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第1話 憂鬱な書記官その3/4
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3.欺瞞の英雄
気分転換に窓の外へ目をやると、太守府の裏手にある兵糧倉庫が見えた。そこでは、下級役人たちが泥にまみれた荷車を洗っている。夕暮れの光の中で、水しぶきが舞っている。その中に、一人の真面目そうな青年がいた。
「おい柳安(りゅうあん)。そんなに丁寧に洗わなくてもいいだろう。どうせまた汚れるんだ。適当でいいんだよ」
同僚が呆れたように声をかけている。しかし、柳安と呼ばれた青年は、手を休めずに笑顔で答えた。汗と泥にまみれた顔だが、その瞳は澄んでいる。
「そうはいかないよ。車輪に泥が詰まれば、それだけ馬の負担が増える。一粒の麦でも多く前線に届けるためには、こういう準備が大切なんだ」
「へいへい、立派なこって。お前が頑張っても、給料は上がらないのにな」
遠くから見ていた向朗は、ため息をついた。
(……柳安、か。彼とは何度か話したことがある。真面目で、お人好しで、正義感が強い)
柳安は、この腐敗した役所の中で数少ない、清廉な心を持つ若者だった。彼は本気で、この国の平穏を願って働いている。だが、向朗の手元の帳簿には、柳安が命がけで運ぼうとしている麦が、最初から三割も抜かれているという事実が記されている。彼の努力は、賈仁の私腹を肥やすための踏み台にされているだけなのだ。
(ああいう馬鹿正直な奴が、一番損をするんだよなぁ、この世の中は)
向朗は胸の痛みを覚えたが、それを空腹のせいだと言い聞かせ、仕事を急いだ。
夕刻。仕事を終えた向朗は、逃げるように太守府を出た。しかし、正門の前には人だかりができており、道が塞がれていた。視察から戻った督郵・賈仁の行列だ。
騎馬隊に守られ、煌びやかな鎧に身を包んだ賈仁が、立派な馬車から降り立つ。恰幅の良い中年男で、その顔には自信と、いかにも人が良さそうな慈悲深そうな笑みが貼り付いている。
「おお、皆、精が出るな。今日も賊の討伐は順調だぞ。安心するがよい」
「賈仁様だ!」「賈仁様万歳!」「あなた様のおかげで、夜も安心して眠れます!」
民衆が歓声を上げる。彼らにとって賈仁は、乱世の不安から守ってくれる守護神なのだ。
その時、賈仁がわざとらしく足を止めた。沿道にいた汚れた身なりの老婆に歩み寄ると、懐から小銭を取り出して握らせたのだ。
「これで温かいものでも食べなさい。苦労をかけるな」
「ああ、なんとありがたい……!賈仁様は仏のようだ!」
涙を流して感謝する老婆。湧き起こる拍手。
向朗は、人ごみの後ろからその光景を冷ややかに見つめていた。
彼の観察眼は、群衆の中に紛れた数人の男たちが、不自然なタイミングで「万歳」と叫び、周囲を扇動していることを見逃さなかった。
(サクラまで用意しているのか。芸が細かいな)
そして、賈仁の笑顔の下にある、爬虫類のような冷たい目にも気づいていた。老婆を見る目は、人間を見る目ではない。家畜を見る目だ。
(帳簿の上では、数千人分の食料を闇に消しておいて、小銭一枚で英雄気取りか。……計算が合わないにも程がある)
激しい吐き気を覚え、その場を立ち去ろうとした、その時だった。
気分転換に窓の外へ目をやると、太守府の裏手にある兵糧倉庫が見えた。そこでは、下級役人たちが泥にまみれた荷車を洗っている。夕暮れの光の中で、水しぶきが舞っている。その中に、一人の真面目そうな青年がいた。
「おい柳安(りゅうあん)。そんなに丁寧に洗わなくてもいいだろう。どうせまた汚れるんだ。適当でいいんだよ」
同僚が呆れたように声をかけている。しかし、柳安と呼ばれた青年は、手を休めずに笑顔で答えた。汗と泥にまみれた顔だが、その瞳は澄んでいる。
「そうはいかないよ。車輪に泥が詰まれば、それだけ馬の負担が増える。一粒の麦でも多く前線に届けるためには、こういう準備が大切なんだ」
「へいへい、立派なこって。お前が頑張っても、給料は上がらないのにな」
遠くから見ていた向朗は、ため息をついた。
(……柳安、か。彼とは何度か話したことがある。真面目で、お人好しで、正義感が強い)
柳安は、この腐敗した役所の中で数少ない、清廉な心を持つ若者だった。彼は本気で、この国の平穏を願って働いている。だが、向朗の手元の帳簿には、柳安が命がけで運ぼうとしている麦が、最初から三割も抜かれているという事実が記されている。彼の努力は、賈仁の私腹を肥やすための踏み台にされているだけなのだ。
(ああいう馬鹿正直な奴が、一番損をするんだよなぁ、この世の中は)
向朗は胸の痛みを覚えたが、それを空腹のせいだと言い聞かせ、仕事を急いだ。
夕刻。仕事を終えた向朗は、逃げるように太守府を出た。しかし、正門の前には人だかりができており、道が塞がれていた。視察から戻った督郵・賈仁の行列だ。
騎馬隊に守られ、煌びやかな鎧に身を包んだ賈仁が、立派な馬車から降り立つ。恰幅の良い中年男で、その顔には自信と、いかにも人が良さそうな慈悲深そうな笑みが貼り付いている。
「おお、皆、精が出るな。今日も賊の討伐は順調だぞ。安心するがよい」
「賈仁様だ!」「賈仁様万歳!」「あなた様のおかげで、夜も安心して眠れます!」
民衆が歓声を上げる。彼らにとって賈仁は、乱世の不安から守ってくれる守護神なのだ。
その時、賈仁がわざとらしく足を止めた。沿道にいた汚れた身なりの老婆に歩み寄ると、懐から小銭を取り出して握らせたのだ。
「これで温かいものでも食べなさい。苦労をかけるな」
「ああ、なんとありがたい……!賈仁様は仏のようだ!」
涙を流して感謝する老婆。湧き起こる拍手。
向朗は、人ごみの後ろからその光景を冷ややかに見つめていた。
彼の観察眼は、群衆の中に紛れた数人の男たちが、不自然なタイミングで「万歳」と叫び、周囲を扇動していることを見逃さなかった。
(サクラまで用意しているのか。芸が細かいな)
そして、賈仁の笑顔の下にある、爬虫類のような冷たい目にも気づいていた。老婆を見る目は、人間を見る目ではない。家畜を見る目だ。
(帳簿の上では、数千人分の食料を闇に消しておいて、小銭一枚で英雄気取りか。……計算が合わないにも程がある)
激しい吐き気を覚え、その場を立ち去ろうとした、その時だった。
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