28歳 喪女な私の愛され開発生活

甘噛屋

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第一章 愛される前の準備

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 「はぁー…」


 これでもかというほどに深いため息が出てくる。
 もう、幸せが逃げるとかそんなレベルの物ではないくらい深く大きなため息。


 いつもよりも2本も早い電車に乗れたのは、昨夜の事があってよく眠れなかったから。

 しかも、後で気付いたのは汚れたシャツとキャミソールが入った紙袋をあのイケメン部長がいた部署に忘れてきてしまった。

 無理矢理にでも恋愛経験を積んでおくべきだった。チャンスを物に出来ないでいた大学時代の自分に喝を入れてやりたい。


 普段なら寄らないコーヒーショップに入って、Mサイズのブラックコーヒーを頼む。

 こんなに早く出社する事なんてないけど、たまには良いかもしれない。

 コーヒーとパンの焼ける匂いに、いつもよりも清々しく感じて少しだけ気分が上昇した。


 「はぁ…出会いがもう少しましなら、私の印象ももう少し違ったかもなぁー…にしても、稀に見るイケメンだったな……あーっと、神崎だっけ?」

 「はい。神崎です」

 「あ、良かった。当たって、た…」

 「おはようございます、飯塚さん。あなたもここにはよく来るんですか?」


 背後から聞こえた甘いベルベットボイス。

 昨日も思ったけれど、この人の声は耳に響くとやばい。

 少し見上げる位置にある顔と、少しラフなワイシャツ姿で紺のストライプのパンツがよく似合う、イケメン・神崎部長。

 まさか、あんな事があった翌日の朝まであなたの事で頭がいっぱいになって夜も眠れずにここに来たんです…だなんて言えるわけもなく。

 あまりのパニックにあわあわしていると、出来上がった私と自分の分のコーヒーを持った神崎部長に眩しい程のきょとん顏で見つめられていた。

 慌ててコーヒーを受け取ろうとした所をスマートにかわされ、笑顔で窓際の小さなテーブルに促された。



 「それにしても、昨日といい今日といい、偶然が重なりますね」

 「はは、そう…ですね」


 笑えねぇーよ、ちくしょう。

 どんな顔してりゃいいんだ…昨日の今日で余裕がある程の経験値はない!
 何度だって言うけれど、私は恋愛経験ゼロなんだ!


 それなのに、余裕綽々、昨日の事なんてどこ吹く風のイケメン・神崎部長はにっこり笑って湯気の立つコーヒーに口を付けた。

 若干眉間にシワが寄った気がするけど、気のせいかな?


 「飯塚さんは朝は良くここに?」

 「え、あ。いえ…今日はたまたま」


 あなたのせいで寝不足です。なんて言えねぇーわ。


 「そうですか…」

 「?」


 少しだけ眉が下がって微笑された。

 普段はギリギリまで寝てるのがバレたかな…

 でも、どんな姿でもやっぱりカッコ良いんだなぁ…

 容姿が良い男の人は何をしても決まってしまうのは世のルールなんだろうか。


 「あぁ、そうだ。飯塚さん、今日の夜予定は?」

 「いえ…夜は特に」


 明日は土曜日だから、録り貯めたアニメと買い溜めた漫画を読み耽ろうかと…とは言えない。



 何を隠そう、私は…28歳処女のアニメと漫画をこよなく愛する正真正銘の喪女である。

 自慢じゃないが、集めた漫画の為に1SLDKに引越したくらいだ。

 そこも手狭になって来たら考えものだが、今の所うまく収まっているから、問題はないと思う。

 そーいえば、『好きって言います』の最新刊今日発売だなぁ。買って帰らないと。


 「でしたら、今日食事でも如何ですか?」

 「そうですね。良いと思います」


 そうなんだよ。何が良いって、主人公のヒロインが可愛い!

 恋愛経験がなくて人付き合いが苦手で、どうしても素直に気持ちを伝えられないんだけど、前巻の最後にやっと好きだって伝えてさぁ。

 新刊の予告でお好み焼きが好きなヒロインがイタリアンに行くんだよ!

 頑張ってデートっぽくしたくってさぁー。
 好きじゃないスカートはいたり、髪の毛アレンジ頑張ったり。


 「良かった。飯塚さん、イタリアンはお好きですか?美味しい店を知っているんです」

 「イタリアン、良いですよね。ほんと」

 「では、今日の仕事終わりに迎えに行きますね!」


 そうそう、デートって言えば迎え…え、今日の仕事終わり?

 イタリアン? えぇ?!


 「それでは、また後で」と、渋く爽やかな笑顔で席を離れた神崎部長の背中を見送って、湯気の出るコーヒーに映った自分を見つめる。

 えーと、今日の夜の予定を聞かれて、何もないって答えたら食事の話になって…イタリアンは好きかと聞かれて、仕事終わりに迎え…






 「それ、デートじゃないの」

 「え、やっぱり? これが俗に言う、デートに誘われたってやつなの?」

 「俗に言うも何も、あっさりスマートにデートに誘われてんじゃない」


 お昼休み、待ち合わせをしていた杏奈と近くの定食屋に入る。

 ワンコインでボリュームたっぷり、味も申し分ないここは、入社当時から私と杏奈の行きつけ。

 食べたいと言ったメニューを出してくれるほどの常連にもなれたので、ここ以外でお昼はあまり食べた事がない。

 その杏奈は生姜焼き定食、私は中華丼定食で今朝の出来事を説明していた。

 やっぱり、人生で初めてデートに誘われたのか…私は。


 「なんて顔してんのよ」

 「あてっ。いや、だってね、杏奈姉さん」

 「丁度いいじゃない! 免疫つける為にも、あんなハイレベルそうそう居ないし、ご飯だけでも経験して少しくらい恋愛偏差値上げといたら?」


 なんて呑気に言ってますけどね、そんな簡単なもんじゃないんですよ!

 軽いため息の後、最後の一口に残しておいたうずらの卵を食べた。




 昼休み明け、またも使えない資料を持ってくる高木君にイライラしつつ、爆発一歩手前の感情を抑え込みながら仕事をこなしていく。

 でも、頑張ったところで悪い事は続くようで。


 「先輩、春コスメの決裁また否認です」

 「はぁあっ?!」

 「せ、せんぱーーい! デ、データ消えちゃってますっ?!」

 「ふぁっ?! どれよ!」

 「飯塚さーん、高木くんどこ行ったか分かる?」

 「え、何処って、整理頼みましたよ。部署倉庫の」

 「あっれー? 居なかったんだけど…おかしいなぁ」


 あんのやろー!

 とにかく、否決の分は後回しでデータどうにかしないと!

 消えたのどれだろ?
 パソコンの前で青くなってる後輩の後ろから、除き混むようにしてディスプレイを見る。


 「え、待って…これ何で元から消えてるの?」

 「分かりません…私が見た時には見当たらなくって」

 「小田ちゃん見たのいつ?」

 「無くなる前は午前中のミーティング前です。その後印刷してから今までは1度も…」

 「…仕方ない。印刷まだある? あるならまたコピるから、小田ちゃんは否決分の印刷と理由まとめて部長に意見もらってきて!」


 あぁー!!

 何でこんな時に高木までいないのよ!

 あいつを探している暇なんてない!

 指示出しして慌ただしくなった部署内で、部長も新人もワチャワチャと声を上げて進捗を報告し合う。


 小田ちゃんは、シュレッダー順番待ちの大量の資料の中からデータ分だけを探して持って来てくれた。

 小田 華蓮 26歳。

 うちには中途採用で入社してきた女の子。

 小さくてふわふわしているのでテッキリそんな感じの子だと思っていたが、いい意味で予想を裏切ってくれた。

 資料作りも速いし丁寧、一度やると決めたら最後まで絶対に手を抜かないし、中途半端に手を出そうものなら「俺の肉に手を出すな!」と言わんばかりのオーラを振りまく。

 可愛い顔して発言はえげつない。

 何度か飲みに行ったけど、仕事の出来ない男に対する嫌悪感と言ったらない。
 特に、高木くんは色々と癇に障るらしく、最近では専ら彼が小田ちゃんの導火線に何度も火を付けている。それ、消してる私の身にもなってくれ。

 でも、仕事の出来る男に対しても対抗心があるようなので、どちらにしても社内恋愛は向かないと自他共に認めている。


 その彼女は責任を少しばかり感じているのか、目の色が不安で揺れている。

 それでもそれすら感じさせない様に毅然と振舞って、否決された決裁をまとめて、資料と一緒に部長の所へ向かっていた。


 ああいう後輩がいるから、安心して仕事に没頭出来るんだよな。

 本当、助かる。


 目の前の分厚い紙の束を前に気合いを入れ直した。

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