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「あ、ああ。そういえば昌から薬預かってたんだった」

 沈黙に耐え兼ねたのか。

 この場の空気を掻き消すように正吾が話題を切り替える。

「薬?」

「えーと、豊胸薬ってヤツ? 不老不死なんて薬の内容上、そのままサイトに書くのは難しかったとはいえ、誤解させて間違った薬渡してしまって悪かったと伝えてくれって頼まれてて――」

 本当は直接、昌の方から渡しに行くのが筋だとは本人も言っていたのだが、受け渡しは出来るだけ早い方がいいだろうけど自分は少しでも早く正吾の治療薬を作らないといけないから、渡しておいてほしいと伝えられたと正吾は付け加え話を続ける。

「そっちの薬なら三百万もしないそうだから、差額も返金するってさ」

「……そういえば、アンタにまだ伝えてない事あったわ」

 よかったじゃないかという雰囲気を言葉に乗せて話す正吾とは裏腹に。

 どこか重たいものを滲ませながら奈緒は立ち上がると、ちょっと待っててと断って何かを取りに行く。

「……これ、見てもらえる?」

 戻ってきた奈緒の手に握られていたのは一枚の写真であり、そこには一人の若い女性が写っていた。

 高そうなパーティー用のドレスを着ているが、写真からも感じられる程に本人自身に気品というものが備わっており、服に着られているという感が一切ない。

 それでいて近寄り難さを感じさせない穏やかそうな笑みを浮かべており、それが逆に育ちの良さのようなものを自然に見せ付けてきているようで――

 別世界の、一生関わり合う事がなさそうな遠い人間のように正吾に思わせる。

「有栖川さんの母親か?」

 けれど、その雰囲気にどこか奈緒と似たようなものを覚えて。

 ただ確認するように、そんな言葉が口から飛び出た。

「……全然似てないのに、よく解ったわね」

「あー。言われたら全然似てないな……」

 さっき豊胸薬の話なんかしてたせいか、真っ先に胸を比べてしまうがドレスだから強調されている部分を差し引いても大きさは比べるまでもないし。

 目も髪も赤い奈緒と違って、黒髪黒目だ。

「ただ何か姿勢? みたいなのが妙に有栖川さんに似ている気がしてな……」

 優しそうな笑顔の割に何か堂々としていて、結構意志が強そうというか。

 ドレスの似合うお姫様という言葉よりも、ドレスも似合う女傑というような雰囲気を感じるのだ。

「……アンタと違う出会い方してたら、こんな薬欲しがらなかったのかもしれないわね」

「有栖川さん?」

 噛み締めるように呟かれた言葉の裏に何が込められているのか解らなくて。

 思わず名前を呼んだ瞬間――

「私、捨て子なのよ」

 何でもない事のように。

 自然過ぎて逆に不自然に聞こえる程、呆気なくそんな言葉が部屋に響いた。

「この目と髪のせいなのか、それとも他に理由でもあったのかしらね? 気付いた時には孤児院に居たわ」

 それでまだ私が小さかった頃に拾ってくれたのが、この家なのと付け加えて奈緒は話を続けていく。

「私ね、本当は髪の毛とか黒く染めたかったし、目もカラーコンタクトとか入れて黒くしたかったの。だって鏡とか見る度に私ってお義父様とお義母様の子じゃないって言われてる気分になるから」

「……」

「けどね、それは許さないってお義母様言うの。ファッションとして髪の毛を染めたいなら考えない事もない。でも、自分を否定する為に姿を変えるのは絶対に許さないって」

「……厳しい人なんだな」

「ええ、厳しいわよ。だってこんな髪だから私捨てられたんでしょ。こんな髪なんて要らないって泣いてた小さかった私に何て言ったと思う?」

「綺麗だし自信を持て、とか?」

「誰よりも立派になって捨てた親を見返してやりなさい、よ。その髪はアナタを捨てた親を悔しがらせる為の目印よ、だって。笑うでしょ?」

「すげえ親だな……」

「ええ、すっごいでしょ」

 私その時まだ、十歳くらいだったのよなんて笑いながら告げる姿は本当に楽しそうで。

 それで奈緒が両親に対して、どう思っているか正吾は解った気がした。

「本当はね、私も解ってるの。姿とかそういうのを近付けたって何にもならないって事くらい、さ」

「うん」

「でもね、諦め切れなかった。写真じゃ解り難いけどお義母様って私みたいにでっかくもないしね。目も髪も身長も何もかも似てなくて。顔付きだって私結構きつい感じで、お義母様みたいに可愛らしくないじゃない? それならせめて胸くらいは近付きたくて、さ……」

「…………」

 笑っちゃうでしょなんて誤魔化すように笑う姿に、何を言えばいいか解からず返事に詰まる。

 ただ一つだけ、他に解った事がある。

「悪いな。そりゃ親殺しなんて噂あった俺なんか目障りにも程があっただろ……」

 きっと奈緒は母親の言葉通り。

 いつか自分を捨てた親が悔しがる程に立派になるんだと、その一環として勉学に励んだのだろう。

 そんな中、立ち塞がったのが正吾だったという訳だ。

「アンタが謝らないでよ。全部私の勘違いで八つ当たりだった。だから今までごめんって私が謝る話の流れでしょうが……」

 事実、奈緒が正吾に嫌味や皮肉ばかり言ってた理由はそれだ。

 自分は物心付く前に捨てられたのに。

 親殺しなんて噂が出るような親不孝者に、一度もテストの成績で勝てないのが悔しくてもどかしくて。

「本当にごめん。自分だけが不幸なんだって勘違いしてた」

 けれど、もうその事で正吾を責めたいなんて奈緒には思えない。

 思える訳がなかった。

「あー、その、なんだ……」

 奈緒が八つ当たりしたくなったのも無理ない事だろうと思ってしまうだけに、真っ直ぐ謝られるとどうにも居心地が悪い。

 けれど気にするなというのも何か違う気がして。

「今も髪の毛、染めたいとか思ってるのか?」

 咄嗟に正吾の口から飛び出したのが、そんな言葉であった。

「本音言うと割とね。地毛だって知らない奴等からは気合入った不良みたいに思われるし、慣れてもらえるまでは頭チラチラ見られるし、良い事なんて何一つないもの」

 話を逸らした理由に何となく気付いているのだろう。

 急に何なのと問い返す事もなく、奈緒は本音で自分の髪に対する気持ちを告げていく。

「俺ってさ、赤色って母に浴びせられた血思い出すから苦手だったんだ。実はその辺もある上に嫌味ばっか言ってくる有栖川さんって凄い苦手だった」

 この気持ちを告げれば傷付ける事くらい正吾にだって解っていた。

 事実、ビクリと身体を震わせる姿に申し訳なさを覚えるが―― 

「それでも屋上から落ちたあの日、月明かりの下で見た有栖川さんの姿は綺麗だって思ったよ。俺が赤色を綺麗だって思えたのは、あの時の有栖川さんの髪だけだ」

 怖がらせる事になっても伝えておきたかったのだ。

 そんな自分でさえ、目を奪われずには居られないくらい綺麗だった、と。

「正直、見惚れた。そのせいで反応遅れて、有栖川さんには間の抜けたイラつく声なんて言われたけどな」

 実際、相当に間の抜けた声だっただろう。

 あの日、月明かりを受けて煌めく彼女の姿はあまりに神秘的で現実味なんてなくて。

 声を掛けられても、同じ人間だなんて全く思えなかったんだから。

「……何で今、そんな事言うのよ?」

「元に戻ったらさ、この時の思い出も全部殺された怒りや憎しみで歪んじゃいそうじゃないか。だから今の内に伝えておこうと思ってな」

「……そう」

「ああ、少なくともこれは静音への気持ちとかは関係ないぞ。屋上から落ちる前の感想だからな。だから、その、なんだ……」

 良い事なんて何一つもないとか言わないでくれ、と続けようとして。

 けれど、自分なんかに綺麗だなんて言われても何の慰めにもならないと途中で頭に過ぎって言葉を続けられず。

「……ばーか。格好付けるなら最後まで格好付けなさいよ」

 そんな正吾の姿に。

 奈緒は言葉とは裏腹に、心底嬉しそうに笑ったのであった。
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