落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪

こくせんや

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第5話 法の死と修羅の目覚め 1/3

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1.沈黙の処刑台

陽翟ようてきの空は、重い鉛色に閉ざされていた。
湿った風が、これから流れる血の匂いを予感させるように、広場の砂埃を巻き上げている。早朝の市場広場には、すでに黒山のような人だかりができていた。

普段の市(いち)ではない。見せしめの処刑という名の「娯楽」を貪るために集まった、好奇と憎悪に満ちた群衆だ。彼らは日々の貧しさと鬱屈の捌け口を求め、その目は血走り、口元には卑俗な期待が滲んでいた。

広場の中央には、急造の処刑台が組まれている。その周囲を、督郵・賈仁かじんの私兵と郡の正規兵が幾重にも取り囲み、槍の穂先が鈍色の空の下で冷たく光っていた。

「放せ!放せぇッ!俺を行かせろ!」

人垣の最前列で、徐福が獣のように唸った。
その両腕を、向朗と石韜が死に物狂いで抑え込んでいる。二人の全体重をかけても、徐福の体から噴き出す異常な熱と剛力を抑えきれそうになかった。
徐福の視界は怒りで明滅し、血管という血管に熱鉄が流し込まれたような熱さを感じながらも、思考の芯だけはどす黒く、冷たく透き通っていた。

「馬鹿野郎!今飛び出せば、お前も賊の仲間として即座に殺されるぞ!」

石韜が耳元で叫ぶ。

「まだだ、徐福。まだ尋問の機会があるはずだ。そこで柳安が真実を叫べば、民衆も気づく。彼らはただ、騙されているだけなんだ!」

向朗の声は震えていた。それは徐福への説得であると同時に、崩れ落ちそうな自分自身への祈りでもあった。だが、その儚い希望は、無慈悲に打ち砕かれる。

ジャリ、ジャリ、という足音と共に、罪人が引き立てられてきた。柳安だ。たった一晩。彼は別人のように変わり果てていた。かつて友に優しく微笑みかけていた顔は原型を留めぬほど腫れ上がり、右目は潰れている。自力で歩くことすらできず、肉塊のように引きずられていた。

「殺せ!売国奴を殺せ!」「俺たちの食い物を返せ!」

民衆から罵声の礫(つぶて)が飛ぶ。石が柳安の体に当たり、新たな血が滲む。刑台の上に、督郵・賈仁が立った。上等な絹の服を風になびかせ、片手を挙げて静寂を求めた。

「市民よ、見よ!この男こそ、我らの糧を盗み、賊に売り渡していた裏切り者である!」

熱狂の波が広場を揺らす。賈仁は柳安を見下ろし、冷酷に問いかけた。

「何か申し開きはあるか!柳安!」

だが、柳安はうつむいたまま何も答えない。口元からは絶えず黒い血が滴り落ちている。

「……見よ。彼は昨夜、自らの罪を恥じ、舌を噛み切って自害を図った!もはや弁明の言葉すら持たぬ!」

賈仁の声が朗々と響き渡る。徐福の全身の血が、一瞬にして凍りつき、次の瞬間に沸騰した。自害?違う。舌を抜かれたのだ。余計なことを喋らせないために。柳安は弁明の機会すら奪われ、永遠の沈黙を強いられたまま、汚名を着せられて屠られようとしている。

尋問。弁明。そんな機会はそもそもなかったのだ。

「あっ……あ……ぅあ……!」

徐福の喉から、言葉にならない音が漏れた。世界が赤と黒に塗りつぶされていく。
その時、柳安がゆっくりと顔を上げた。光を失った虚ろな瞳が――奇跡のように徐福を捉えた。
柳安は、微かに微笑んだように見えた。

潰れた唇をかすかに動かし、必死の力を振り絞って、首を横に振った。

――来るな。――俺のために、死ぬな。

「執行!」

賈仁の手が振り下ろされた。処刑人の太刀が鉛色の空気を切り裂き、鈍く一閃した。
徐福の視界から音が消えた。スローモーションの中で、友の首が宙を舞う。
鮮血が噴水のように舞い上がり、乾いた地面に黒い花を咲かせた。

「うおおおおおっ!」

爆発的な歓声。民衆は英雄・賈仁を称え、死体に唾を吐きかけた。そこにあるのは、無実の犠牲を糧にした醜悪な祝祭であった。

「ああああああああああ!!」

人の声ではない。傷ついた獣の咆哮が広場を裂いた。徐福の理性が消し飛び、殺意だけの塊となって飛び出そうとした瞬間――。

ガツンッ!

鈍い衝撃が徐福の後頭部を襲った。石韜が、涙を流しながら落ちていた石で殴りつけたのだ。

「……すまん、徐福。だが今は、お前を生かす」

徐福の意識が闇に落ちる。孟建と向朗がその体を抱え上げ、逃げるように路地裏へと引きずっていった。

2.王佐の嘆きと、影の嘲笑

広場の熱狂から通りを二つ隔てた酒楼。その二階の特別席には、高価な白檀(びゃくだん)の香りが漂っていた。
席には、二人の若者が座っていた。一人は類稀な美貌と芳香を漂わせる貴公子、荀彧(じゅんいく)。もう一人は謹厳実直な風貌の才人、陳羣(ちんぐん)である。

「……醜悪だな」

陳羣が、侮蔑を隠そうともせずに呟いた。

「大衆心理の操作と、身代わりの羊。賈仁という男、小悪党にしては扇動の手際が良い。民衆という愚かな生き物が何を欲しているかを熟知している」

彼にとって、この惨劇は統治システムの「綻び」に過ぎなかった。

「ああ。だが、それ以上に悲しいのはあの民衆だ」

荀彧が、茶の揺らぎを見つめた。

「彼らは真実を求めず、目の前に吊るされた分かりやすい悪を叩くことで鬱憤を晴らしている。法が機能せぬ社会では、正義とは『声の大きい者』の所有物になってしまうのだな」

「文若(荀彧の字)殿。だからこそ、我らが必要なのだ。賄賂や扇動が入り込む余地のない、鉄のごとき秩序を作らねばならん」
「王佐の才、か。……君らしい」

二人の天才が静かに杯を合わせた。その時、部屋の隅の影からしわがれた声が響いた。

「……美しいねぇ。目が潰れそうなほど眩しい理想だ」

そこにいたのは、安酒を抱え、蒼白い顔をした男、戯志才(ぎしさい)であった。

「盗み聞きじゃないさ。金がないから隅で相伴に預かっていただけだ。だがね、君たちの話は清潔すぎて吐き気がするよ。毒には毒を、暴力には暴力をぶつけなきゃ、この世の膿(うみ)は出せない」

戯志才は窓の外、雨の路地へと消えていく四人の若者――徐福と向朗たちを指差した。

「見なよ。君たちが『システム』を論じている間に、路地裏で『修羅』が生まれた。あの目は法の守護者を待つ羊じゃない。自分の牙で喉笛を食いちぎろうとする、狼の目だ」

「……野蛮な私刑を行おうというのか。愚かな」

陳羣が吐き捨てるが、戯志才は愉悦に目を細めた。

「愚かだからこそ強いのさ。君たちのような王佐の才が輝くには、ああいう泥にまみれた『修羅』が必要になる時が来る。綺麗事だけじゃ、天下は取れないぜ?」
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