落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪

こくせんや

文字の大きさ
55 / 69

第15話 都市解体、あるいは黒き盾の覚醒 1/4

しおりを挟む
1.都市の解体と、降臨する「聖女」

陽翟という都市が、物理的に解体されていた。

それは比喩ではない。

十万の民は、向朗の作成した工程表に従い、自分の住んでいた家を、店を、そして思い出の詰まった街を、生き残るための「部品」へと変えていたのだ。

あちこちで木材が裂ける音、金属が打ち鳴らされる音、そして怒号と悲鳴が入り混じった轟音が響き渡っている。

その狂騒の中心、太守府の前庭で、向朗は竹簡の山に埋もれながら、悲鳴を上げていた。

「ああっ、違います!西通りの張(ちょう)さん!そこの荷車、積みすぎです!重心が左に偏ってるから、あと三里歩いたところで車輪が折れますよ!奥さんと娘さんの荷物を二つ減らしてください、お願いします!」

向朗の姿は、英雄的な指揮官とは程遠かった。
髪は埃まみれでボサボサ、目の下には濃い隈を作り、墨で汚れた服を着たその姿は、どう見ても過酷な職場に酷使される、頼りない一介の書生にしか見えない。
彼は右へ左へと走り回り、頭を下げ、時には拝み倒しながら指示を出していた。

「すいません、大工の王(おう)さん!その柱、あと半歩だけ右にずらしてもらえませんか?……ええ、そうです。ご協力感謝します!」

最初は、民衆も半信半疑だった。

「なんだあの貧相な若造は?」
「あんなやつの言うことなんて聞いてられるか」
と、侮る視線もあった。

だが、事態はすぐに変わった。
向朗が「王さん」に頼んで柱を半歩ずらした直後、そこへ巨大な木材を運ぶ一団が通りかかった。
もし柱が元の位置にあれば、間違いなく衝突事故が起き、大渋滞が発生していただろう。
だが、向朗の指示のおかげで、彼らは紙一重ですれ違うことができたのだ。

「……おい、見たか?今の」
「ああ。あいつ、なんでわかるんだ?」

彼のそんな不思議な指示が、街の至る所で頻発した。
水場では、いつもなら割り込みと怒号が飛び交うのに、向朗が配置した「青い布」の誘導係に従うと、不思議と列がスムーズに流れ、全員に行き渡るだけの水が確保された。
野営の準備でも、杭が足りないと騒いでいた班の元へ、向朗が手配した廃材回収班が、ちょうどいい長さの木材を持って現れた。

「なぜか、あの書生の言う通りに動くと、揉め事が起きないんだ」
「ああ。欲しい時に、欲しい物がそこにある。妖術みたいだ」

民衆の間に、奇妙なざわめきが広がっていった。

向朗自身は、
「もう無理です、計算が追いつきません、帰りたい。眠りたい……」
とブツブツ言いながら、泣きそうな顔で筆を走らせている。

威厳など欠片もない。

だが、その頼りない背中から繰り出される指示は、神懸かり的な精度(段取り)で、十万人の無秩序な動きを、一つの巨大な奔流へと束ね上げていく。
彼らは知らず知らずのうちに、この「異能の書生」の手のひらの上で踊らされていたのだ。

「あら、向朗さん。相変わらず必死ですねぇ」

不意に、鈴を転がすような可憐な声が掛かった。

向朗が振り返ると、そこには息を呑むような美少女が立っていた。

豪奢な絹の衣をまとい、透き通るような白い肌、長い睫毛に縁取られた大きな瞳。
どこかの名家のご令嬢が、なぜこんな泥まみれの現場に?と誰もが目を疑うほどの「絶世の美女」である。

「……だ、誰ですか?避難誘導ならあちらの……」

向朗が戸惑うと、美少女は扇子で口元を隠し、ニヤリと口角を上げた。
その瞬間、可憐な瞳に、マニアックな光が宿る。

「僕ですよ、僕。李譔(りせん)です。忘れたんですか、学友の顔を」

「……は?り、李譔!?」

向朗は絶句し、まじまじと目の前の少女(?)を見た。

言われてみれば、小柄で痩せた体格は李譔そのものだが、この変装の完成度はどうだ。
化粧、仕草、声色に至るまで、完璧に「深窓の令嬢」を作り上げている。

「な、何やってるんだ、その恰好は」
「何って、変装ですよ。これが僕のカラクリです」

李譔は、得意げに扇子を回し、手品のように懐からメモを取り出した。

「男の姿で『司馬徽先生はすごいぞ』って説いて回っても、効果が薄いでしょ?でもね、『天啓を受けた巫女』のような美少女が、涙ながらに奇跡を語れば、民衆はイチコロなんですよ。これを『演出による心理誘導』と言います」

「……うわぁ」

向朗はドン引きしたが、李譔は気にせず続けた。

「効果てきめんですよ。僕の後援会 ……いえ、信者たちが、先生を『水を清める仙人』か『後光が差す生き仏』として拡散してくれています。恐怖で動けなかった老人たちも、僕が手を握って『先生についていけば救われます』と囁くだけで、涙を流して作業を始めるんですから。チョロいもんです」

「……あ、ありがとう。助かるよ。君のその、方向性の歪んだ才能に感謝する」

向朗は引きつった笑みを浮かべた。こいつもまた、潁川が生んだ変人の一人だった。
向朗は礼もそこそこに、また通りかかった男へ大声を張り上げた。

「陳(ちん)さん!草鞋売の陳家の三男坊!そっちは通行止めです!足の悪いお婆さんを背負ってるなら、右の裏道を回ってください。平坦ですよ!」

その様子を見ていた李譔が、ふと扇子を止めた。
美しい眉が訝しげに寄せられる。

「……ねぇ、向朗」
「えっ、何?」
「もしかして、同行する全ての人の名前を覚えているの?」

向朗は、竹簡に筆を走らせながら、事もなげに答えた。

「ああ。全員分の名前、元の仕事、家族構成、病歴などの必要な情報は、皆に名簿を作ってもらったでしょう?……名簿通りに全て動かさないと、適切な配置ができないからね」

「……全て?」李譔の声が、素に戻った。「十万人だぞ?」

「ああ、全て」

向朗は、さも当然の書記の仕事であるかのように即答し、また次の指示を飛ばし始めた。

李譔は扇子で口元を隠しながら、ゾクリとしたものを感じて後ずさった。

(……こいつ、ヤバい。頭の構造が人間じゃない)

最初は、民衆も向朗を侮っていた。
だが、その横では絶世の美少女(李譔)が、「まぁ!あの方は水鏡先生の一番弟子、未来を見通す『千里眼』の持ち主ですわ!」と、さくらとして完璧な演技で民衆を煽る。

民衆は次第に、この奇妙なコンビ――頼りないが予知能力のような指示を出す書生と、それに付き従う聖女のような美少女――の指示に、盲目的に従うようになっていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

天正の黒船

KEYちゃん
歴史・時代
幕末、日本人は欧米諸国が日本に来た時の黒船に腰を抜かした。しかしその300年前に日本人は黒船を作っていた。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

【完結】『謀反人の汚名を着た武田信玄 ~残された秘策と隠された忠義~』

月影 朔
歴史・時代
元亀四年、病で倒れたとされる武田信玄は生きていた。天下の行く末を憂う彼は、あえて「謀反人」の汚名を着て影で活動する。その真意を探る密命を受けた若き忍び・疾風の小太郎は、信玄が残した「秘策」を求め、旅に出る。 各地で出会う仲間たち、そして織田信長の放つ刺客との死闘の中で、小太郎は信玄の壮大な計画の全貌に迫っていく。それは、武力による統一ではなく、人の心を繋ぎ、古き良き日本の魂を取り戻すための、深謀遠慮の策だった。 信玄の真の忠義が試される時、歴史は大きく動き出す。これは、影で天下を動かした男と、その志を継ぐ若者が織りなす、感動と成長の戦国絵巻である。

処理中です...