Formalisme──A Priori

朝倉志月

文字の大きさ
上 下
45 / 51
立冬

5.

しおりを挟む
 最初に会った時のように、肩肘張って、傲然と、胸を張って、背を伸ばして、一歩踏み出す。

「待て‼」

 一瞬で体が反転するほどの勢いで、腕を引かれた。それでも、力任せに見えて、こんな時も片桐が引っ張ったのは、利き腕を避けた左側。

 不覚にも、弾みで見開いた目から水の粒が転げ落ちた。

「放せよ!」

 こんな、クソほど高いプライドで、誰よりも卑屈に我が身を投げ出して、他者を守る役を、それを美事に演じ抜いている奴のために、舞台の上の演目の美しさだけを目にする観客でいてやることもできなかった。俺がしたのは、無遠慮に舞台裏を引っ掻き回すことだけだ。

「違う‼ そうじゃない」

 焦った声を出す片桐の腕を反射的に振り払って、駈け出そうとした。が、片桐の手は離れない。長いリーチで力任せに引き戻され、勢い余って顔から地面に突っ込みそうなところに、俺と地面の間に身体を突っ込んできた片桐の胸に受け止められた。

「……っ」

 背中と肩を強かに地面に打ち付けた片桐が顔を歪める。

「ちょっと! 大丈夫かよ⁉」

「大丈夫じゃあ、ない」

 呻くような片桐の声に、身体を起こそうとしたら、片桐の腕が強く後頭部を押さえ込んだ。

「でも、放したら……もっと、大丈夫じゃ、なくなる」

 端正な顔を顰めながらも、俺を抱き込む腕を弛めずに起き上がろうとするものだから、腰と背を反らす形になって苦しい。

「ちょっと! 痛いって」

 片桐は起き上がるのを諦めて、再び地面に転がったが、腕の力は少しも緩まない。

 二人重なったまま地べたに転がって、まだ暗い空を見ながら、どうにも締まらない。

「……苦しい………助けてくれ」

 息が抜けるような声量だったが、滑舌の正確さに、確かに聞き取れた。

「え、ちょっと、どっか打った? 見えないから放せって」

 片桐は力任せに俺を締め付けたまま、首を左右に振る。

「……行かないで、くれ……」

「へ……?」

 間抜けな声しか出なかった。

「一緒にいてくれ、とは言わない。でも、行ってしまわないでくれ」

「おい、あんた、本当どこを打ったんだ?」

 片桐は、さらに腕に力を入れた。ポケットからスマホを出そうとした不自然な姿勢で、背骨が折れそうになる。

「ちょ、せ、背骨」

 俺の焦った声がやっと耳に入ったのか、ほんの少しだけ腕の力を弛めた。

「お願い、頼むからもう一声弛めて。苦しい」

 片桐は腕の囲いは解かずに、片桐は慎重に力を弛めた。俺が身体を起こすのと呼吸を合わせるように、片桐も上半身を起こす。

「どうしたんだよ、あんた」

 ようやく身体を起こして、膝を突いたまま、至近距離の片桐の顔を覗き込んだ。片桐は咎められたような目をすると、視線を落としてうなだれた。

「おまえが、欲しい。売り買いじゃなくて、おまえに、いて、ほしいんだ」

 片桐は、俺の肩に頭を落としたが、そのままそっと、両手を離した。

「……いいよ」
しおりを挟む

処理中です...