逆転!? 大奥喪女びっち

みく

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【城下逃亡編】

272 帰り支度①

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「夜逃げって……。みちるさんに何があったんだろう……」

「さあ……。家光の正体を知って怖くて逃げた……とか? どうせ身分を偽ってたんだろ?」

「っ!? そんなわけない……! 私、自分の正体に嘘なんていてないし!」


 さらっと指摘され家光は頭を激しく左右に振る。
 千代という名前も前世の名前であるし、武家の当主であることも間違ってはいない。
 そう……。
 意図的に詳細を隠して発言をしなかっただけで、避妊薬に関して以外嘘は吐いていないのである。
 満も細かく訊いてこなかったことに加え、身バレするようなへまも犯していないから、彼が家光の素性を知っているとは考えにくい。

 つまり満が逃げた理由がさっぱりわからない。
 書置きに記された通り……ということは脳が認識するのを拒否しているから却下だ。


「そうなんか。まあ、家光は嘘が苦手そうだもんなあ……」

「へ? あ、そう見える……?」

「ああ。あんたって一見ふざけてるように見えていつも正直でくそ真面目だしな。君主としてはどうかと思うけど、俺はあんたのそういうところ好きだよ」

「な!? ちょっ……す、好きって……、急になに言ってくれちゃってんのょぅ……」


 唐突な風鳥の告白に家光の頬は熱くなる。
 満のことを考えているのに、いちいち風鳥が邪魔をしてくるから思考が上手く纏まらないではないか。


 ――私はみちるさんが好きなのに、急に好きとか言われたら照れちゃうじゃんっ!!


 何故今日に限ってこんなにぐいぐい迫って来るのだろう……。
 相変わらず見つめてくる瞳には熱が宿り、声も優しい。心なしか風鳥の頬もほんのりと色付いている気がする。

 好きな男は満ただ一人で風鳥はただの護衛。
 わかっているのに照れてしまうのははっきりと好意を告げられたからだ。言われ慣れていない所為で動揺しているだけ――。

 気まずさに俯き、腹の前で両人差し指を擦り合わせるようにくるくると弄ぶ。
 どうしてか家光の鼓動はとくとくと逸った。


「……ぃ」

「ん? なに……?」


 風鳥の大きな手が頭にのせられ、優しく撫でられる。
 やはり今日の風鳥はいつもの倍以上優しい気がした。


「そろそろ城に戻ろうぜ。っと、まずは着替えだな……」


 すぐさま彼は隠密であるが故の慣れた手付きで、勝手知ったるように抽斗ひきだしを開けて帰り支度を始める。

 ……持ち物はそう多くない。
 身に付けてきた小袖と襦袢とふんどし風パンツに小さな手提げ袋、今着ている浴衣。それに満が買ってくれた小袖が二枚と、揃いの湯呑くらいか。


「……これ着て帰るか。こっちは……あいつに贈られた小袖は置いてくか?」

「どうして?」

「どうしてって……品質もいまいちだし、城に行けばいくらでも新品があるだろ?」


 抽斗から取り出し手渡された小袖は城を出る際に身に付けていたもの。他の二枚は満から贈られた小袖であるが、並べてみると布地の質が一目瞭然。
 城から着てきた小袖は色彩も鮮やかながら、丈夫な布地で作られており草臥くたびれた様子は無い。町娘風に作られてはいるものの、見る人が見れば一級品だとわかる逸品。
 対して贈られた小袖の内一枚は品質は悪くないのだが、町人が背伸びすれば買える程度の品物。ずっと抽斗に仕舞われていたのだろう、最近ではあまり見かけない模様が描かれている。
 もう一枚も中古品であるため少々痛みが見えた。

 どちらもデザイン性は悪くないが、将軍が着るには些か安っぽい作りである。
 御用商人が来る度秘かに勉強している風鳥には、それくらいの見分けがつくのだ。


「……持って帰りたいって言ったらどうする?」

「どうするも何もあんたが望むなら持って帰るけどさ。もう袖は通さないだろ? まあ家光は何着ても似合うと思うけどな」


 家光の発言に持ち帰りたいのだと察した風鳥は、風呂敷を広げて小袖を仕舞っていく。
 城に居れば世話係が着物を選ぶことが多いのもあるが、明らかな型落ち品を将軍に着せることはまずない。
 だが好いた相手からの贈り物を粗末にしたくない気持ちはわかる。
 ……今はまだ満に捨てられたことを理解できていないようだし――と、風鳥の風呂敷を結ぶ手に力がこもった。


 ――こんなもの贈っておいて捨てるとはなんて奴だ。


 一般的に男が女に着物を贈るのは好意の表れである。
 型落ち品とはいえ、出逢ってすぐの女に小袖を二枚も贈るのはどう考えてもおかしい。
 一枚いくらで融通してもらったのかは知らないが、庶民なら二枚合わせて二月近くは食べていけるくらいの値段はしただろう。

 女である月花や高い地位のある春日局は気付かないだろうが、庶民的感覚を持つ風鳥にはわかるのだ。
 長屋に住む青年が背伸びするにしてもし過ぎで、たった一晩抱くための貢ぎ物としては高すぎる。
 だが遊郭も知っているのならわからなくもないわけで……。


「あ……、そ、そっか。それもそうだね……」


 風鳥が満について思索しているうちに、畳まれた小袖を抱きしめた家光の瞳に再び涙が滲む。
 ……“何着ても似合う”という褒め言葉は届かなかったようだ。


「家光……、泣くなよ……」

「っ、な、泣いてないもん……ぅぅ……ぅえっ……」

「泣いてる」

「ぅぅ……」


 捨てられたという事実が徐々に腑に落ちて涙が止まらない。
 風鳥に抱き寄せられ、頭を撫で慰めてくれたが暫く泣き止むことができなかった。


「……とりあえずここを出よう。ここに居るとまた誰が訪ねてくるかわからない」

「ぅっ、ぅぇっ……。け、けどみちるさんが戻ってくるかもしれないし……」


 ……漸く鼻を啜るだけに落ち着いてきたものの、未だ事実を全て受け入れられていない家光の頭の中は混乱を極める。

 満はきっと何か理由があって自らを置いて出て行かざるを得なかった。だから今日の夕方にでも、いつものようにここに戻って来る。
 あんなにも互いに求め合い、愛し合ったのだ。
 彼が戻って来た時、私が居なかったら心配するに決まって――、そんな都合の良い思案は直後に掻き消されてしまう。


「……もうここには戻って来ないって。あんたは捨てられたんだよ」

「捨て……ぅ……。そ、そんなはっきり言わなくてもいいじゃない……ぅっ、うえぇっ!!」


 ――何で傷口に塩を塗るようなこと言うのよおっ……!!


 風鳥の首が左右に振れ、釘を刺すようにはっきりと指摘された。また勝手に涙が滲み、眉間に皺を寄せる。
 苛立った家光の拳が抗議するように風鳥の胸を叩き、それを彼は静かに受け止めた。

 ……満に正体を明かすことが出来なかった。

 自らは将軍であり、既婚。正室もいて既に側室までいる身の上。
 黙っていたことを許してくれるのならば、また、受け入れてくれるのであれば満も側室になって欲しい。
 正室には立場上どうしても出来ないが、満以外と褥を共にはしないと誓うことはできる。

 だから。
 お願い。
 みちるさん、愛しているの。

 ……もう、伝えることが出来ない。
 嫌われることも覚悟して告白しようと思っていたのに。
 まさか満が消えてしまうとは――。
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