273 / 310
【城下逃亡編】
272 帰り支度①
しおりを挟む「夜逃げって……。みちるさんに何があったんだろう……」
「さあ……。家光の正体を知って怖くて逃げた……とか? どうせ身分を偽ってたんだろ?」
「っ!? そんなわけない……! 私、自分の正体に嘘なんて吐いてないし!」
さらっと指摘され家光は頭を激しく左右に振る。
千代という名前も前世の名前であるし、武家の当主であることも間違ってはいない。
そう……。
意図的に詳細を隠して発言をしなかっただけで、避妊薬に関して以外嘘は吐いていないのである。
満も細かく訊いてこなかったことに加え、身バレするようなへまも犯していないから、彼が家光の素性を知っているとは考えにくい。
つまり満が逃げた理由がさっぱりわからない。
書置きに記された通り……ということは脳が認識するのを拒否しているから却下だ。
「そうなんか。まあ、家光は嘘が苦手そうだもんなあ……」
「へ? あ、そう見える……?」
「ああ。あんたって一見ふざけてるように見えていつも正直でくそ真面目だしな。君主としてはどうかと思うけど、俺はあんたのそういうところ好きだよ」
「な!? ちょっ……す、好きって……、急になに言ってくれちゃってんのょぅ……」
唐突な風鳥の告白に家光の頬は熱くなる。
満のことを考えているのに、いちいち風鳥が邪魔をしてくるから思考が上手く纏まらないではないか。
――私はみちるさんが好きなのに、急に好きとか言われたら照れちゃうじゃんっ!!
何故今日に限ってこんなにぐいぐい迫って来るのだろう……。
相変わらず見つめてくる瞳には熱が宿り、声も優しい。心なしか風鳥の頬もほんのりと色付いている気がする。
好きな男は満ただ一人で風鳥はただの護衛。
わかっているのに照れてしまうのははっきりと好意を告げられたからだ。言われ慣れていない所為で動揺しているだけ――。
気まずさに俯き、腹の前で両人差し指を擦り合わせるようにくるくると弄ぶ。
どうしてか家光の鼓動はとくとくと逸った。
「……ぃ」
「ん? なに……?」
風鳥の大きな手が頭にのせられ、優しく撫でられる。
やはり今日の風鳥はいつもの倍以上優しい気がした。
「そろそろ城に戻ろうぜ。っと、まずは着替えだな……」
すぐさま彼は隠密であるが故の慣れた手付きで、勝手知ったるように抽斗を開けて帰り支度を始める。
……持ち物はそう多くない。
身に付けてきた小袖と襦袢と褌風パンツに小さな手提げ袋、今着ている浴衣。それに満が買ってくれた小袖が二枚と、揃いの湯呑くらいか。
「……これ着て帰るか。こっちは……あいつに贈られた小袖は置いてくか?」
「どうして?」
「どうしてって……品質もいまいちだし、城に行けばいくらでも新品があるだろ?」
抽斗から取り出し手渡された小袖は城を出る際に身に付けていたもの。他の二枚は満から贈られた小袖であるが、並べてみると布地の質が一目瞭然。
城から着てきた小袖は色彩も鮮やかながら、丈夫な布地で作られており草臥れた様子は無い。町娘風に作られてはいるものの、見る人が見れば一級品だとわかる逸品。
対して贈られた小袖の内一枚は品質は悪くないのだが、町人が背伸びすれば買える程度の品物。ずっと抽斗に仕舞われていたのだろう、最近ではあまり見かけない模様が描かれている。
もう一枚も中古品であるため少々痛みが見えた。
どちらもデザイン性は悪くないが、将軍が着るには些か安っぽい作りである。
御用商人が来る度秘かに勉強している風鳥には、それくらいの見分けがつくのだ。
「……持って帰りたいって言ったらどうする?」
「どうするも何もあんたが望むなら持って帰るけどさ。もう袖は通さないだろ? まあ家光は何着ても似合うと思うけどな」
家光の発言に持ち帰りたいのだと察した風鳥は、風呂敷を広げて小袖を仕舞っていく。
城に居れば世話係が着物を選ぶことが多いのもあるが、明らかな型落ち品を将軍に着せることはまずない。
だが好いた相手からの贈り物を粗末にしたくない気持ちはわかる。
……今はまだ満に捨てられたことを理解できていないようだし――と、風鳥の風呂敷を結ぶ手に力がこもった。
――こんなもの贈っておいて捨てるとはなんて奴だ。
一般的に男が女に着物を贈るのは好意の表れである。
型落ち品とはいえ、出逢ってすぐの女に小袖を二枚も贈るのはどう考えてもおかしい。
一枚いくらで融通してもらったのかは知らないが、庶民なら二枚合わせて二月近くは食べていけるくらいの値段はしただろう。
女である月花や高い地位のある春日局は気付かないだろうが、庶民的感覚を持つ風鳥にはわかるのだ。
長屋に住む青年が背伸びするにしてもし過ぎで、たった一晩抱くための貢ぎ物としては高すぎる。
だが遊郭も知っているのならわからなくもないわけで……。
「あ……、そ、そっか。それもそうだね……」
風鳥が満について思索しているうちに、畳まれた小袖を抱きしめた家光の瞳に再び涙が滲む。
……“何着ても似合う”という褒め言葉は届かなかったようだ。
「家光……、泣くなよ……」
「っ、な、泣いてないもん……ぅぅ……ぅえっ……」
「泣いてる」
「ぅぅ……」
捨てられたという事実が徐々に腑に落ちて涙が止まらない。
風鳥に抱き寄せられ、頭を撫で慰めてくれたが暫く泣き止むことができなかった。
「……とりあえずここを出よう。ここに居るとまた誰が訪ねてくるかわからない」
「ぅっ、ぅぇっ……。け、けどみちるさんが戻ってくるかもしれないし……」
……漸く鼻を啜るだけに落ち着いてきたものの、未だ事実を全て受け入れられていない家光の頭の中は混乱を極める。
満はきっと何か理由があって自らを置いて出て行かざるを得なかった。だから今日の夕方にでも、いつものようにここに戻って来る。
あんなにも互いに求め合い、愛し合ったのだ。
彼が戻って来た時、私が居なかったら心配するに決まって――、そんな都合の良い思案は直後に掻き消されてしまう。
「……もうここには戻って来ないって。あんたは捨てられたんだよ」
「捨て……ぅ……。そ、そんなはっきり言わなくてもいいじゃない……ぅっ、うえぇっ!!」
――何で傷口に塩を塗るようなこと言うのよおっ……!!
風鳥の首が左右に振れ、釘を刺すようにはっきりと指摘された。また勝手に涙が滲み、眉間に皺を寄せる。
苛立った家光の拳が抗議するように風鳥の胸を叩き、それを彼は静かに受け止めた。
……満に正体を明かすことが出来なかった。
自らは将軍であり、既婚。正室もいて既に側室までいる身の上。
黙っていたことを許してくれるのならば、また、受け入れてくれるのであれば満も側室になって欲しい。
正室には立場上どうしても出来ないが、満以外と褥を共にはしないと誓うことはできる。
だから。
お願い。
みちるさん、愛しているの。
……もう、伝えることが出来ない。
嫌われることも覚悟して告白しようと思っていたのに。
まさか満が消えてしまうとは――。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
残念女子高生、実は伝説の白猫族でした。
具なっしー
恋愛
高校2年生!葉山空が一妻多夫制の男女比が20:1の世界に召喚される話。そしてなんやかんやあって自分が伝説の存在だったことが判明して…て!そんなことしるかぁ!残念女子高生がイケメンに甘やかされながらマイペースにだらだら生きてついでに世界を救っちゃう話。シリアス嫌いです。
※表紙はAI画像です
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
男女比1:15の貞操逆転世界で高校生活(婚活)
大寒波
恋愛
日本で生活していた前世の記憶を持つ主人公、七瀬達也が日本によく似た貞操逆転世界に転生し、高校生活を楽しみながら婚活を頑張るお話。
この世界の法律では、男性は二十歳までに5人と結婚をしなければならない。(高校卒業時点は3人)
そんな法律があるなら、もういっそのこと高校在学中に5人と結婚しよう!となるのが今作の主人公である達也だ!
この世界の経済は基本的に女性のみで回っており、男性に求められることといえば子種、遺伝子だ。
前世の影響かはわからないが、日本屈指のHENTAIである達也は運よく遺伝子も最高ランクになった。
顔もイケメン!遺伝子も優秀!貴重な男!…と、驕らずに自分と関わった女性には少しでも幸せな気持ちを分かち合えるように努力しようと決意する。
どうせなら、WIN-WINの関係でありたいよね!
そうして、別居婚が主流なこの世界では珍しいみんなと同居することを、いや。ハーレムを目標に個性豊かなヒロイン達と織り成す学園ラブコメディがいま始まる!
主人公の通う学校では、少し貞操逆転の要素薄いかもです。男女比に寄っています。
外はその限りではありません。
カクヨムでも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる