28歳 喪女な私の愛され開発生活

甘噛屋

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第五章 奪わせない愛し愛され開発生活

35 ―神崎 side―

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 ここに来て…漸く全身から“愛している”を伝える事ができる人に出会えたというのに、どうして肝心な時に邪魔が入るんだ。


 郁からの電話も、マッテオからの母の伝言も、あの家のあの人から涼子を守るためのものだったのにそれに気が付かなかった。

 挙句の果てには、おそらくだが…かなり昔に聞いたマッテオの日本留学中に出会ったという初恋の女子学生は…涼子だ。

 じゃなければ、マッテオに涼子を会わせたい等と寺崎が言うはずがない。

 本当に最悪すぎる。全てのタイミングが最悪だ。


 そして今…



 「洋司さん」

 「…寺崎…さん」


 会社からの帰宅間際の俺の目の前に、寺崎 百合恵が上品な笑顔で佇んでいるのも、最悪のタイミングだ。


 「あら、“寺崎さん”だなんて…寂しい呼び方はやめませんか? 昔のようにユリと呼んで下さい」

 「…君とのことはあの人が勝手に言い始めて勝手に進めていた話だ。俺は大学を卒業した時に正式に断ったはずですがね」

 「それは洋司さんが勝手になさったことで、私に洋司さんとの婚約を断った記憶はありません」

 にっこりと笑顔を浮かべてはいるが、その顔は明らかに穏やかではない感情を潜めている。

 「それに、約束して下さいました。…私が学生でなくなった時、物事を自分で判断できるようになったら結婚を考えてもいいって」

 「…いつの話をして」

 「いつまでだって。洋司さん…こんな所では埒が明きませんから神崎家に場所を移しませんか? 本当に今度こそ正式に断るにしてもそこへ行く方が話が早いとは思いませんか?」


 笑顔で持ちかける寺崎の提案は、名案とは言えない。

 だが、最終的には神崎の家に行って話をしなければ行けない事も事実だ。

 それでも、今日は涼子の所に帰ってきちんと話をしたい。

 このまま行けば帰って来られるかも分からないしな。


 「今日の所は断ります。後日、改めて挨拶と涼子を紹介しに行きますから」

 「…紹介って、涼子さんと結婚するつもりなんですか?」

 「そのつもりがあるから、俺は彼女と真剣に付き合っているし、彼女以外の女性と結婚するつもりなどないからね」

 「…彼女に、そのつもりがあると思っているんですか? 彼女が洋司さんの奥さんに相応しいと本気で?」


 体の前で上品に合わさっている手に明らかな力み具合を見せて、寺崎の表情がほんのわずかに歪んだ。

 神崎に行けば俺が逃げられない状況を作れると思っていたであろう事は十中八九読み取れる。

 14歳も年の違う彼女の家とは、なんだかんだと神崎の家に法事やなんかで顔を出すと会ってしまう程の関係がある。

 本当に幼い頃から事ある毎に『洋兄のお嫁さんになるのよ』と可愛らしく周りに自慢していた彼女を、あの窮屈な家の空気の中で可愛らしい妹だと愛でていた時代もある。

 それが、いつの頃からか可愛らしい妹扱いを嫌がり、しまいには当時大学に通っていた俺の上に下着姿で跨り、既成事実を作ろうと強硬手段に出た彼女に恐怖すら覚えた。


 「彼女にそのつもりが今無くとも、俺がその気にさせるし、俺の嫁に相応しいと思う人間は俺自身が決める。赤の他人である君には関係のない話だ」

 「っ…なぜっ!! 私はずっと待っていたのに! ずっとずっと…」


 涙を堪えて固く握った拳にまた力が入れられたのがわかるほど、白く色が変わっている。

 何がこんなにこの子を追い詰めたのか…あの時、バカバカしいと思って適当にあしらう為に幼い君に口付けをして『お前が自分で自分の事を決められる大人になったら、考えてやるよ』なんて適当な逃げ口上を使ったせいか?

 いや、例えそうだったとしても…ここまで俺や神崎の家に固執しているのは、おそらくではあるがあの人の教育的指導の賜物だろうな。

 口を付いて出るため息を飲み込んで、もう何度目か分からない、あの日彼女が来た時の事を思い出して口を開いた。


 「涼子が入社する前の企画営業部はかなり荒んでた。部内でのパワハラもセクハラも皆見て見ぬフリをするし、業績も思わしくなかった。ちょうど他社に一部吸収されるかもしれないという話まで出て、社員の士気が下がり始めている時でもあった。そんなときに次の新卒社員が半年間のインターンに来る話になって出会ったのが涼子だよ。当時から背筋のピンと伸びたキレイな子で、なぜか俺の目には一番輝いて見えた。人に頼る事もなく、媚びる事もなく、理不尽な上司の要求にも全力で応えて自力でその場に立って歩こうとする彼女の背中に、俺の視線は気付いたら釘付けで…いつだってその背中を探して、捕まえてみたいという衝動を抑えるのに必死だったよ」


 当時の部長はすこぶる悪い評判でしか有名になれない程のクズ役員だった。自分が常務の親戚だからとふんぞり返っていた嫌なやつ。そんな人間に理不尽に怒られ、暴言を吐かれ、見た目を影でバカにされ、ひどい仕打ちを受けたのに、涼子はそれに屈服することも弱みを見せることもなく必死で食らいついていた。

 そんな彼女が、半年の中で一度だけ…たった一度だけだ。


 「いつもは凛と伸びた背中を丸めて、声を殺して泣いていた。原因なんて1つしかないが、その背中を見たときにはもう俺自身の気持ちには抗えなかった。…守りたい、支えたい、その背中を抱きしめたい…そんな衝動に駆られたのは初めてだったし、そんな女に出会うこともこれから先にはないと思っていたからな。逃せるわけがないんだよ」

 黙って話を聞いていた寺崎は、どちらかというと涼子とは逆の立ち回りをしてこれまでやってきた人間だ。うまく人を使い、頼り、時には媚びて自分に有利に事が運ぶように働きかける。涼子にはない策略に富んだ人間だと思う。だから、この会社の受付にも滑り込めたのだろうし、マッテオに仕事を振ることだってできたんだろう。

 それは彼女の強みだろうし、きっと誰にでもできる事ではない。それを魅力と感じる人間もいるだろうし、現に俺のような40前のおっさんでなくともいい話は来ているはずだ。

 それを蹴ってまで俺に固執するのは、当時の俺が余りにもいい加減に彼女をあしらったからかもしれない。…いや、子どもだからとバカにしすぎたのかもしれないな。


 「…ユリ」

 「っ…ず、るい!」

 「あぁ、すまない…でも、俺はこれから先にどんな事があっても、ユリを妹以上には思えない」

 「…こんな…こんな時だけっ…あの人のせいですね」

 「それはっ」

 「洋司さんがそんなに…優しい顔付きで、穏やかに私を振るのは、あの人のせいなんでしょう? 相手があの人でなかったら…よかったのに…」

 「ユリ…」

 「洋司さんがNYから戻ってくる前から、私あの人の事を知っていたんですよ? 直接お話した事はありませんが、あの人…飯塚さんの評判は別の部署にいても聞こえてきていました。何度かお見かけした姿も、女の私から見たってかっこいいと感じるほど…密かに憧れて、嫉妬していました」


 ユリは大きく溜息を付いて、涙目の顔を上げると昔のような無邪気な笑顔で俺と目を合わせた。


 「あれこれと迷惑をかけてすみませんでした。飯塚さんにも随分とひどい事を言ってしまったので、また後日改めて謝罪させて欲しいとお伝え下さい」

 「あぁ」


 ユリ自身、なにかが吹っ切れたように清々しい表情でいた事に、少し俺の気持ちも晴れた気がした。

 あとの問題は涼子と、あの人への挨拶だけだな。

 涼子が待っているであろう自宅へ、いつもよりも急いた歩幅で帰路についた。


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