Formalisme──A Priori

朝倉志月

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立冬

8*.

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 片桐も、外から入って来たままの恰好で、弛んでいるのは、さっき俺に引っ張られたネクタイだけだった。それでも、乾き切った喉を潤すように俺の口から啜り上げた。

 意識を吸い取られるような錯覚に陥る。

 身体の力が抜けて、がくがく揺れる手で片桐のぴしりと整ったレイペルを握り潰した。

 片桐は両腕で俺の腰と背中をしっかり支えながら、時計を外し、サイドボードに置くと、俺をベッドの上に横たえた。

 それからまた口を吸われてぼうっとしていると、片桐の口が顎から喉へと降りて、襟に掛かった。

 片桐はきちんと結び目に手を添えて丁寧に弛めてから、襟を立ててするりと抜いた。ぷつり、ぷつりとひとつずつボタンを外しながら下に降りていく。何だか、身の置き所がない。

 胸板を探られるのが居たたまれずに、身体を左右に捩ると、その隙にシャツの片腕を抜き取られた。

 肌が空気に当たってひやっするのに身を竦ませると、片桐は器用に俺の身体を浮かせて、敷いているベッドカバーを剥いだ。厳しく糊の利いた冷たいシーツに余計に体が震えるが、臍の辺りまで口を落とされる。

 続けようとする片桐の頭を押し戻し、きっちりシーツで防御してやった。

「また、俺だけかよ? いい加減ずるくね?」

 不覚にも、目が水っぽくなった。

 顔を反らして目元を手で隠したけれど、馬鹿な言葉を口にした後悔で、首筋から頬がかっと熱くなった。

 筋でも違えそうな角度で首を押し戻された片桐は、一瞬真顔に戻ったが、ふっと目だけで笑って身体を起こすと、少し角度を付けて横顔を見せて、自分のネクタイの結び目に、人差し指と中指を差し込んで、シュッと絹の音を立てて、解いた。

 その指先が何とも優雅で、匂い立つように艶やかで、もうシーツの上に転がされているのに、眩暈がした。

 片桐は一気にネクタイを襟から引き抜くと、床に落とした。上着とベストはそのままに、ストイックに留まったシャツのボタンを外していく指先が鮮やか過ぎて、手を出そうという気にすらならず、二つ、三つとボタンが外れていくのをただ眺めていた。

 今まで決して見せられなかった素肌に、目が吸い込まれる。

 片桐は、口角を上げて俺の視線を眼差しで絡め取ると、俺の手を取ってはだけた喉元に当てた。温かい。いや───

(───熱い)

 体温なんか無いような、気取った様子を決して崩さなかった片桐が俺に開けた喉元を晒して見せて、俺に触れることを許している。どうして良いのかわからないのに、奥に滑り込む手を止められなかった。

 両手をシャツの、襟から中に入れて、片桐の背中にまわして首筋に齧り付くと、改めて正面から抱き寄せられた。

 息が苦しい。腕が強過ぎて、血の巡りがおかしくなっているのかもしれない。多分、きつく締められ過ぎているのだろう。

 顔を見せられなくて、片桐の肩に、目を押し付けた。身体の力が全部目から出て行っているのかもしれない。一瞬硬直したか片桐は俺の顔を見ようとしたのかもしれないが、断固、見せるわけにはいかない。諦めた片桐は俺の後ろ頭を持ってぎゅっと自分に押し付けた。

 片桐はそのまま俺を離さなかったけれども、下からしがみ付いていた俺が片桐のワイシャツの肩口を濡らしたことに気が付いて、俺の腕を外して顔を見ようとした。

(嫌だ)

 涙腺がしっかりするまでは、絶対に離さない。爪まで立てて齧りついたのに、片桐は無理矢理引き剥がすと、俺の頭を上に向けて口を吸った。

 頭がぼうっとして、全身の力が抜けた。片桐が身体を浮かせて上着を肩から滑り落とし、ついでに三つ揃えのベストも床に落として、ワイシャツだけになった。身体の線を覆うスーツがなくなってシャツだけになっても、肩の線がかしっと鋭角で、本当にどこまでも整っているのだな、と目が離れない。その肩に、俺の付けた涙染みがはっきり浮かび上がる。

 思わず目を反らした顎を再び引き戻されると、気づかわし気な眼差しがまっすくに俺を見ていた。

(もう、駄目だ)

 どんな抵抗も、できはしない。俺はもう一度抱き締められると、力が抜けて、全面降伏しかけた。

───違う。

 拳を、片桐の心臓の上に当てて、押し戻すように力を入れる───力なんか、入らなかったけれど。

「優しくしろなんて、言ってない。
 あんたの我儘なところ、見せろって言ってんの」
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