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第三章 愛され開発生活本番
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相も変わらずヒールの高い靴を穿いて、カツカツとフロアを歩くと、横から次々に声がかかる。
それは先週とも変わらないし、これまでとも変わりがない私の日常だ。
「部長、春コスメの決裁、通りましたので、最終承認お願いします」
「おぉー! やっとだなぁ! お疲れさん」
「いえ、この後が1番大変です」
この後、社長決裁に持ち込まれて社長が承認すれば全ての準備がスタートラインに出揃う。
ここまで来るのに、本当に時間がかかった気がする。神崎部長にもらったアドバイス通りに添付資料の内容をもっと簡素化して、図や注釈を増やしたことで経理の文句の意図も読み取る事が出来た。
ただがむしゃらに内容を取り替えていただけでは納得されない理由だって分かってきたら、後の攻め方は簡単だった。
5年目にして漸く、あの経理部長の扱い方が少し分かった気もする。人によって攻め方は変えたほうがいいというのは理解していてもその責め方が分からなければどうにも出来ない。そんな当たり前のようなことを身を持って知る事ができた。
「ふぅ、神崎部長にお礼しなきゃ」
独り言のようにこぼれた声に鏡に映った自分を見て少し驚いてしまった。
ここ最近の私は、どちらかというといつも何かしら問題があってそれをどうにかするために時間を割いて、クマを作って、肌荒れをひどくさせて、眉間に皺を寄せて…自分から見てもとことんかわいくなかった。
別に今日が一番かわいいとは言わないけれど、マシになっている気がする。
先週、突然の出来事だった。
28年間一応女として過ごしてきて、男の人から告白されるなんていう経験は初めてだった。男の人が自分よりもあんなに身体が大きくて、熱いんだって事も私は初めて知った。…ううん、教えられたという方が正しいのかもしれない、神崎部長の言葉を借りるならだけど。
キスだって、神崎部長が初めてだった。
男の人の唇って、柔らかいんだ…それとも、神崎部長が柔らかいだけで、他の人は固かったりするのかな…
なんて、考えてしまうとあの時の全て食べられてしまうようなキスの横行を思い出してしまって、カァッと顔に熱が集まりだしてしまった。こんな事ももう何度繰り返したのか分からない。
この後、部内ミーティングなのにこのままでは火照ったままの顔でみんなの前に立つことになる。
とりあえず、外だ。外の空気を吸って、ちょっと落ち着こう!
あわただしく女子トイレを後にして、ビル共同エリアのガーデンテラスへ向かった。
うちの会社、社員の共同スペースに対する配慮と福利厚生はかなりいいところだと思うんだよね。
程よく緑を取り入れたガーデンテラスは、使用許可さえ出せば40名まで貸切でビアガーデンを開くことも出来る。もちろん、今年も総務がビアガーデンを開く予定でいるらしいから、杏奈と小田ちゃんと参加する予定にしてある。
少しムシっとする熱気に、身体全体が熱くなってくれたおかげで顔の熱の存在を気にしすぎることも無くなった。夏の入り口で、太陽がサンサンと降り注ぐ場所にアラサー女子は近づかないし、熱がりの男性連中もクーラーの効いた室内で悠々と仕事に励む。
幸いなことにテラスには私一人だから、周りの目を気にしてしまうことにもならない。そういう意味では、夏もあまり悪くは無いと思う。
「…そういえば、あの時も夏だったっけ」
夏の暑い時期、夏期講習に行くために乗った電車は遅延もあっていつもより混んでいた。
ムワっとする車内と頭の上から冷風が降りてきて、なんとも気持ちの悪い温度になっていた気がする。普段は部活の朝練で早い電車に乗るから人も少ないし座れることだってあったのに、夏期講習期間に入った部活引退後の受験生にとって、いつもより遅い電車が地獄だなんて想像できるわけが無いし、さらにその電車で痴漢に合うなんて想像もしているわけがない。
ましてや、学校では王子様と称される女子が痴漢に合うなんてそんな事考えると思う?
答えは当然、『いいえ』だ。
夏で程よい露出と普段女子に囲まれているが故の油断。
自分は女だと実感させられる行為に怖くなったし、意外と声が出ない物なのだと気づいた。あの背後でお尻を弄られる感触と生温い温度の感覚に戸惑った。
あの時は目の前にいた男性に助けられて、下りる予定の無い駅で降りる事になった。
抱き寄せられたときの、甘いムスクの大人の香りと、自分よりも頭1つ分程高い身長と、広い肩幅にすっぽりと包まれて抱き上げられたのは、ちょうどこの間神崎部長に助けられた時と同じ感じだった。
きっと、イケメンで日本人離れした人たちは、痴漢にあった女性にはみんなああやって助けているんだ。
あの人と神崎部長が同一人物とは考えにくい。だって、あのときの人はもっと髪の毛が明るかった。
神崎部長も少し茶色がかっているけれど、もっと明るい色をしていたから間違いない。
ブロンドに近かったかもなぁー。
「ん~!! 暑い!」
少しだけ小さな声でそう口にして、自分に渇を入れる。昔の思い出も、その声で吹っ飛ばす。
なんて言ったって、これからが正念場なんだ。1週間前の出来事でまごまごしている暇は無い。
神崎部長と付き合うことに(なっているらしい)なってから、私は私で忙しかったし、神崎部長の部署の方も、どうやら相当に忙しいらしかった。1週間、何の変化もない生活だから、余計に実感が湧かないのかも。
ランジェリー部門が立ち上がって、軌道に乗ってから初の売り出しが差し迫り、20代後半~30代後半をターゲットにした百貨店販売と、10代~20代前半をターゲットにしたファッションモールやビルでの販売に分かれて企画を取っているらしく、その調整や開店準備に、営業も販売も企画も関係なく借り出されているらしい。
うちの部からも数人の新人女子が手伝いに派遣されたが、話を聞く限りみんな相当な忙しさとスケジュールで動いているらしい。
まずは、関東と関西に2店舗ずつ出店して様子を見るようだけど、既に始まっているネット販売で完売が相次いでいるらしいので全国出展は目に見えている。
何せ、デザイナーが今話題の、パリコレ雑誌の『mode De Emode』でも取り上げられている人なのだから、注目も集めている。
挙げ句、そのデザイナーがこの間、日本の番組で取り上げられ、密着取材を受けていた。
そんな人と仕事をしているのだから、忙しくならないわけがない。
だから、あの日から1週間ほどたった今日まで…むしろ今後も暫くは会えずに過ごす日々が続きそうで、私は本当に付き合っているのか確かめる術も無いというのが現実。
でも、そのほうがむしろ助かっている。思い出すだけでこんなになってしまうのだから、本人を目の前にしたら、いったいどんな顔をして会えばいいのか、分からずにテンパってしまうのが落ちだ。
暑いテラスからビル内に入ると、クーラーの冷房が気持ちよく、火照った全身を冷やしてくれた。
ひとまずは自分を落ち着けて、私も春のコスメ企画と冬企画を進行させるために動かなくてはいけない。今日の部内ミーティングでは冬企画を進行しているチームから進捗が下りてくるから、それをまとめて営業先にスケジュールを送るのと、夕方は少し店舗回って市場調査しようかな。
カツカツとヒールの響く音を耳にしながら、再度仕事モードの自分を作っていく。
「え、どうしたの?」
部内ミーティングの行われる室内は、なぜかどよんと重い空気がよどんでいる。
小田ちゃんの隣に腰をかけると、重い空気を気遣って小田ちゃんが顔を寄せてざっくりとした経緯を小声で教えてくれた。
今ランジェリー部門に派遣している新人女子2人が今週付けで辞めると言い出したらしい。なんでも仲違いしたらしく、理由は聞いても教えてもらえないまま2人ともランジェリー部門の手伝いはおろか、冬企画の連絡やスケジュール管理もおろそかになってしまっているらしい。
そのシワ寄せが冬企画のチームのリーダーに行き、リーダーのシワ寄せを新主任の子が担当することになり、新主任は慣れない事をしている上にさらにストレスが祟って胃痛が酷くなっているのだとか…。
今は、その全体のシワ寄せをどこのチームの誰か請け負うかというのを各チームが考えてしまっていて、それだけでゲロりそうな状態になっているのだとか…。
「どうするんでしょうか?」
「どうするもこうするもねぇ~…安田さんとこは夏の企画動いたばっかりで手が回らないだろうし、さんちゃんとこは秋の企画とウエディングコラボの話で手一杯でしょう…となったら、私じゃない?」
「先輩、これ以上仕事増やしてどうする気ですか? 通常業務に、営業周り増やして、企画の調整と進行に管理…それに加えて時間も無い冬企画にまで手を出したら、家に帰られなくなりますよ?!」
気遣ってくれているのか、呆れているのか、小田ちゃんが眉を上げて小声で迫ってくる。
まぁ、正直抱えたくは無いけれど、冬の企画はイベントも多いからコスメ部門の華でもある。クリスマスにバレンタインとホワイトデーに成人式なんかもある。こういうイベントが多い時期の企画チームのリーダーと主任は新任と決まっている。
後のチームが支えて育てるために1年の一大イベント目白押しのシーズンを新任たちに任せるのは通例行事。もちろん2年前の私もその通例行事を任されたし、いい経験にもなった。
横溝部長もどうしたもんかと眉間に皺を寄せて、チラリと私を見た気がした。
いや、分かっておりますとも。
ここで一番時間的余裕があって、まだまだ春企画は調整できる位置にいる私が引き受ける事が、恐らく一番の解決策だ。
まぁ、忙しくなるけどしゃーない!
「冬企画、どこまで進行進んでて、今後のスケジュールがどうなってるのか共有してくれる? それから各営業先に改めてスケジュール調整も入れないといけないだろうからその取引先リストも用意しておいて。辞めるって言ってる2人だけど、チームを分けて一度こちらに戻しましょう。今ギクシャクしている中においていても向こうさんの邪魔になるだろうし。代わりにその子たちから小田ちゃんと関根さんが引継ぎして派遣行ってきて欲しい。2人の引継ぎは高木君にお願いします」
「…高木でいいのか?」
少し眉間に深めに皺を入れた横溝部長が険しい表情を私に向ける。
つい先日まで頼りなかった新卒に2年目の先輩2人分の仕事を割り当てようというのだ。しかも今までは補助的なことしかさせていないし、それ以上の指示もしていない。
「高木君、最近はかなり呑み込みが速くなっています。それに元々頭の回転は速いし、効率を上げる工夫もあるようだったので、倉庫整理も資料整理も頼めばすぐ終わっていたみたいです。今、仕事に真剣に取り組む姿勢が生まれている彼に少し重さのある責任を乗せても折れはしないと思っています。もちろん、フォローはしますし、こちらも気にかけますが……本人にその気が無いようなら別の人員に配分します」
私の言葉に、周りの視線が自然と高木君の方へ注がれていた。
驚きと焦りもあるのか、少し不安そうな高木君に私も視線を合わせた。半年前よりもしっかりとした目になっているし、取引先からの評判も少しずつだが上がってきている。今この右肩上がりのときに任せる方が彼の為にもなると思っている。
「でも…」
「私も、今の高木君になら任せられるので、そのほうが安心です。ランジェリー部門には女性スタッフの方が助かると言われているのも理解しているので、動ける私と関根さんで向かう方が無難です」
小田ちゃんが続けて横溝部長へ声をかけた。
腕を組んで、じっと高木君の発言を待っているのか、いつもの優しく明るい熊部長ではなく、もうグリズリー級の迫力を放つ営業マンが新人に視線を投げている。
こりゃ、かなり怖い。
「高木、できるのか? これまでのようにミスして俺たちがちょっとフォローしたら終わりという責任じゃない。ミスの内容によっては会社レベルで動くことになりかねない。その責任を、お前はちゃんと全うできるか?」
「…で、できます!」
少し噛み気味だけど、やっと返事が出来た高木君に、その場の人間がふぅっと息を吐いた。
緩んだ空気の中、今後の調整と夏企画の実績と目標達成率、口コミと改善が述べられ、秋企画の方は最終デザインとポスター、広告案、プレリリースの予定日案内が入り、冬企画は後で私がミーティングに入って調整することになった。
「春企画は、今は社長決裁に入っています。内々では可決の話が上がっているので、取引先へのスケジュールは高木君に調整をお願いしています。ポスターのデザイン案は一般公募する形で大筋が決まっていますし、今新たに海外モデルの選定もしています。社長決裁が可決次第、公募の募集の告知をするようにします。既にいくつかの専門学校や大学等には声をかけております」
「よし。もう一回工数直してもってこい。冬と一緒だと飯塚の負担がでかいから、工数足りないだろうし、調整しておけ。以上!」
ピリピリとした空気のミーティングが終わって、そのまま冬企画の方のミーティングに顔を出す。
ゲンナリした雰囲気に喝を入れて、新主任の子にはフォロー入れるから最後までやりなさいと声をかけた。
それは、2年前に私が横溝部長に掛けられた言葉と同じ。私も辛いと思う時があった。だからこそ、助けられる事の有り難さを知る事ができた。
私も、まだまだ助けてもらってばかりだからこそそれをこういう形で返せるのにはある意味で感謝するべきかな。
夕方、少し雨のぱらつく中で色んな事を思い出しながら、営業回りに気合いを入れ直した。
それは先週とも変わらないし、これまでとも変わりがない私の日常だ。
「部長、春コスメの決裁、通りましたので、最終承認お願いします」
「おぉー! やっとだなぁ! お疲れさん」
「いえ、この後が1番大変です」
この後、社長決裁に持ち込まれて社長が承認すれば全ての準備がスタートラインに出揃う。
ここまで来るのに、本当に時間がかかった気がする。神崎部長にもらったアドバイス通りに添付資料の内容をもっと簡素化して、図や注釈を増やしたことで経理の文句の意図も読み取る事が出来た。
ただがむしゃらに内容を取り替えていただけでは納得されない理由だって分かってきたら、後の攻め方は簡単だった。
5年目にして漸く、あの経理部長の扱い方が少し分かった気もする。人によって攻め方は変えたほうがいいというのは理解していてもその責め方が分からなければどうにも出来ない。そんな当たり前のようなことを身を持って知る事ができた。
「ふぅ、神崎部長にお礼しなきゃ」
独り言のようにこぼれた声に鏡に映った自分を見て少し驚いてしまった。
ここ最近の私は、どちらかというといつも何かしら問題があってそれをどうにかするために時間を割いて、クマを作って、肌荒れをひどくさせて、眉間に皺を寄せて…自分から見てもとことんかわいくなかった。
別に今日が一番かわいいとは言わないけれど、マシになっている気がする。
先週、突然の出来事だった。
28年間一応女として過ごしてきて、男の人から告白されるなんていう経験は初めてだった。男の人が自分よりもあんなに身体が大きくて、熱いんだって事も私は初めて知った。…ううん、教えられたという方が正しいのかもしれない、神崎部長の言葉を借りるならだけど。
キスだって、神崎部長が初めてだった。
男の人の唇って、柔らかいんだ…それとも、神崎部長が柔らかいだけで、他の人は固かったりするのかな…
なんて、考えてしまうとあの時の全て食べられてしまうようなキスの横行を思い出してしまって、カァッと顔に熱が集まりだしてしまった。こんな事ももう何度繰り返したのか分からない。
この後、部内ミーティングなのにこのままでは火照ったままの顔でみんなの前に立つことになる。
とりあえず、外だ。外の空気を吸って、ちょっと落ち着こう!
あわただしく女子トイレを後にして、ビル共同エリアのガーデンテラスへ向かった。
うちの会社、社員の共同スペースに対する配慮と福利厚生はかなりいいところだと思うんだよね。
程よく緑を取り入れたガーデンテラスは、使用許可さえ出せば40名まで貸切でビアガーデンを開くことも出来る。もちろん、今年も総務がビアガーデンを開く予定でいるらしいから、杏奈と小田ちゃんと参加する予定にしてある。
少しムシっとする熱気に、身体全体が熱くなってくれたおかげで顔の熱の存在を気にしすぎることも無くなった。夏の入り口で、太陽がサンサンと降り注ぐ場所にアラサー女子は近づかないし、熱がりの男性連中もクーラーの効いた室内で悠々と仕事に励む。
幸いなことにテラスには私一人だから、周りの目を気にしてしまうことにもならない。そういう意味では、夏もあまり悪くは無いと思う。
「…そういえば、あの時も夏だったっけ」
夏の暑い時期、夏期講習に行くために乗った電車は遅延もあっていつもより混んでいた。
ムワっとする車内と頭の上から冷風が降りてきて、なんとも気持ちの悪い温度になっていた気がする。普段は部活の朝練で早い電車に乗るから人も少ないし座れることだってあったのに、夏期講習期間に入った部活引退後の受験生にとって、いつもより遅い電車が地獄だなんて想像できるわけが無いし、さらにその電車で痴漢に合うなんて想像もしているわけがない。
ましてや、学校では王子様と称される女子が痴漢に合うなんてそんな事考えると思う?
答えは当然、『いいえ』だ。
夏で程よい露出と普段女子に囲まれているが故の油断。
自分は女だと実感させられる行為に怖くなったし、意外と声が出ない物なのだと気づいた。あの背後でお尻を弄られる感触と生温い温度の感覚に戸惑った。
あの時は目の前にいた男性に助けられて、下りる予定の無い駅で降りる事になった。
抱き寄せられたときの、甘いムスクの大人の香りと、自分よりも頭1つ分程高い身長と、広い肩幅にすっぽりと包まれて抱き上げられたのは、ちょうどこの間神崎部長に助けられた時と同じ感じだった。
きっと、イケメンで日本人離れした人たちは、痴漢にあった女性にはみんなああやって助けているんだ。
あの人と神崎部長が同一人物とは考えにくい。だって、あのときの人はもっと髪の毛が明るかった。
神崎部長も少し茶色がかっているけれど、もっと明るい色をしていたから間違いない。
ブロンドに近かったかもなぁー。
「ん~!! 暑い!」
少しだけ小さな声でそう口にして、自分に渇を入れる。昔の思い出も、その声で吹っ飛ばす。
なんて言ったって、これからが正念場なんだ。1週間前の出来事でまごまごしている暇は無い。
神崎部長と付き合うことに(なっているらしい)なってから、私は私で忙しかったし、神崎部長の部署の方も、どうやら相当に忙しいらしかった。1週間、何の変化もない生活だから、余計に実感が湧かないのかも。
ランジェリー部門が立ち上がって、軌道に乗ってから初の売り出しが差し迫り、20代後半~30代後半をターゲットにした百貨店販売と、10代~20代前半をターゲットにしたファッションモールやビルでの販売に分かれて企画を取っているらしく、その調整や開店準備に、営業も販売も企画も関係なく借り出されているらしい。
うちの部からも数人の新人女子が手伝いに派遣されたが、話を聞く限りみんな相当な忙しさとスケジュールで動いているらしい。
まずは、関東と関西に2店舗ずつ出店して様子を見るようだけど、既に始まっているネット販売で完売が相次いでいるらしいので全国出展は目に見えている。
何せ、デザイナーが今話題の、パリコレ雑誌の『mode De Emode』でも取り上げられている人なのだから、注目も集めている。
挙げ句、そのデザイナーがこの間、日本の番組で取り上げられ、密着取材を受けていた。
そんな人と仕事をしているのだから、忙しくならないわけがない。
だから、あの日から1週間ほどたった今日まで…むしろ今後も暫くは会えずに過ごす日々が続きそうで、私は本当に付き合っているのか確かめる術も無いというのが現実。
でも、そのほうがむしろ助かっている。思い出すだけでこんなになってしまうのだから、本人を目の前にしたら、いったいどんな顔をして会えばいいのか、分からずにテンパってしまうのが落ちだ。
暑いテラスからビル内に入ると、クーラーの冷房が気持ちよく、火照った全身を冷やしてくれた。
ひとまずは自分を落ち着けて、私も春のコスメ企画と冬企画を進行させるために動かなくてはいけない。今日の部内ミーティングでは冬企画を進行しているチームから進捗が下りてくるから、それをまとめて営業先にスケジュールを送るのと、夕方は少し店舗回って市場調査しようかな。
カツカツとヒールの響く音を耳にしながら、再度仕事モードの自分を作っていく。
「え、どうしたの?」
部内ミーティングの行われる室内は、なぜかどよんと重い空気がよどんでいる。
小田ちゃんの隣に腰をかけると、重い空気を気遣って小田ちゃんが顔を寄せてざっくりとした経緯を小声で教えてくれた。
今ランジェリー部門に派遣している新人女子2人が今週付けで辞めると言い出したらしい。なんでも仲違いしたらしく、理由は聞いても教えてもらえないまま2人ともランジェリー部門の手伝いはおろか、冬企画の連絡やスケジュール管理もおろそかになってしまっているらしい。
そのシワ寄せが冬企画のチームのリーダーに行き、リーダーのシワ寄せを新主任の子が担当することになり、新主任は慣れない事をしている上にさらにストレスが祟って胃痛が酷くなっているのだとか…。
今は、その全体のシワ寄せをどこのチームの誰か請け負うかというのを各チームが考えてしまっていて、それだけでゲロりそうな状態になっているのだとか…。
「どうするんでしょうか?」
「どうするもこうするもねぇ~…安田さんとこは夏の企画動いたばっかりで手が回らないだろうし、さんちゃんとこは秋の企画とウエディングコラボの話で手一杯でしょう…となったら、私じゃない?」
「先輩、これ以上仕事増やしてどうする気ですか? 通常業務に、営業周り増やして、企画の調整と進行に管理…それに加えて時間も無い冬企画にまで手を出したら、家に帰られなくなりますよ?!」
気遣ってくれているのか、呆れているのか、小田ちゃんが眉を上げて小声で迫ってくる。
まぁ、正直抱えたくは無いけれど、冬の企画はイベントも多いからコスメ部門の華でもある。クリスマスにバレンタインとホワイトデーに成人式なんかもある。こういうイベントが多い時期の企画チームのリーダーと主任は新任と決まっている。
後のチームが支えて育てるために1年の一大イベント目白押しのシーズンを新任たちに任せるのは通例行事。もちろん2年前の私もその通例行事を任されたし、いい経験にもなった。
横溝部長もどうしたもんかと眉間に皺を寄せて、チラリと私を見た気がした。
いや、分かっておりますとも。
ここで一番時間的余裕があって、まだまだ春企画は調整できる位置にいる私が引き受ける事が、恐らく一番の解決策だ。
まぁ、忙しくなるけどしゃーない!
「冬企画、どこまで進行進んでて、今後のスケジュールがどうなってるのか共有してくれる? それから各営業先に改めてスケジュール調整も入れないといけないだろうからその取引先リストも用意しておいて。辞めるって言ってる2人だけど、チームを分けて一度こちらに戻しましょう。今ギクシャクしている中においていても向こうさんの邪魔になるだろうし。代わりにその子たちから小田ちゃんと関根さんが引継ぎして派遣行ってきて欲しい。2人の引継ぎは高木君にお願いします」
「…高木でいいのか?」
少し眉間に深めに皺を入れた横溝部長が険しい表情を私に向ける。
つい先日まで頼りなかった新卒に2年目の先輩2人分の仕事を割り当てようというのだ。しかも今までは補助的なことしかさせていないし、それ以上の指示もしていない。
「高木君、最近はかなり呑み込みが速くなっています。それに元々頭の回転は速いし、効率を上げる工夫もあるようだったので、倉庫整理も資料整理も頼めばすぐ終わっていたみたいです。今、仕事に真剣に取り組む姿勢が生まれている彼に少し重さのある責任を乗せても折れはしないと思っています。もちろん、フォローはしますし、こちらも気にかけますが……本人にその気が無いようなら別の人員に配分します」
私の言葉に、周りの視線が自然と高木君の方へ注がれていた。
驚きと焦りもあるのか、少し不安そうな高木君に私も視線を合わせた。半年前よりもしっかりとした目になっているし、取引先からの評判も少しずつだが上がってきている。今この右肩上がりのときに任せる方が彼の為にもなると思っている。
「でも…」
「私も、今の高木君になら任せられるので、そのほうが安心です。ランジェリー部門には女性スタッフの方が助かると言われているのも理解しているので、動ける私と関根さんで向かう方が無難です」
小田ちゃんが続けて横溝部長へ声をかけた。
腕を組んで、じっと高木君の発言を待っているのか、いつもの優しく明るい熊部長ではなく、もうグリズリー級の迫力を放つ営業マンが新人に視線を投げている。
こりゃ、かなり怖い。
「高木、できるのか? これまでのようにミスして俺たちがちょっとフォローしたら終わりという責任じゃない。ミスの内容によっては会社レベルで動くことになりかねない。その責任を、お前はちゃんと全うできるか?」
「…で、できます!」
少し噛み気味だけど、やっと返事が出来た高木君に、その場の人間がふぅっと息を吐いた。
緩んだ空気の中、今後の調整と夏企画の実績と目標達成率、口コミと改善が述べられ、秋企画の方は最終デザインとポスター、広告案、プレリリースの予定日案内が入り、冬企画は後で私がミーティングに入って調整することになった。
「春企画は、今は社長決裁に入っています。内々では可決の話が上がっているので、取引先へのスケジュールは高木君に調整をお願いしています。ポスターのデザイン案は一般公募する形で大筋が決まっていますし、今新たに海外モデルの選定もしています。社長決裁が可決次第、公募の募集の告知をするようにします。既にいくつかの専門学校や大学等には声をかけております」
「よし。もう一回工数直してもってこい。冬と一緒だと飯塚の負担がでかいから、工数足りないだろうし、調整しておけ。以上!」
ピリピリとした空気のミーティングが終わって、そのまま冬企画の方のミーティングに顔を出す。
ゲンナリした雰囲気に喝を入れて、新主任の子にはフォロー入れるから最後までやりなさいと声をかけた。
それは、2年前に私が横溝部長に掛けられた言葉と同じ。私も辛いと思う時があった。だからこそ、助けられる事の有り難さを知る事ができた。
私も、まだまだ助けてもらってばかりだからこそそれをこういう形で返せるのにはある意味で感謝するべきかな。
夕方、少し雨のぱらつく中で色んな事を思い出しながら、営業回りに気合いを入れ直した。
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