を強調され、家光の頭の中には疑問符が浮かぶ。
何を当たり前のことを……と。
……満はまだ続きがあるのだろう、家光が瞬きを何度かしている間に、諦観したように少しだけ口角を上げた。
「世捨て人の私に、醜い劣情を抱かせた女性はあなたが初めてです。何度あなたで吐精したかわからない」
「は、はい……? 今、なん……(とせーってなんだ……?)」
――とせー……おっ、オットセイ……?
いや、たぶん違うな。
水族館のオットセイが「ハロー☆」と挨拶で手を挙げるポーズが浮かんだが、恐らく違うのだろうと思い、即妄想を掻き消す。
満が何を言っているのか、これまで恋人が居たことの無い家光にすぐ理解できるはずもなく……、ただただ瞬きを繰り返した。
「……千代さん」
「はい……」
「口吸いをしても構いませんか?」
頭が呆けた家光の肩に、顎に、満の指先が触れる。
そっと上を向くように仕向けられ、満の身体が近付いたかと思ったがそうではなかった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
残念女子高生、実は伝説の白猫族でした。
具なっしー
恋愛
高校2年生!葉山空が一妻多夫制の男女比が20:1の世界に召喚される話。そしてなんやかんやあって自分が伝説の存在だったことが判明して…て!そんなことしるかぁ!残念女子高生がイケメンに甘やかされながらマイペースにだらだら生きてついでに世界を救っちゃう話。シリアス嫌いです。
※表紙はAI画像です
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
男女比1:15の貞操逆転世界で高校生活(婚活)
大寒波
恋愛
日本で生活していた前世の記憶を持つ主人公、七瀬達也が日本によく似た貞操逆転世界に転生し、高校生活を楽しみながら婚活を頑張るお話。
この世界の法律では、男性は二十歳までに5人と結婚をしなければならない。(高校卒業時点は3人)
そんな法律があるなら、もういっそのこと高校在学中に5人と結婚しよう!となるのが今作の主人公である達也だ!
この世界の経済は基本的に女性のみで回っており、男性に求められることといえば子種、遺伝子だ。
前世の影響かはわからないが、日本屈指のHENTAIである達也は運よく遺伝子も最高ランクになった。
顔もイケメン!遺伝子も優秀!貴重な男!…と、驕らずに自分と関わった女性には少しでも幸せな気持ちを分かち合えるように努力しようと決意する。
どうせなら、WIN-WINの関係でありたいよね!
そうして、別居婚が主流なこの世界では珍しいみんなと同居することを、いや。ハーレムを目標に個性豊かなヒロイン達と織り成す学園ラブコメディがいま始まる!
主人公の通う学校では、少し貞操逆転の要素薄いかもです。男女比に寄っています。
外はその限りではありません。
カクヨムでも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる