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第二章 愛される覚悟の準備
9 ―神崎 side―
しおりを挟む口実ができた事に関してだけ言えば、ラッキーだったと思う。
彼女と過ごす時間をもう少し濃密にしたいとは思っていたが、こんなに早くに機会が訪れるとは…。
いや、無理矢理にでも今日はそうしようと思っていた事を考えてみれば、俺はかなり危ない人間なんだと思う。
タクシーの中で、どれほど抱き締めるのを我慢したことか。
きっと彼女は分かっていないだろうな。
居酒屋であんな風に言われて、抑えられた自分を褒めてやりたい。
俺が惚れた相手に手も出さず、グッとこらえてああ発言するので精一杯だったなんて、彼女は微塵も感じない。
そういう風に仕向けた俺がいるから俺の原因でもあるが、彼女にはこれからゆっくりと色々伝えたい。その為にはまず、彼女に振り向いて貰わなければ…多少強引だとしても。
下手をすれば、強要されたと通報されても可笑しくはないのだが、何としても手にいれたい女なのだから、躊躇などしていられない。
そう考える俺はなかなかに悪い男だろうな。
シャワー室から聞こえる水の流れる音に、年甲斐もなく動悸が速まる。
このまま、もし万が一彼女がバスローブなんかで出てきた時には…
「くそ…10代のガキじゃあるまいし、何を期待してるんだ」
無意識に、あのスレンダーなスーツから覗く白く細いうなじを想像して唾液が溢れた自分を叱責した。
一先ず、泊まるにしても彼女を無防備な姿にしておくわけにはいかないし、かと言ってスーツではリラックスだって出来やしない。
ルームサービスのメニューを開いて、フロントに電話をかけた。
「ルームサービスを頼みたいのですが、軽食とフルーツとソフトドリンクでグレープフルーツを2つ」
<かしこまりました。他は宜しいでしょうか?>
「それから、ワンピースのような物を一つ用意頂けますか? 連れが、バスローブが苦手な様ですので」
<承知致しました。お色味は如何致しましょうか?>
「…そうですね。白を、お願いします」
彼女の白いワンピースから細い体が露出しているのを想像して、チョイスを間違えたか…とほんの少しの後悔をする。
浴室の方はシャワーの音が止んでから時間も立っているが、出て来る気配もない。
まさか、倒れて…いや、話し声は聞こえる。
扉の前まで来て、中で誰かと話しているのかぶつぶつと聞こえる。
聞こえた内容にクスリと笑いが溢れる。
やっぱり、彼女はいいな。
純粋で、無垢で、何も知らなくて、平和で…だからこそ、俺で汚れてしまえば…俺だけで汚してしまえたらと…狂気にも似た欲が滲み出る。
そんな自分を振り切るように一つ深呼吸をして、扉をノックした。
「飯塚さん、大丈夫ですか?」
「ひょぁっ!? あの、だ…大丈夫、です」
ひょぁって…ふふ、本当に。
それまで見せていた欲の塊は、少しなりを潜めて小さくなった。
そのあとは、本当に誰かと電話をしている様だったから恐らくいつも一緒にいる浜谷辺りだろうか。
ということは、さっきのは多分独り言だ。
安心7割、残念3割。
俺はダメだと言いながら、期待していたらしい。
彼女は、来た時と同じスーツ姿で緊張した顔をして出てきた。
思わず笑って漏れた発言に、彼女が少しだけ慌ててみせる。普段のキリッとした仕事姿とは打って変わった可愛らしさにギャップを感じる。
「助かりましたよ。バスローブなんかで出て来られたらどうしようかと内心焦っていたので」
俺の発言にきょとんとした顔の彼女が、ホッとしたような安堵の表情に変わった。
安心されてしまったな。あまり安心され過ぎても複雑なもんなんだ、会社の上司である前に男なんだ…少しくらい意識してほしい。
窮屈だったワイシャツのボタンを2つ外して、彼女との距離を詰める。
シャンプーと石鹸の匂いが鼻腔をくすぐる位置で恐らくは弱い部分である耳元に唇を寄せた。
「貴女にバスローブで出てこられたら…」
「ひゃひっ?!」
「私のなけなしの理性なんて簡単に吹っ飛んでしまいます」
驚いた彼女が真っ赤に染まった顔をこちらに向ける。
あぁ、くそ。
可愛すぎるだろう…なんでそこで真っ赤になるんだ!
一歩下がってさえくれればいいのに…
そうしたら、今日の所はお喋りだけで終われるんだ。
耳まで真っ赤にして見上げる彼女を、抱き締めたい衝動を抑えて何とか体を浴室へ向けた。
思い出した様に身体を反転させて、ルームサービスを受け取るように伝えた。
また、きょとんとした顔の彼女が俺を見ている。
本当に、それだけで欲が高ぶるなんて10代のガキと一緒じゃないか。いや、それ以下かもしれない。
浴室の鏡に映った自分に驚いていた。
意外にも冷静な顔つきだったのだから…
内心はあんなにも彼女が欲しくて速くなる鼓動を抑えつけるのに苦労したのに…。
表情は至って余裕そうだ。
人間歳をとると、仮面をつけるのが上手くなるらしい。いいんだか、悪いんだか。
ふっと笑いが溢れてそれまでの焦りも欲も彼女を手に入れたいと思う歪んだ想いも、ゆっくりと小さくなる。
まだ、熱気の篭った浴室に、再び成りを潜めたばかりの欲が、むくむくとせり上がって来る。
さっきまで、ここで彼女が裸になっていた。
そして、同じシャンプーを使って、あのボディーソープで体を洗ったのか。
「いや、だから……俺は盛りのついた10代のサルじゃないぞ、おい」
半分程、膨らんでいつでもマックスになれるぞ、と張り切っている下半身に、さっさと鎮まってくれと別の事を考える。
あぁ、そういえばもうすぐ冬に向けたデザインを、きちんと練らないといけないな。
濃い目の色味でいくつかシリーズを出すか……寒色系とか、彼女の白い肌に栄えるだろうな。赤もいいが、雰囲気的には寒色系の方がぐっと………
他のことと言いつつも、結局は彼女を思ってしまうのだから、俺は本当に落ちるところまで落ちて、彼女にメロメロらしい。
もう一度、熱を持ってしまった己に渇を入れて、ほとんど水に近い温い湯で、火照った体をおさめた。
風呂から上がれば、彼女は俺の頼んだワンピースを着て待っている、はずだ。これで帰っていたりしたら、かなり凹むなぁ…。
出たら、軽く摘みながら彼女のことを教えて貰おう。
あわよくば、彼女の特別を知る事ができるかもしれない。
こんなにも、誰か一人に固執した事はなかった。
仲が良く、いまだに手を繋いでデートをするような両親を見て育ったからか、それが当たり前だった。
男はどんなときも女性に優しく、そしてスマートにエスコートする事を父親から教わり、10代の頃はそれが当たり前の環境で過ごした。
彼女が居なかった訳ではないが、両親たちのように、片時も離れたくないと思う程のめり込める相手とは出会わなかった。
日本に来てからは、それこそアイドルか芸能人かのように扱われた。
まぁ、ヨーロッパ系のハーフなんて珍しかったのかもしれない。向こうでだって、アジア人は珍しいと言われたし。
だが、向こうと違ったのは寄ってくる女性の質だった。
こんな言い方は良くないのかもしれないが、俺は彼女たちにとって、アクセサリーのような、そんな物だったと思う。
日本人男性にはない、女性へのエスコートの仕方や、俺の外見は、横に寄り添っているだけで優越感に浸れる。
一度、彼女だった女性が言っていたんだ。
『自慢できる彼氏ってサイコー』と。
なら、そこに愛は無くていいのか。
俺が、彼女をエスコートするのは、大切だからで、人に自慢したいからしているわけでも、マウントを取りたくてしているわけでもない。
それなのに、俺だけが彼女を大切に想っているみたいで……そんな独り相撲、バカらしくならないか?
そんな風に思って、寄ってくる女を改めて見ると、皆媚びるのだ。
俺にしなだれかかって、胸元で指先を立ててすがって、濡れた目を上目使いにして、あからさまな吐息をかけてくる。
それが、嘔吐が出るほど気持ち悪くなった。
両親は、本当に愛し合っていたんだ。
俺にも、そんな相手がいつか現れると言われたんだ。
そのときになれば、絶対に分かると言われた。
では、そのときまでこんな、吐き気しか催さない生き物の欲を、俺が満たさなくてはいけないのか?
俺は、そこまで我慢などしていられるほど、気は長くない。
それからの俺は、今から振り替えればあまり誉められた男ではなかったと思う。
腐れ縁の横溝が毎度毎度、諦めずに俺を嗜めてくれたが、寄ってくる女の欲をその場だけ満たしてやれば、俺も適度に発散出来てWin-Winの関係が出来た。
それは、社会人になってからも変わらなかった。誰かや何かに本気になれるほどの出会いもなく、ただ目の前の仕事だけこなして、たまに女と遊んで、適度に楽しんでいた。
横溝が妹の郁美と付き合いだしてからは、郁美からもお小言をもらうようになってしまった。
横溝にベッタリで、やつ以外の男など皆ジャガイモと一緒に見えるとまで言い切り、横溝が困るほどヤキモチ焼きで……正直、羨ましいと思ったこともあった。
あれほど夢中になれる女と、出会えたら、どんなに幸せで楽しいのだろうと思った。
そんなときだった。
飯塚 涼子に出会ったのは。
別の部署でインターンに入った彼女は、スラッとした身長に、良く似合うショートカットで、モデルかと思うほど顔も小さく、目立っていた。
仕事に前向きで、青々としたフレッシュさは懐かしさを感じる程。
俺の目には眩しかった。
それから何度か見かける度に隠れて顔を歪めて、涙を堪える姿を見るようになった。
彼女が配属になった部署の部長と課長は、仕事が出来ない名ばかり課長で有名だ。
何せ、コネだけで役職をもぎ取った人間だからな。それに、チビで頭が薄い。
だから、背の高い人間が好きじゃないし、仕事のできる女はもっと好きじゃない。
女は少しバカなくらいがちょうどいいだろうとかをほざいているような人間だ。
あの分じゃ、彼女はそうとうキツイだろうな。と、何度か缶コーヒーをデスクに置いた事がある。
君を気にする奴もいるから、挫けるなって意味を込めて。
それを、汲み取ってくれていたかは分からないが、彼女はきちんと毎日インターンに来て、仕事して、笑顔で挨拶をしていた。
その彼女が、つもり積もったように溢れてしまった涙を、どうにかおさめようと、息を詰まらせながら泣いていた。その泣き方が、こっちまで苦しくなるような泣き方で、どうせ泣くなら俺が全部隠してやるのに……、だから、気負わず思いっきり泣かせてやりたい。と思った自分に驚いた。
で、自覚した。
一見クールに見えて、くるくると変わる表情に惹かれたんだ。
前向きに、真っ直ぐに取り組む格好良さに惹かれたんだ。
誰にも見せない弱さがある事を知って、支えたいと思ったんだ。
あの日、俺が君に一目惚れをしたんだ。
自暴自棄になって、来る者も去る者も拒まないで周りが動く事に甘えていた俺に喝を入れてくれた。
それも、いつか君との距離が近くなったら伝えていいだろうか?
君はどんな顔をして聞くだろうか?
その時、君は俺にとって、俺は君にとって、お互いの特別になれるだろうか?
年甲斐もなく懇願している自分に呆れつつ、ドアに掛けてあるバスローブを手に取った。
少しぼやけた視界に、30代後半のただの男が写っていた。
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