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第17話 黒き盾の防壁、白き旗の女神 2/5
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2.開戦
それは、軍隊の行進などという生易しいものではなかった。
巨大な土石流が、人間という形をとって押し寄せてくるようだった。
葛陂(かつは)の賊。
彼らに統一された軍装はない。
ある者は泥と垢にまみれたボロ布をまとい、ある者は半裸で、あばら骨を浮き上がらせている。
手には錆びついた剣や、血のこびりついた棍棒、あるいは人の頭ほどもある石塊を握りしめている。
彼らに共通しているのは、眼球が異様にぎらついていることだ。
飢え。
数日間、何も口にしていない極限の空腹が、彼らの人間としての理性を焼き切り、ただ「食う」ことへの執着だけを肥大化させていた。
彼らにとって、目の前に立ちはだかる陣は、攻略すべき要塞ではなく、肉と穀物が詰まった「巨大な食料庫」に見えているのだ。
「うおおおおおおっ!飯だ!飯があるぞぉぉぉ!」
「女だ!酒だ!全部奪えぇぇぇ!」
先頭の賊が、裂けんばかりの大口を開けて絶叫した。
口角からは泡が飛び散る。それを合図に、二万の群れが一斉に加速した。
彼我の距離が、瞬く間に縮まる。五百歩、三百歩、百歩。大地が悲鳴を上げ、砂煙が視界を奪う。悪臭を放つ風が、守備兵の鼻腔を叩く。
「中央、構えろ!衝撃に備えろ!」
中央を守る正規兵の隊長が叫ぶ。
正規兵たちは一斉に長盾を地面に突き立て、肩を入れて固定した。
その隙間から長槍を突き出し、二重、三重の槍衾(やりぶすま)を作って身を固めた。彼らには荷車の壁はない。頼れるのは、鍛え上げられた己の肉体と、仲間との結束、そして一枚の盾だけだ。
ドォォォォォン!!
激突の瞬間、天地がひっくり返るような轟音が響いた。
肉と肉がぶつかり合い、骨が砕ける音が重なる。
先頭の賊たちは、正規兵の槍に串刺しになりながらも、止まらなかった。
止まれなかったのだ。
後ろから押し寄せる仲間たちに押され、死体となったまま盾に激突してくる。生きた人間と死んだ人間が入り混じり、巨大な圧力となって中央軍を圧迫する。
「押し返せ!足を止めるな!」
正規兵たちが叫び、血路を開こうと槍を振るう。
中央は、まさに地獄の釜が開いたような乱戦となった。
飛び散る鮮血、断末魔の叫び、そして飢えた獣の咆哮が入り混じる。
一方、左右の翼にも、賊の波が押し寄せた。
中央の守りが堅いと見るや、溢れた賊たちが獲物を求めて左右へと流れてきたのだ。
「こっちは壁だ!乗り越えろ!」
「壊せ!中に飯があるぞ!」
賊たちが荷車に取り付き、よじ登ろうとする。
廃材の隙間から、血走った目と泥だらけの手が伸びてくる。
内側で震えていた民兵たちは、目の前に現れた鬼の形相に悲鳴を上げた。
「ひいっ!来た、殺される!」「嫌だ、嫌だぁぁ!」
パニックが伝播しかけたその時、班長役の男が、裏返った声で叫んだ。
「馬鹿野郎!作業だ!軍師様の言った通り、作業をしろ!」
男は半狂乱になりながら、閉じた目のまま、目の前の隙間に向かって竹槍を突き出した。
ズブリ。
鈍く、重い手応えがあった。
竹槍が、荷車を乗り越えようとした賊の喉元を貫いたのだ。
賊は、信じられないという顔をして、口から血を泡吹いて崩れ落ちた。
その目は、まだ「飯」を求めて虚空を彷徨っていた。
「……あ?」民兵の男は、自分の手を見つめた。
掌に残る、人を殺した生々しい感触。だが、恐怖よりも先に、ある冷徹な事実が脳を占めた。
(殺せた。……俺でも、殺せた)
あの恐ろしい鬼が、ただの竹槍で死んだ。この壁があれば、俺たちは一方的に殺せるのだ。
「突き出せ!引くな!穴から出すだけでいいんだ!」
一度殺せると分かれば、恐怖は殺意へと変わる。
いや、生存本能が「殺戮」を肯定する。
民兵たちは、徐庶の言葉通り、荷車の隙間から無心に槍を突き出し、石を落とした。
そこにはもう、迷いも躊躇もない。ただ、目の前の肉塊を排除する「作業」があるだけだった。
荷車の前には、またたく間に死体の山が築かれていく。
その死体の山が、さらに強固な壁となり、後続の賊を阻む障害物となっていく。
徐庶の計算通り、即席の防壁は、戦を知らぬ素人を、感情を持たぬ鉄壁の守備兵へと変える魔法の装置として機能していた。
それは、軍隊の行進などという生易しいものではなかった。
巨大な土石流が、人間という形をとって押し寄せてくるようだった。
葛陂(かつは)の賊。
彼らに統一された軍装はない。
ある者は泥と垢にまみれたボロ布をまとい、ある者は半裸で、あばら骨を浮き上がらせている。
手には錆びついた剣や、血のこびりついた棍棒、あるいは人の頭ほどもある石塊を握りしめている。
彼らに共通しているのは、眼球が異様にぎらついていることだ。
飢え。
数日間、何も口にしていない極限の空腹が、彼らの人間としての理性を焼き切り、ただ「食う」ことへの執着だけを肥大化させていた。
彼らにとって、目の前に立ちはだかる陣は、攻略すべき要塞ではなく、肉と穀物が詰まった「巨大な食料庫」に見えているのだ。
「うおおおおおおっ!飯だ!飯があるぞぉぉぉ!」
「女だ!酒だ!全部奪えぇぇぇ!」
先頭の賊が、裂けんばかりの大口を開けて絶叫した。
口角からは泡が飛び散る。それを合図に、二万の群れが一斉に加速した。
彼我の距離が、瞬く間に縮まる。五百歩、三百歩、百歩。大地が悲鳴を上げ、砂煙が視界を奪う。悪臭を放つ風が、守備兵の鼻腔を叩く。
「中央、構えろ!衝撃に備えろ!」
中央を守る正規兵の隊長が叫ぶ。
正規兵たちは一斉に長盾を地面に突き立て、肩を入れて固定した。
その隙間から長槍を突き出し、二重、三重の槍衾(やりぶすま)を作って身を固めた。彼らには荷車の壁はない。頼れるのは、鍛え上げられた己の肉体と、仲間との結束、そして一枚の盾だけだ。
ドォォォォォン!!
激突の瞬間、天地がひっくり返るような轟音が響いた。
肉と肉がぶつかり合い、骨が砕ける音が重なる。
先頭の賊たちは、正規兵の槍に串刺しになりながらも、止まらなかった。
止まれなかったのだ。
後ろから押し寄せる仲間たちに押され、死体となったまま盾に激突してくる。生きた人間と死んだ人間が入り混じり、巨大な圧力となって中央軍を圧迫する。
「押し返せ!足を止めるな!」
正規兵たちが叫び、血路を開こうと槍を振るう。
中央は、まさに地獄の釜が開いたような乱戦となった。
飛び散る鮮血、断末魔の叫び、そして飢えた獣の咆哮が入り混じる。
一方、左右の翼にも、賊の波が押し寄せた。
中央の守りが堅いと見るや、溢れた賊たちが獲物を求めて左右へと流れてきたのだ。
「こっちは壁だ!乗り越えろ!」
「壊せ!中に飯があるぞ!」
賊たちが荷車に取り付き、よじ登ろうとする。
廃材の隙間から、血走った目と泥だらけの手が伸びてくる。
内側で震えていた民兵たちは、目の前に現れた鬼の形相に悲鳴を上げた。
「ひいっ!来た、殺される!」「嫌だ、嫌だぁぁ!」
パニックが伝播しかけたその時、班長役の男が、裏返った声で叫んだ。
「馬鹿野郎!作業だ!軍師様の言った通り、作業をしろ!」
男は半狂乱になりながら、閉じた目のまま、目の前の隙間に向かって竹槍を突き出した。
ズブリ。
鈍く、重い手応えがあった。
竹槍が、荷車を乗り越えようとした賊の喉元を貫いたのだ。
賊は、信じられないという顔をして、口から血を泡吹いて崩れ落ちた。
その目は、まだ「飯」を求めて虚空を彷徨っていた。
「……あ?」民兵の男は、自分の手を見つめた。
掌に残る、人を殺した生々しい感触。だが、恐怖よりも先に、ある冷徹な事実が脳を占めた。
(殺せた。……俺でも、殺せた)
あの恐ろしい鬼が、ただの竹槍で死んだ。この壁があれば、俺たちは一方的に殺せるのだ。
「突き出せ!引くな!穴から出すだけでいいんだ!」
一度殺せると分かれば、恐怖は殺意へと変わる。
いや、生存本能が「殺戮」を肯定する。
民兵たちは、徐庶の言葉通り、荷車の隙間から無心に槍を突き出し、石を落とした。
そこにはもう、迷いも躊躇もない。ただ、目の前の肉塊を排除する「作業」があるだけだった。
荷車の前には、またたく間に死体の山が築かれていく。
その死体の山が、さらに強固な壁となり、後続の賊を阻む障害物となっていく。
徐庶の計算通り、即席の防壁は、戦を知らぬ素人を、感情を持たぬ鉄壁の守備兵へと変える魔法の装置として機能していた。
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