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第12話 魔王の足音、洛陽炎上 2/2
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3.帝都炎上、暴虐なる遷都
向朗の「嫌な予感」というのは、大抵当たる。
しかも、本人が想定する最悪のケースを、さらに下回る形で。
中平六年(一八九年)、秋。毎日ロクでもない情報が飛び込んできた。
まるで堰を切ったように、洛陽からの凶報が止まらない。
ある日は、「何進大将軍の暗殺に関与した宦官二千人が虐殺された」という報せ。
またある日は、「袁紹や曹操といった気骨ある名士たちが、董卓の暴政に耐えかねて洛陽から出奔した」という噂。
そして、「関東の諸侯が反董卓連合軍を結成し、洛陽へ向けて進軍を開始した」という事実。
陽翟の街は揺れた。
李旻は「ワシは董卓様に従うべきか、連合軍に参加すべきか」と右往左往し、結局どちらにもいい顔をするために、城門を閉じて引きこもることを選んだ。
だが、そんな小手先の保身など、歴史の激流の前では木の葉以下の価値しかなかった。
極め付けは、追い詰められた董卓が出した、信じられない命令だった。
――遷都。
連合軍に包囲されることを嫌った董卓は、洛陽を放棄し、西の長安へ強制的に首都を移すことを決定したのだ。
それも、ただの引っ越しではない。
数百万人の洛陽市民を、着の身着のままで強制的に連行するという、国家規模の拉致である。
富豪からは財産を没収し、抵抗する者はその場で斬り捨てられた。
歴代皇帝の陵墓は暴かれ、副葬品は略奪された。
そして、空になった宮殿や市街地には、組織的に火が放たれた。
漢王朝四百年の栄華を誇った世界最大の都市・洛陽は、たった一人の男の気まぐれと暴力によって、地図上から消滅し、更地になったのである。
4.紅蓮の空、万策尽きる
陽翟の城壁の上。吹き付ける風は、秋の涼しさを含んでいるはずなのに、どこか生暖かく、焦げたような臭いが混じっていた。
向朗は、手すりにダラリともたれかかり、西の空を眺めていた。
その隣には、酒瓶を片手に、同じ空を見上げる奇妙な男が立っていた。
名を、郭嘉、字を奉孝。放蕩児として知られるが、その眼光は狂気じみた鋭さを秘めた、陽翟きっての「変人」である。
「……すごいねぇ、派手だねぇ」
郭嘉が、面白がるように、でもどこか冷めた声で言った。
まだ昼過ぎだというのに、西の空が気味の悪い赤色をしている。
夕焼けではない。
雲の色でもない。
数百里離れた洛陽が燃えている。
その紅蓮の炎の照り返しが、天をも焦がしているのだ。
「巨像が倒れる時ってのは、すごい土煙が上がるもんだね。董卓って男、僕が思ってた以上に『壊し屋』らしいや。……ねえ向朗、あの赤色、君の目にはどう映る?」
向朗は、郭嘉の問いには答えず、深い深い溜息をついた。胃が痛い。頭も痛い。
「勘弁してほしいですよ、本当に……。僕、ただ静かに本を読んで暮らしたかっただけなのに。なんで、こんな世紀末みたいな光景を見せられなきゃいけないんですか」
向朗の死んだ魚のような目が、燃える空の下、地平線の彼方を捉えた。
そこから、黒い染みのようなものが、ジワジワと広がってくるのが見えた。
最初は、ただの影かと思った。
だが、それは違った。
蟻の行列ではない。人だ。
着の身着のまま、家を焼かれ、家族を殺され、飢えと恐怖に憑かれた、数万、いや十数万の難民の群れだ。洛陽から逃げ延びた人々が、救いを求めて、この陽翟へと雪崩れ込んでくる。
「……あーあ。計算したくないなぁ」
向朗は、嫌そうに頭をかきむしった。
脳内の計算機が、カタカタと音を立てて絶望的な数値を弾き出す。
「陽翟の備蓄食糧、あと二ヶ月ちょい。受け入れ可能人数、とっくに超過。衛生環境、最悪。黄琬様は司徒になり不在。治安維持能力、皆無。……これ、詰んでません?」
「うん、詰んでるね」
郭嘉があっけらかんと、楽しそうに答える。
「僕らが作った『葛陂の賊』なんていう可愛い嘘じゃ、もう誤魔化せませんよ。架空の敵で団結?馬鹿言っちゃいけない。本物の『地獄』が来ちゃいましたからね。空腹と恐怖に狂った十万人が押し寄せたら、この街は一日で瓦解する」
太守・李旻は、今ごろ「ワシの威光に恐れをなして、賊は来ない!」なんて宴会でも開いているんだろうか。だが、向朗には見えていた。
この人の波が城門に押し寄せた瞬間、陽翟という街が、物理的に崩壊する未来が。
陽翟の街は、豫州は崩壊する。
「……はい、計算終了。万策尽きました。帰って寝たい」
向朗は、やる気なく呟いた。
だが、その言葉とは裏腹に、彼の目は眠たげに細められながらも、燃える空と人の波を、冷徹に観察し続けていた。
逃げるか?いや、路銀がない。
無視するか?無理だ、巻き込まれて死ぬ。生き残るためには、どうすればいい?
(……この十万人を、どう処理する?殺すか?追い返すか?いや、そんな力はない。なら……動かすしかないのか?)
もう、小手先の書類仕事でどうにかなるレベルじゃない。だがどうする。
「……郭嘉、酒残ってる?」
「おや、飲むのかい?」
「一杯だけ。……シラフじゃやってられない計算を、これからしなきゃいけないんでね」
向朗は郭嘉から酒瓶をひったくると、赤く染まった空に向かって、苦い酒をあおった。
向朗の「嫌な予感」というのは、大抵当たる。
しかも、本人が想定する最悪のケースを、さらに下回る形で。
中平六年(一八九年)、秋。毎日ロクでもない情報が飛び込んできた。
まるで堰を切ったように、洛陽からの凶報が止まらない。
ある日は、「何進大将軍の暗殺に関与した宦官二千人が虐殺された」という報せ。
またある日は、「袁紹や曹操といった気骨ある名士たちが、董卓の暴政に耐えかねて洛陽から出奔した」という噂。
そして、「関東の諸侯が反董卓連合軍を結成し、洛陽へ向けて進軍を開始した」という事実。
陽翟の街は揺れた。
李旻は「ワシは董卓様に従うべきか、連合軍に参加すべきか」と右往左往し、結局どちらにもいい顔をするために、城門を閉じて引きこもることを選んだ。
だが、そんな小手先の保身など、歴史の激流の前では木の葉以下の価値しかなかった。
極め付けは、追い詰められた董卓が出した、信じられない命令だった。
――遷都。
連合軍に包囲されることを嫌った董卓は、洛陽を放棄し、西の長安へ強制的に首都を移すことを決定したのだ。
それも、ただの引っ越しではない。
数百万人の洛陽市民を、着の身着のままで強制的に連行するという、国家規模の拉致である。
富豪からは財産を没収し、抵抗する者はその場で斬り捨てられた。
歴代皇帝の陵墓は暴かれ、副葬品は略奪された。
そして、空になった宮殿や市街地には、組織的に火が放たれた。
漢王朝四百年の栄華を誇った世界最大の都市・洛陽は、たった一人の男の気まぐれと暴力によって、地図上から消滅し、更地になったのである。
4.紅蓮の空、万策尽きる
陽翟の城壁の上。吹き付ける風は、秋の涼しさを含んでいるはずなのに、どこか生暖かく、焦げたような臭いが混じっていた。
向朗は、手すりにダラリともたれかかり、西の空を眺めていた。
その隣には、酒瓶を片手に、同じ空を見上げる奇妙な男が立っていた。
名を、郭嘉、字を奉孝。放蕩児として知られるが、その眼光は狂気じみた鋭さを秘めた、陽翟きっての「変人」である。
「……すごいねぇ、派手だねぇ」
郭嘉が、面白がるように、でもどこか冷めた声で言った。
まだ昼過ぎだというのに、西の空が気味の悪い赤色をしている。
夕焼けではない。
雲の色でもない。
数百里離れた洛陽が燃えている。
その紅蓮の炎の照り返しが、天をも焦がしているのだ。
「巨像が倒れる時ってのは、すごい土煙が上がるもんだね。董卓って男、僕が思ってた以上に『壊し屋』らしいや。……ねえ向朗、あの赤色、君の目にはどう映る?」
向朗は、郭嘉の問いには答えず、深い深い溜息をついた。胃が痛い。頭も痛い。
「勘弁してほしいですよ、本当に……。僕、ただ静かに本を読んで暮らしたかっただけなのに。なんで、こんな世紀末みたいな光景を見せられなきゃいけないんですか」
向朗の死んだ魚のような目が、燃える空の下、地平線の彼方を捉えた。
そこから、黒い染みのようなものが、ジワジワと広がってくるのが見えた。
最初は、ただの影かと思った。
だが、それは違った。
蟻の行列ではない。人だ。
着の身着のまま、家を焼かれ、家族を殺され、飢えと恐怖に憑かれた、数万、いや十数万の難民の群れだ。洛陽から逃げ延びた人々が、救いを求めて、この陽翟へと雪崩れ込んでくる。
「……あーあ。計算したくないなぁ」
向朗は、嫌そうに頭をかきむしった。
脳内の計算機が、カタカタと音を立てて絶望的な数値を弾き出す。
「陽翟の備蓄食糧、あと二ヶ月ちょい。受け入れ可能人数、とっくに超過。衛生環境、最悪。黄琬様は司徒になり不在。治安維持能力、皆無。……これ、詰んでません?」
「うん、詰んでるね」
郭嘉があっけらかんと、楽しそうに答える。
「僕らが作った『葛陂の賊』なんていう可愛い嘘じゃ、もう誤魔化せませんよ。架空の敵で団結?馬鹿言っちゃいけない。本物の『地獄』が来ちゃいましたからね。空腹と恐怖に狂った十万人が押し寄せたら、この街は一日で瓦解する」
太守・李旻は、今ごろ「ワシの威光に恐れをなして、賊は来ない!」なんて宴会でも開いているんだろうか。だが、向朗には見えていた。
この人の波が城門に押し寄せた瞬間、陽翟という街が、物理的に崩壊する未来が。
陽翟の街は、豫州は崩壊する。
「……はい、計算終了。万策尽きました。帰って寝たい」
向朗は、やる気なく呟いた。
だが、その言葉とは裏腹に、彼の目は眠たげに細められながらも、燃える空と人の波を、冷徹に観察し続けていた。
逃げるか?いや、路銀がない。
無視するか?無理だ、巻き込まれて死ぬ。生き残るためには、どうすればいい?
(……この十万人を、どう処理する?殺すか?追い返すか?いや、そんな力はない。なら……動かすしかないのか?)
もう、小手先の書類仕事でどうにかなるレベルじゃない。だがどうする。
「……郭嘉、酒残ってる?」
「おや、飲むのかい?」
「一杯だけ。……シラフじゃやってられない計算を、これからしなきゃいけないんでね」
向朗は郭嘉から酒瓶をひったくると、赤く染まった空に向かって、苦い酒をあおった。
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