落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪

こくせんや

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第3話 水鏡塾の異端児たち4/6

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5.友との誓い

講義を終えた徐福は、逃げるように学問所を出た。
夕闇が迫る陽翟の街は、家路を急ぐ人々の活気と、炊事の煙の匂いに包まれていた。
徐福の頭は、慣れない講義と嘲笑の嵐でズキズキと痛んでいた。だが、懐に入れた竹簡の重みだけが、今の彼にとって唯一の確かな手応えだった。向朗が「復習しろ」と無理やり持たせたものだ。

「……おう、徐福!こっちだ、こっち!」

大通りの一角、古びた柳の木の下で、手を振る男がいた。
徐福の幼馴染であり、唯一無二の親友、柳安である。彼は徐福とは対照的に、小柄で温和な顔立ちをしていた。
着ている服は粗末な麻だが、綻びは丁寧に繕われ、彼の誠実な人柄を表すように清潔に保たれている。彼は手にした包みを掲げ、人懐っこい笑顔で駆け寄ってきた。

「遅かったな。ほら、饅頭買っておいたぞ。まだ温かい」
「柳安……。わりぃな、腹減ってたんだ」

徐福は包みを受け取らず、獣のようにかぶりついた。湯気と共に広がる小麦の甘みが、疲労した脳に染み渡る。柳安はそんな徐福を見て、嬉しそうに目を細めた。

「どうだった?天下の水鏡塾は」
「……地獄だ。剣で斬り合う方が百倍マシだぜ」

徐福は口元の粉を拭いながら、大きくため息をついた。
「どいつもこいつも、気取った言葉ばかり使いやがって。俺の言葉なんざ、誰も聞きゃしねえ。……文字が読めねえってのが、こんなに惨めだとは思わなかった」

弱音だった。他人の前では決して見せない徐福の弱さ。
それを晒せるのは、この世で柳安の前だけだった。柳安は苦笑し、懐から手巾を取り出すと、徐福の顔についた墨の汚れを拭ってやった。まるで、出来の悪い弟の世話を焼く兄のように。

「最初はみんなそうだろ。お前は昔から、やると決めたらテコでも動かない男だ。剣だって、最初は棒切れを振り回してただけじゃないか」
「剣と筆は違う。筆の方が重てえよ」
「ハハハ、天下の暴れん坊・徐福が聞いて呆れるな」

柳安は笑い、徐福の乱れた襟元を直した。
その手は、倉庫番の仕事で荒れていたが、どこまでも優しかった。

「でも、俺は嬉しいよ」柳安が静かに言った。

「お前が剣を置いて、学問を志してくれたことが。……お前は頭がいい。俺なんかよりずっと、物の道理が分かってる。ただ、学ぶ機会がなかっただけだ」

柳安は、徐福の腰にある剣ではなく、墨で汚れた指先を見つめた。
「その指の墨は、お前が変わろうとしている証だ。俺には分かる。お前はきっと、立派な役人になって、俺たちみたいな貧乏人が泣かなくて済む世の中を作ってくれる」

「……よせよ。俺はそんな大層な人間じゃねえ」
「いいや、なれるさ。俺が保証する」

根拠のない、しかし絶対的な信頼。それが徐福には何よりも眩しく、そして痛かった。こいつは、なけなしの給金を削って、俺の学費や生活の足しにしてくれている。自分が一番苦しいはずなのに、いつも俺のことばかり心配している。

「……なあ、柳安」徐福は饅頭を飲み込み、真剣な眼差しを向けた。

「俺がモノになるまで、もう少し待っててくれ。必ず出世して、お前を楽させてやる。あのボロ屋敷じゃなくて、広い屋敷に住まわせてやるからよ」
「ああ、楽しみにしてるよ」
柳安は微笑んだ。だが、その笑顔の端に、ふと暗い陰りが差したのを、徐福は見逃さなかった。

「……おい。何かあったのか?」
徐福が鋭く問う。柳安は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにいつもの穏やかな顔に戻って首を振った。
「い、いや。なんでもないさ。ただ……仕事が少し忙しくてな」
「仕事?倉庫の管理だろ?」
「ああ。督郵……賈仁様が、在庫の検査に厳しくてな。少し、帳尻を合わせるのに苦労してるんだ」

「賈仁……?」徐福はその名を反芻した。最近、街で悪評を聞く名前だ。賄賂を要求し、従わない商人を言いがかりで捕縛しているという噂がある。

「大丈夫なのか?あの督郵は……」
「平気さ。俺は真面目にやってる。何もやましいことはない」

柳安は、徐福の不安を打ち消すように、明るく努めて徐福の背中を叩いた。
「お前は余計な心配しなくていいんだよ。今は勉強に集中しろ。……俺たちの希望の星なんだからな」
「……ああ」

徐福は頷いたが、胸の奥に小さな棘が刺さったような違和感は消えなかった。
柳安の笑顔は、どこか無理をしているように見えた。守るべきものが多すぎる者の、必死の笑顔。

「じゃあな、徐福。明日も頑張れよ!」
分かれ道で、柳安が手を振る。夕日に伸びるその影は、ひどく細く、頼りなく見えた。
徐福は、友の姿が見えなくなるまで、ずっとその場で見送っていた。

「……待ってろよ、柳安」
徐福は拳を握りしめた。
指先に残る墨の匂いと、口に残る饅頭の甘さ。この友の優しさを守るためなら、俺はどんな屈辱にも耐えてみせる。あの気取った貴族たちの中で、泥水を啜ってでも這い上がってみせる。

そう誓った徐福だったが、彼はまだ知らなかった。
この時すでに、友の背後に、抗いようのない権力の闇が口を開けて待ち構えていることを。
そして、この夕暮れの語らいが、二人にとって平穏な最後の記憶になることを。

風が吹き抜け、柳の枝がザワザワと不吉な音を立てて揺れた。
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