28歳 喪女な私の愛され開発生活

甘噛屋

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第二章 愛される覚悟の準備

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 生ぬるくなったミルクティーを飲むのには、少し時間がかかった。

 あれからデスクに戻って、どっと疲れが押し寄せてきたから。
 だと思いたい。


 「先輩、高木くん…帰ってから信じられないくらい仕事速いんですよ…」

 「え…あぁ、そうなんだ」

 「あの高木くんが、珍しいですよね」


 仕事をする高木君を不思議そうに見ている小田ちゃんに曖昧な返事しか返せない。

 あんな事があって、頭と耳に記憶された神崎部長の存在のせいで、仕事なんてまともに手につかない。

 作りかけのレポートと、プレゼンも、データも、何処の数字が足りないのか、文言に間違いはないか、内容は分かりやすいか…なんて気を使いながら出来るほど余裕がない。

 何だ、こんなの聞いてないよ。



 「お疲れ様でーす! 先輩、まだ帰らないんですか?」

 「え、あ…あぁ。もうちょっとだけやって帰ろうかな」

 「あんまりこん詰めないように! あっ!!」

 「な、何っ?!」


 小田ちゃんの声で、いつの間に定時のベルがなったんだろうって、時計に視線を向けた。

 その直後、小田ちゃんが素っ頓狂な声を上げて私のデスクを凝視していた。


 「先輩すごーい! これ、当たったんですねぇー!」


 小田ちゃんの手の中には、QRコードのついた紙コップ。

 当たりの紙コップだ。5年間で1度も当たった事なかったのに、今日に限って当たるなんて。


 その後、小田ちゃんは「また明日もよろしくお願いします」といつもの丁寧な挨拶をして退社していた。


 部署には数人の影がある。その中に、いつもなら定時で帰っている高木くんの姿がある。

 珍しい事もある…って、昼間にあんな事部長から言われたら、仕事するしかないのかな。



 なんだか、複雑な気持ちだな。

 私も私なりに教育係として頑張ったんだけどなぁー。


 「飯塚さん、終わりましたか?」

 「神崎部長…」


 デスクに近づく影が、ベルベットの甘い声を上から振り掛ける。


 この人の声はどうしてこうも耳に痺れるのか。
 やっぱり、フェロモン混じってるんじゃないだろうか…本当にフェロモン製造機だ。


 「あの、いえ。終わりそうにないので、今日は」

 「見せて」

 「っ?!」


 グッと近くなった距離に、肩に当たる体温。

 音量の上がった声に、昼間の部長の言葉を思い出す。


 『今日は逃がしませんよ?』


 あの意味、何だったんだろう。

 だって、それじゃ…神崎部長が私を狙ってるみたい。


 『それ完全にロックオンされてんじゃない?』


 今度は杏奈の言葉が頭に浮かび上がった。

 だって、私は胸もない男そっちのけで仕事をするような、そんな女の欠片もない女で…。

 小田ちゃんみたいに可愛いわけじゃない。

 杏奈みたいに色気があるわけじゃない。

 なのに、どうして私なの。

 これまでだって、みんな私ではない他の子を好きになってきたじゃない。

 どうして部長みたいなイケメンで何でも出来そうな、誰もが憧れて振り向く完璧な男性が私なんかを?

 こんな時、恋愛経験のある人ならきっと自信が湧くんだろうけど、私の中には疑問ばっかりだ。


 「…飯塚さん、今日はこの辺にしておきましょう。気分転換も大切です。」


 神崎部長は、そう言ってマウスを動かして別のファイルとして新しく保存して内容を確認してからパソコンの電源を落とした。

 「準備してて下さい」と私に言葉をかけてまだデスクに残っている横溝部長の方へ向かっていた。


 何か話し込んでるみたいだけど…。



 デスクの下からカバンを出して帰る準備をする。

 この後、部長とご飯…2度目のご飯だ。

 本当に、どうして私なんかを。

 また戻ってきた神崎部長の後について、数人が残る会社を後にした。






 「神崎部長は飲まないんですか?」

 「え、あぁ。気にしないで下さい。今日は止めておきます」

 「じゃ、じゃぁ、私も…」


 2杯目を頼もうとしていたアルコールのメニューを閉じると、部長が少し苦笑いをして、「そういう意味ではないんですよ」とメニューをまた私の手に戻した。


 「私、お酒弱いんですよ」

 「えぇ?!」

 「やはり、びっくりしますよねぇ。初めは皆、嘘だっていうんですが…本当に弱くって、格好悪いかな」


 意外だ。

 彫りの深い顔とがっしりとした体つき。

 その上スマートな身のこなし…てっきりお酒も強いのだと思っていたのに。

 本当に、意外だ。

 神崎部長は少しバツが悪いのか、照れたように頬を指でかいた。


 駅前の焼き鳥屋さん。

 ガチャガチャとした店内と月曜日なのにワイワイとするお客さんたちの声。

 神崎部長と焼き鳥屋ってミスマッチだと思っていたのに、スーツの上着を脱いでネクタイを緩めて、腕まくりをしただけなのにその場の空気に馴染んでしまった。

 むしろ、周りが馴染んだのかもしれない。

 さっきから、注文を聞きに来る店員のお姉さんが多いし、皿が空くたびにこまめに取り替えに来てくれる。

 普段なら、こんなに回数はこないし、まとまった所から片付けて行くのに…イケメンってだけですごい。


 「横溝から聞きましたよ。飯塚さんはお酒が強いって」

 「あ、いや。そんなには…」


 飲むんです。

 家にも焼酎と日本酒のボトルが数本ずつくらいあるんです…とは言えないから、自然と視線が下がってしまう。

 あぁ…忘れてた。これもコンプレックスだった。

 そこらの男より酒が強い…
 酔うことなんて滅多にない。
 私だって、お酒を理由に大胆になれたら少しは変わったのかもしれない。


 「自分よりお酒の弱い男だと、範疇外…ですか?」

 「そ! そんなことはっ!」


 ガバッと顔を上げると、じっと見つめるブラウンの瞳とぶつかった。

 何でも見透かされてるみたいになる。

 女としての劣等感も、仕事が上手くいかない事も、後輩をうまく育てられない事も、上手くいった事のない恋愛も、諦めた女でいる事も…全部本当は叶えたかったことも。


 神崎部長は私を気遣う素振りも見せずに、店員を呼んで冷酒を頼んでくれた。


 「ほんの少しで良ければ、お付き合いします。…でも、手加減して下さいね」

 「…ふ、ふふ…どぉ、しようかな…」


 大人っぽい神崎部長が、今はおちゃめで可愛く見える。

 凝り固まっていた気持ちが、少しだけほぐれた気がした。






 「ぶちょー! 私、わかんないんれすよ!」

 「飯塚さん、ほら、こっち飲んで(強いんじゃなかったのか?)」

 「だぁーいじぶっです! よっへらい  の! で! す!」


 ふんわりした心地になるのはいつぶりだろうか。

 多分、仕事で大失敗した3年前…かな?

 あの時は杏奈が一緒にいてくれたっけ。

 あれ? 今日はぁー…ま、いっか!


 お猪口を持つ手に力が入っていないのに、喉を流れる液体のカッと熱くなる感じはしっかりとしている。

 口の中で甘いお米の香りがして、思わず徳利に手が伸びる。


 なのに、その徳利は目の前の人に奪われて新しいお猪口に透明な液体が入る。


 「ぶちょーーー! 私のれすよぉー!」

 「飯塚さん、こっちに新しいの入ってますよ。こっちの徳利は空です」

 「…あ、なんら。そっか。ふへへ」


 新しいお猪口は気持ち大きめで、嬉しくなる。

 今日まで、頑張ってきたんだ。たまにはいいよね。

 反抗的な後輩も、上手くいかない決裁も、繰り返しのダメ出しも、取引先との交渉も…ぜーんぶ頑張ってきた。

 だって…


 「らって…頑張らないと…がんばんないと!」

 「…」

 「らっへ…それしか…ないもん。杏奈みたいに女っぽくもないし! 小田ちゃんみたいに可愛くもないし! 男顔負けに仕事して、男より成績残して! がんばんないと、それしかないもん! 世間の可愛い女の子達みたいにうまく恋愛して、うまく立ち回って、結婚して…そんなのないもん!」


 そんなのない。

 そんな、小さな頃に憧れていたお姫様の様な女の子には、もうなれない。

 なれないなら、憧れないし、夢も見ない。

 このままでいい。これなら、傷だって隠せるし、新しく傷付くことだってない。


 「飯塚さん…そんな事はありませんよ? 貴方は魅力的な女性です」


 ありえない。


 「頑張っている分、輝いてる素敵な女性だ」


 そんな事ない。


 「私にとっては、あなたは本当に眩しいくらいにキレイな女性なんですよ」


 …そんな…こと言わないで。

 期待させて…私はこんな時どんな風に甘えていいかなんて知らない。

 どんな反応をすればスマートにかわせるかなんて分からない。

 貴方のように…神崎部長のように百戦錬磨のような恋愛はした事ないし、経験だってない。


 「…そんな…嘘ばっかり」

 「嘘では…」

 「なら! 部長はこ、こんなに男みたいに真っ平らな胸で、欲情します?! こんなに身長も高くて、こんなにお酒も強いし、男が引くくらい仕事して、上からものを言える立場になってる女を恋愛対象だって、抱けるって思いますっ?!」


 切れた口火は元には戻らない。

 カッと熱くなる頭には、もう突き落としてくれって警報がなっている。

 崖に手を掛けて、落ちる準備はできているから、女を…女でいる事を諦める最後の一押しを下さい。と待っているんだ。


 なのに、目の前のブラウンの瞳がギラリと揺れて私の目を離れない。

 テーブルに置いた、硬く握られた拳を上から大きな手が覆い隠し、離れていた部長が近付いた。

 香水なのか、洗剤の匂いなのか、神崎部長の匂いがぐっと増した。


 「…飯塚さん、出ましょうか」

 「えっ…あ……」


 やってしまった…

 完全にやらかした。

 久し振りに酔って、高揚した気分のまま、抑えていた気持ちが弾けて、とんでも無いことを…




 「ここでは、貴方を抱けません」

 「へ…」

 「言ったはずです。今日は逃がさない…と」


 お会計を済ませて、固まった拳は部長の大きな手の中で握られたまま。

 お店の外で引き寄せられた耳元に、またあのベルベットボイスが甘く纏わりつく。

 ブラウンの瞳がゆらりと揺れて、神崎部長の形の良い唇が上がる。


 ダメだ…今日は起きる何かからは逃げられない…。


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