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第三章 愛され開発生活本番

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 いつもより30分も早い出社。

 ぽやぁーっとする思考を、熱いコーヒーでシャキッとさせる。

 ブラックコーヒーの苦味が、寝ぼけていた思考を呼び覚まして、仕事モードへ切り替える準備を始めた。


 昨夜、28年間の人生で初めてだらけの経験をしたのに、普通に出社出来た自分にビックリしている。

 朝も、いつもの完璧紳士な神崎部長に起こされて、お洒落なモーニングを普通に取って、身支度を整えて別々に出社したし…。

 私って案外タフ?





 「…にしたって、普通過ぎない?」

 「何が普通なんです?」

 「何って、態度がぁあっ?! 小田ちゃん!」


 真横にふわかわのいつもの小田ちゃん。

 気付かずに独り言を呟いてしまっていた様で、大きな目をクリクリさせた小田ちゃんに癒された。


 「ううん、小田ちゃんの顔見たらなんか癒されたから大丈夫」

 「先輩、朝から何言ってんですか? それより! 聞いて下さいよ!」

 「うん?」


 「高木のヤロー」とふわかわ小田ちゃんがその外見に似合わず舌を巻いた所で、部署に高木君が入ってきた。

 ありゃま、いつも始業ギリギリなのに珍しい…


 「…はよーございます」

 「おはよー」


 小田ちゃんは何だか怪しいって目付きで席に着いた高木くんを睨んでいる。

 何かあったのかな? って、睨みすぎじゃない? 流石にバレるよ?


 「高木のヤロー、昨日の夜は結構遅くまで残業してたみたいですよ?」

 「え、そうなの? こんなに早く来て体持つのかなぁ?」

 「イヤイヤ、先輩! 心配するより、なんか怪しいなぁとか、おかしいなぁって思いません?」

 「…うーん。やっと心を入れ替えてくれたのかな?」


 小田ちゃんに、ダメだこりゃ。って顔をされてしまう。

 この半年間、出社はギリギリでもいいけど仕事を始められる準備が出来る範囲でお願いねって言ってきたし、それが漸く響いたのかなって感動はするけど、怪しいとは思わない。

 誰も彼も失敗しながら学ぶし、昨日神崎部長に何か言われていたみたいだから少しは気を引き締め直してくれたのかもしれない。


 「先輩、高木君の事嫌いじゃなかったんですか?」

 「うーん…嫌いではないけど、まあ苦手かなぁ。私の注意ってなかなか耳に入らないみたいだし、教育係として何となくね」


 別に嫌いなわけじゃない。

 仕事上、嫌いになりたい相手でも付き合いってモノがあるからその場はイライラしたりしても、接するのが嫌になる程嫌いな人ってそうそういない…というか作らないようにしている。

 私の場合、嫌い判定を出してしまった人間とは毛ほども関わりたくないので、そんな人を作ると仕事が出来なくなってしまう。そういう性格の人間だから、ある程度の距離感を持って仕事をする事にしている。

 まぁ、人間だから、好き嫌いはあるだろうけどそれを割り切って仕事していけるほど、器用な性格でもないしね。
 というか、努力してる時点で多分、嫌いに近い人なんだろうけど。


 「ほんと…先輩には敵いません」


 小田ちゃんは大きなため息をついて席に着いた。

 人の話し声とパソコンのキーボードの音が混ざり始めて、気分も徐々に仕事モードに移り変わり始めた。

 暫くたって、またため息がこぼれる。

 それは、隣の席の小田ちゃんからも同じくだ。きっと、ため息の原因は同じ。


 「先輩、これっていつになったら前に進むんですか?」

 「私もそれ聞きたい。しかも、例に限って横溝部長のいない日を狙ってるし」

 「やっぱりですか!」


 小田ちゃんの中で合点がいったという風に、声が大きくなる。

 元々、経理の部長は横溝部長と中途採用で同期──同期には見えないほどでっぷりとしたお腹とかわいそうな頭だけれど──で、しかもコネ入社にコネ昇格だった。

 実力的に伴わず、最初は企画営業部の部長席を内々に言い渡されていたようだけれど、明らかに成績の違いすぎる両者の姿に、上から企画営業部部長就任を渋られ、収まったのが経理部部長だったらしい。

 それも、元の経理部部長が補佐に回り実質的な指揮管理は元経理部部長が担っているから、明らかな名前だけ部長ってわけだ。

 だからなのか知らないけれど、あの名前ばかりの部長さんは横溝部長の直属の部下である私の企画をことごとく否認してきた。

 仕方なく別のチームリーダーに名前を貸してもらって決裁をあげることが多くなり、私の影武者になってくれる人がたくさんいるわけだ。

 今回もそれを使えば、もしかすればどうにか通るかもしれないが、これだけはどうにかして私の名前で私が最後まで通したかった。入社から5年で初めて大きな目玉企画を任せてもらえた。その責任とチャンスをきちんと形に残したかった。もちろん、もう少し粘ってムリなら今回も別のチームリーダーに名前貸してもらって、コーヒーでも奢ろうとは思っているが、後2週間は粘れる。どうにかしたい私の気持ちは、小田ちゃんもチームのみんなも、横溝部長も知ってくれているし、他のチームの人だって分かってくれている。

 だから、できるところまではがんばってやりたいし、ここまできたら意地とプライドがある。

 あの膨れ狸め、私を舐めんなよ!


 もう一度、否認理由に目を通して調整を図る。

 結局は見積書に添付されている約款書の内容が気に入らないらしい。

 細かい字の並ぶ約款書に目を通すが、書いてある事は当たり前すぎるのでどこをどう調整するべきか皆目見当もつかない。


 「高木君、どうかした?」

 「…いえ、ここが分からなくて、お時間いただけますか?」

 「えっと…は、はい」


 随分と丁寧な物腰の高木君だが、何がどうなってしまったのか…。

 頭でも打ったか、熱でもあるのか、こんなに社会人っぽい高木君は半年間で初めてである。

 隣の小田ちゃんも、私の前の席に座っているチームリーダーも驚いているのか、半開きの口がなんとも間抜けだ。

 高木君に聞かれた箇所を見て、過去のデータを見せる。

 見方と、比較の仕方を教えると、だてに院生だったわけではなかったようで理解力が速く応用力もあった。

 別の事例を引き合いに出して資料を作ってくれたり、まとめてくれた会議資料も、取引先に出す関係書類も簡潔にそして分かりやすくまとめてある。

 そこに、いつもより少ない赤を入れて返却した。


 「先輩、お昼行きましょう! お昼!」


 小田ちゃんに言われて、お昼を過ぎている事に気づいた。

 会社のエントランスで杏奈と合流して、3人でいつもの定食屋に向かう。

 どうやら、2人の興味は完全に私が昨日と同じ服を着ていることにあるみたいだ。

 と言っても、私の服装がいつもとあまり変わり映えしないのは今に始まったことではないと思うのだけど。



 「で、昨日と同じ服に皺を作って出社した理由はなんなの?」


 席について、開口一番に杏奈がしれっと聞いてくる。

 皺? と思ったけれど、確かに皺は着いている。でも、普段も同じような皺をつけているような気もするけれど。


 「先輩、普段香水なんてつけてないのに、今日はどうしたんですか?」


 今度はお茶を飲みながら小田ちゃんが聞く。

 香水? 確かに普段香水はつけないし、今もつけているつもりは無いけれど…昨日のホテルに備え付けられていた石鹸とかの匂いかな。


 「というか、単刀直入に聞くけど」


 真剣な顔をした杏奈と小田ちゃんが横目を合わせて軽いため息をついた。


 「「神崎部長とどこまで行ったの?」んですか?」

 「ひょぇ?!」


 いきなりの人物の名前に思ってもいない声が出ると、ちょうど頼んだ定食が運ばれてきた。

 私は焼肉定食(にんにく抜き)、杏奈は親子丼定食、小田ちゃんは麻婆豆腐丼定食(にんにく抜き生姜多目)。

 杏奈と小田ちゃんが口々に発する推論が当たりすぎていて頭が上がらない。


 「昨日、神崎部長と一緒に会社出るの見つけたのよ。挙句、昨日の電話よ」

 「私は神崎部長が横溝部長に話しているのが聞こえました」

 「今日の朝に限っては、神崎部長の服装が昨日と一緒だったの。あの人、ネクタイもシャツも毎日変えているみたいだし」

 「それに、連日から猛アタックを続ける神崎部長と同じ匂いを先輩から感じるってなると、行き着く答えは1つです」

 「昨日、何かがあって急遽一緒にご飯でも食べることになって、何があったのか分からないけれど終電を逃して、どこかのホテルに行って、酔いが覚めて私に電話をかけてきた」


 そこからは、昨日あったことを全て話すまで、今日はとことん質問するからとでも言うような強くらんらんと輝く目の2人に、事の発端を話すしかなくなった。

 とりあえず、高木君に言われたことがきっかけとは言わずに、自販機でたまたま会って、食事に誘われたということにしておいた。

 嘘はついていないから、いいよね。


 「で、そこから俺を選べってか?」

 「うひゃ~、インテリめがねもやりますね~!」

 「で、なんて返事したのよ?」


 返事? あれ…そういえば、返事という返事をきちんとしただろうか?

 いや、返事というに値することは言っていないが、逃げ場が無くて首を縦に振ってしまったのは私で、あれが返事だったというのであればそうだろうし…。


 「まさか、返事してないの?」

 「い、いや…した。多分」

 「何ですか、多分って」

 「その…あの人ってさ、聞き方というか言わせ方というか、そういうのが上手くってどう頑張っても断るための文句も言えなくなっちゃって…頷いちゃった…っていうか、ね?」


 コテンと可愛らしく首を傾けたつもりだったが、目の前の2人はげんなりとした顔をした。

 そんな私に小田ちゃんがぐさりと槍を1つ。


 「まぁ、いいんじゃないですか。これでやっと初カレですし、少しは女にも目覚めさせてもらえそうじゃないですか、あのインテリめがねのおかげで」


 現在彼氏募集中の小田ちゃんのセリフにどこか棘が含まれていたように感じたのは気のせいということにしておくことにする。


    
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