落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪

こくせんや

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第18話 荊州へ 2/2

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4.会談

章陵の政庁。
張り詰めた空気の中、向朗たちは「荊州の王」と対面した。

上座に座る男は、身の丈八尺余り。
豊かな髭を蓄え、儒学者としての知性と、乱世の群雄としての威厳を併せ持っていた。

劉表、字は景升。
「八俊」の一人に数えられる名士であり、単身で荊州に乗り込み、刺史の座に就いた傑物である。

その傍らには、一人の男が控えていた。
細身で、研ぎ澄ました刃のように鋭い眼光を放つ男。
劉表の懐刀、蒯越、字は異度。彼は向朗たちを値踏みするように睨みつけていた。

司馬徽が恭しく挨拶を述べた後、実務的な交渉は向朗に委ねられた。

向朗が一歩進み出ると、蒯越がすかさず口を開いた。
「水鏡先生の高名はかねがね伺っております。……しかし、二十万の流民を引き連れての来訪とは。兵糧も住む場所もない彼らを、どうするおつもりか?我々に養えと?それとも、この荊州を乗っ取るおつもりか?」

鋭い詰問。
だが、向朗は動じなかった。
いや、反応が鈍かった。

髪は寝癖で跳ね、目の下には濃い隈があり、猫背で立つその姿は、徹夜明けで講義に遅刻してきた書生のようだ。彼はぼんやりとした様子で頭をかいた。

「あ、いえ……誤解です、蒯越殿。我々は、劉表様の領土を奪いに来たのではありません。……えっと、説明が難しいな、『創り』に来たんです」

5.それは難民か、国家か

向朗は、懐からくしゃくしゃになった地図を取り出し、無造作に床に広げた。
その手は微かに震えている。
彼は意識が飛びそうになるのを、太ももを爪で食い込ませることで必死に耐えていた。

これが最後の仕事だ。
これを伝えなければ、二十万人が路頭に迷う。

「僕達二十万の民は、大半をここ章陵に残します。そして、ここを拡張し、えっと……都市を造ります」

向朗の言葉に、劉表が眉を上げた。

「都市を……築くだと?」
「はい。ここ章陵は、劉表様の本拠となる襄陽からわずか五十里。北の袁術、董卓に対する防衛線となる位置です。我々はここに、二十万の民による屯田を行います。荒地を開墾し、農地を広げ、城壁を築く……計算上は、一年で自給可能です」

向朗は、淡々と、まるでいつもの書記の仕事を続けるかのように語った。

二十万人は、ただの口減らしではない。
巨大な労働力であり、生産拠点だ。
章陵を、襄陽を支える「支城」として機能させ、平時は食料と物資を供給し、有事は防波堤となる。
税は安く設定し、その代わりに防衛義務を負わせる。

「劉表様は、一銭も使わずに、北の守りと二十万の民、そして広大な農地を手に入れることになります。僕達が頂きたいのは、この土地の使用許可と、初期の種籾、そして……水鏡党への『不干渉』の約束だけです」

向朗は、「これで書類は全部ですか?」と言いたげな顔で劉表を見た。
しかし、蒯越の鋭い眼光は、まだ疑念を捨てていない。
「ただの難民ごときが、都市運営などできるものか」という侮りが見える。

向朗は、重たい瞼をこすりながら、ふと懐から分厚い竹簡の束を取り出した。
それを、ドサリと蒯越の前に置く。

「……蒯越殿。僕達は、ただの流民ではないんです」

向朗は、ふらりと身体を揺らしながら、それでも力強い目で蒯越を見据えた。

「これ、名簿(戸籍)です。二十万人全員の残りは荷車に積んでいます。……一人ひとりの名前、年齢、元の職、家族構成……全部、分かっています。誰が大工で、誰が元兵士で、誰が石工か。全部です」

蒯越が息を呑んだ。

「……ふあ、その価値が、劉表様達でしたら……分かるでしょう?」

蒯越は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

戦慄。

名簿がある。
戸籍がある。
職能が把握されている。

それは、ただ食料を消費し、土地を荒らすだけの「難民の群れ」ではない。
税を徴収でき、兵を徴募でき、労役を課すことができる。

統治機構そのものだ。

この青年は、移動しながら、ただ逃げていたのではない。
「国家」そのものを形成しながら、ここまでたどり着いたというのか。
名簿がこの交渉の最後の手札になることを知っていて準備していたのか。

(化け物か……)

劉表は呆気にとられつつも、その合理性に感嘆した。

「……面白い。流民を重荷ではなく、富に変えるか」

だが、蒯越が冷ややかに割って入った。内心の戦慄を隠し、努めて冷静に振る舞う。

「絵空事だ。……襄陽に入れば分かるが、この地はまだ殿(劉表)のものではない。現地の豪族、宗賊どもが実権を握り、殿の命令など聞かぬ。貴殿らがここで都市を築けば、彼らは『自分たちの土地が奪われた』と騒ぎ立て、蜂起するだろう」

劉表は単身で荊州に入ったため、手勢が少ない。

現地の豪族たち、いわゆる「宗賊」五十五人が各地に割拠し、劉表をただの飾り物として扱っていたのだ。

6.限界

蒯越の指摘に、向朗は「ああ、それですか」と呟いた。

その身体は、ゆらりと揺れていた。
陽翟の街を出発してから三週間。

この二十万の民を導くため、彼は馬上で仮眠をとる以外、ほぼ一睡もせずに計算をし続けてきたのだ。

視界が霞む。
思考が泥のように重い。
だが、最後の「解」だけは、伝えなければならない。

「ならば、その障害を取り除きましょう。……我々の『数』を使って」

「ほう?」

蒯越が目を細めた。「どうやるつもりだ?」

「えっと……宗賊の方々は、劉表様を侮っていますよね。でも、突如現れた『二十万の集団』には恐怖しているはずです。……これを『餌』にしましょう」
向朗は、重たい瞼をこすりながら続けた。

「まず、劉表様の名で宗賊の首領たちに招集をかけます。『水鏡先生率いる二十万の流民が押し寄せてきた。対処法を協議したい。ついては、対策費として恩賞を与える』と言えば、彼らは金と権益に目がないから、のこのこやって来ます」……「そして……」

向朗はポリポリと頬をかいた。意識が飛びそうだ。

「我々からは徐庶率いる精鋭と、選抜した二万の兵を劉表様に『貸与』します。……彼らに劉表軍の旗を持たせ、会場の周囲を固めるのです。二十万の民を背後に従えた劉表様には、逆らえないと……思わせて……あとは、……煮るなり焼なり、……お好きなように……」

言い終わった瞬間だった。
向朗の身体が、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。

ドサッ。

床に倒れ込み、そのままピクリとも動かない。

「なっ……!?」

劉表と蒯越が、ぎょっとして立ち上がった。

「死んだか!?」「いや、これは……」

スゥ、スゥ……という、安らかな寝息が聞こえてきた。
ただの熟睡だった。
極限の緊張と疲労の中で、成すべきことを全て完了した瞬間、彼の身体が強制的に休息に入ったのだ。

呆然とする劉表と蒯越の前で、それまで無言を貫いていた司馬徽が、静かに進み出た。
老学者は、床で泥のように眠る一番弟子の頭を、慈しむように撫でた。

「……御免。ご無礼をお許しくだされ」

司馬徽の目には、涙が浮かんでいた。

「この子は、陽翟を出てから三週間、ほぼ一睡もせず、二十万の民を生かすために計算を続けておりました。……よう頑張った。ようやり遂げた」

司馬徽は、劉表に向かって深々と頭を下げた。

「今はただ、この小さな英雄を休ませてやってはくださらぬか。……彼が示した策は、必ずや殿の覇業を助けましょう」

劉表と蒯越は、顔を見合わせた。
無欲な顔をした詐欺師かと思ったが、違った。
これは、己の命を削って民を背負う、本物の仁者だ。

蒯越は、ふっと表情を緩め、苦笑した。

「……凡庸な指導者は威厳で従わせようとするが、知者は徳で懐柔し、悪辣な者は力で断つべきだ。……いいだろう。その策、乗った」

劉表もまた、重々しく頷いた。

「よかろう。水鏡先生の『徳』と、貴殿らの『数』。そして我が『大義』……。これで荊州を平らげる」
「まずは、寝台を用意せよ!最上の部屋を使わせるのだ!」

――その夜、歴史に残る惨劇の幕が上がった。

襄陽近郊に設けられた宴席に、五十五人の宗賊の首領たちが集められた。
彼らは酒を飲み、劉表を軽んじる発言を繰り返した。
だが、合図と共に、会場の扉が閉ざされた。
現れたのは、徐庶率いる武装兵たちと、蒯越の冷酷な号令だった。

悲鳴と怒号は、一瞬で途絶えた。
五十五個の首が、床に転がった。

指導者を失った彼らの私兵たちは、背後に迫る二十万の「水鏡党」の威容と、劉表の電撃的な粛清に恐怖し、雪崩を打って降伏した。

一夜にして、荊州の旧勢力は一掃された。

そして、全ての策を授けた当の本人は、その騒ぎも知らず、柔らかい寝台の上で、久しぶりの夢を貪っていたのである。
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