落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪

こくせんや

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第8話 徐庶の仇討ち 6/7

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19.狼の親子と太守の狼狽

翌朝。太守府の応接室は、凍り付いたような静寂に支配されていた。
陽翟の街を焼き尽くした炎は鎮まりつつあったが、この部屋に立ち込める圧力は、焦熱の炎よりも鋭く、太守・李旻の精神を焼き苛んでいた。

彼の正面には、豫州の最高責任者である豫州牧・黄琬が、一言も発さず深々と椅子に腰掛けている。その左に座る、洛陽から訪れた司馬防、そしてその息子、十歳に満たぬ司馬懿であった。

「……さて。李旻殿」

沈黙を破ったのは、司馬防の低く重厚な声であった。
彼は傍らに置かれた数冊の竹簡を、指先でゆっくりと叩いた。
それは、向朗が「再構築」し、あえて目立つ場所に配置しておいた賈仁の報告書である。

「管轄内で督郵が殺害され、屋敷が灰燼に帰した。さらにはその犯人と言われる白塗りの男が襲撃され死亡したという。……実に、奇妙な符号が重なるものですな。まずは、この不可解な状況を整理させていただきたい」

司馬防の鋭い眼光が、射抜くように李旻を捉えた。

「第一に、宴席の顔ぶれだ。記録によれば、昨夜の賈仁殿の屋敷には葛陂の賊、劉辟らが招かれていたという。……太守殿、公の官吏たる督郵が、なぜ凶悪な賊徒を宴に招き、酒を酌み交わしていたのですかな?彼は一体、賊と何を語らっていたのだ」

「そ、それは……賊を懐柔し、帰順させるための、賈仁なりの策であったかと……」

「策、ですかな。では第二の疑問だ。懐柔していたはずのその賊たちが、なぜ一転して屋敷に突入し、狼藉を働いたのか。宴の最中に、何が彼らを逆上させた?警備の私兵はなぜ、招かれざる『突入』を許したのだ」

司馬防の追及は、一つ一つが重い楔のように李旻を動けなくしていく。
李旻は滝のような脂汗を拭い、言葉を探して視線を泳がせた。

「そ、それは……賊の常で、酒乱による突発的な暴動かと……」

「突発的、にしては出来過ぎている。そして最大の問題は、その騒乱の中で現れた『白亜の怪物』と称される人物だ。一部ではこの白塗りの男が、水鏡こと司馬徽の手の者と主張するものもいる。太守殿、貴殿はなぜ、この人物が賈仁殿を襲った犯人だと断定しているのですかな?彼が賈仁殿を殺めたという決定的な目撃証言は、一つでも存在するのかね」


「……っ!」

李旻は息を呑んだ。目撃者などいるはずがない。
あの混乱の中、奥座敷の惨劇をまともに見た者は、死んだ賈仁と、姿を消した暗殺者以外にいないのだから。

そこへ、それまで置物のように静まり返っていた司馬懿が、ゆっくりと首をもたげた。
少年は、窓の外の燃え殻を眺めるような虚ろな瞳を、不意に李旻へと向けた。

「……ねえ、太守様」

司馬懿の声は、鈴の音のように清らかで、それゆえに不気味だった。

「矛盾が、矛盾を呼んでいますね。賊を招いたはずの家主が賊に襲われ、そこに現れた名もなき白塗りの人が犯人に仕立てられる。……目撃者もいないのに、物語だけが完璧に出来上がっている。まるで、誰かが最初から用意していた『台本』みたい」

「だ、黙れ子供が!混乱の極致にあった現場なのだ、多少の不整合は致し方あるまい!」

「致し方ない、で済ませるには、あまりに都合が良すぎますな」司馬防が冷たく言い放つ。

そして司馬懿は李旻の怒声を無視し、淡々と、事務的に矛盾の核を突いた。

「太守様は、賈仁さんがそんなに悪い人だったなんて、今日まで一度も疑わなかったんですか?毎日あんなに立派なお屋敷で宴会を開いて、賊を客として招いていたのに。……おこぼれを貰っていたから、あえて見ないふりをしていた……なんてことは、ありませんよね?」

「な、何を……!」

「父上、法ではこういうのを何て言うの?」司馬懿は静かに父を見上げた。
「……贈収賄の黙認、および職務放棄。重罪だ」司馬防が氷点下の声で応じた。

李旻の顔は、土気色を通り越して死人のように青白くなっていた。
司馬親子の連携は、逃げ道を一つずつ、丁寧に、確実に塞いでいく。

「……さて、李旻殿。選択肢を差し上げよう」
司馬防が立ち上がり、李旻を見下ろした。その影が、太守の震える体を完全に覆い尽くす。

「このまま事態を曖昧にするならば、我々が洛陽から本格的な調査団を呼び、半年かけて陽翟の全ての帳簿を洗い直すことになる。賊との癒着、引き出された兵糧の行方、そして貴殿の裏口座……。全てが白日の下に晒されることになるだろうな」

「は、半年……!?」
李旻は眩暈に襲われた。半年も調べられれば、自身の首は物理的に飛ぶ。

「そうだ。太守様。」
司馬懿が、静かな、しかし底知れぬ圧力を湛えた眼差しで李旻を射抜いた。

「太守様。いまこの場で、『犯人は賊に殺されて解決しました』って宣言しちゃうか。……そうすれば、これ以上の調査はいらないし、太守様も『被害者』のままでいられるでしょう?」

毒入りの甘い誘惑。李旻にとって、それは救いの手であると同時に、賈仁の癒着も、賊も知らぬ存ぜぬと、太守は無能でした。と宣言するいう呪いの宣告でもあった。

徹底的な調査による破滅か、嘘による破滅か

「い、いや!調査の必要などない!」
李旻は、弾かれたように叫んだ。
「犯人の白塗り男は、賊の襲撃によって死亡した!これは賊による不測の事態であり、事件はこれをもって終結とする!賈仁の不徳が招いた悲劇だ、これ以上、街を混乱させてはならん!私が……私が責任を持って、これを最終報告とするのだ!」

李旻の絶叫が、応接室に虚しく響いた。それは、彼が自らの首を守るために、法を、正義を、そして何より「真実を追及する権利」を自ら放棄した瞬間であった。

そして、李旻自身の手によって、向朗らの巡らせた策謀の追求は、内側から固く閉ざされたのである。

司馬懿は、それを見て満足げに目を細めた。
彼が望んだのは、正義の実現ではない。
一人の「面白い鼠」が仕掛けた罠に、大の大人が滑稽に嵌まっていく様を見届けること。
その混沌こそが、彼にとって最高の観察対象であった。
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