滅ぼした勇者に、今度は愛されようとしています

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目覚め

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その少女は、気が付くと、見知らぬ天井を見上げていた。

(ここはどこだろう…)

薄暗い部屋の中、かすかな光が差し込む窓辺に目をやると、豪華なカーテンが揺れている。

「お、お嬢様…エイリスお嬢様…?」

部屋の隅から震える声が聞こえる。
少女は体を起こし、ゆっくりと顔を動かし声の主を見た。
そこには、二人の女が怯えた表情で立っていた。

「ここはどこだ?エイリスお嬢様…?私の事か?」

少女は自分の声に違和感を覚えつつ、問いかけた。

「はい、お嬢様。…ずっと眠られていて…。あなたは、エイリス・アルセリオお嬢様です」

一人の女が震えながら答えた。

「…エイリス・アルセリオ…?」
エイリスは、自分の手を見つめながら呟いた。

(いや…、私は魔王だ。魔王、セリオル=アル=ナヴァリエルだ…)

この体は明らかに以前のものとは違う。
しかし、エイリスは魔王としての記憶をしっかりと持っている。
女たちはエイリスの様子を見て、ますます怯えた表情を浮かべていた。

(なんだ、こいつら。……そうか…侍女のティナとリゼット…)

エイリスは、彼らが怯える理由が少しずつ理解できてきた。

「エイリスお嬢様、何かご用命はございますか?」

エイリスの侍女であるティナが、恐る恐る尋ねた。

「いいや、大丈夫だ。少し一人にしてくれ」
エイリスは、冷たく答えた。

二人がそそくさと部屋を出て行くのを見届けた後、エイリスは深く息を吐いた。

(一体何が起こっているのだろう…)

エイリスは、混乱している思考を整理しようとした。
先程、侍女達を見ている時、エイリスの記憶の断片が、静かに押し寄せてきた。

(この体の持ち主は、人間を虐待するのが趣味なのか…?)

その記憶は、どれも使用人に対してのひどい扱いばかりだった。
エイリスは記憶の断片だけでも大分気分が悪くなり、頭を抱えていた。

鮮明になっていくエイリスの過去の記憶には、エイリスがどれほど多くの人間を傷つけ、わがまま勝手に振る舞い、周囲に迷惑をかけてきたのかが、赤裸々に刻まれていた。

その重みに耐えきれず、エイリスは頭を抱え、再びベッドに身を沈めた。

「……リュシオン」

彼の名を思い出すと、胸が締めつけられる。
最後に剣を交えた相手。
純粋すぎる目を持ち、私をまっすぐに見つめた唯一の人間。

私は、彼に殺され――同時に、彼を殺した。

お互いの心臓を貫いて。



***



私は、かつて魔王だった。
魔族の王として、すべての同胞の上に立ち、この世界の果てに目を向けていた。
かつて、人間と魔族は共存していた。

だが、ある時を境に人間は魔族を恐れ、支配の対象とし始めた。
魔族の力を奪い、奴隷とし、あるいは研究対象とし、力を持つ者は「異形」として排斥された。

私は、ただそれを止めたかった。
仲間を、家族を、これ以上失いたくなかった。
――その果てが、戦争だった。

そして今。
私の目の前に立つのは、「勇者」と呼ばれる少年。
彼の名は――リュシオン。

私は、ゆっくりとその少年――いや、“勇者”へと目を向けた。

……若い。
少年のような顔立ちに、不釣り合いなほど強い光を宿した赤い瞳。

あれが“聖剣”か。
忌々しき光を帯びた刃。私の命脈を絶つために鍛えられた、ただ一つの神の玩具。

(だが……何故だ?)

その剣を構える彼の手は、微かに震えていた。
その瞳の奥にあるもの――それは怒りとも違う。憎悪にしては、あまりに脆く、曇っている。

「お前、名は?」

私は低く、問いかける。
彼は息を詰め、一瞬たじろいだが、答えた。

「……リュシオン・エルヴェイン。聖剣の継承者だ」

なるほど、“赤い目”の王家の象徴。皮肉なものだ。私の同胞の血を浴びたその瞳が、誇らしげに王名を名乗るとは。

年齢は20歳くらいだろうか……。

「リュシオン。お前は私が憎いのか?」

私は静かにリュシオンに語りかけた。
私の言葉に、彼の眉が動いた。

「……お前たち魔族は、俺の母を殺した。俺を、鎖に繋ぎ、母の首を笑いながらはねた!」

「待て」
私は静かに言葉を挟んだ。

「人間を傷つけた魔族がいることは否定しない。だが、最初に剣を抜いたのは、お前たち人間だ。私たち魔族は、無意味な虐殺などしない」

「黙れ!魔族が村を襲い、人を攫ったという記録は山ほどある!」

「ならば、その“記録”とやらは、どこまで信じられるものなのだ?どうして力がある魔族が人間をそんな方法で殺さなければならない。人を攫って何になる。私たち魔族は、力の弱い人間たちを守っていたのだぞ」

リュシオンは言葉に詰まった。
怒りをぶつける相手でしかなかったはずの魔王が、あまりにも静かに、常識的な返答をしてきたからだ。

「私達は、ただ生きてきただけだ。魔族として。民を守り、家族を支え、文化を築いてきた。人間に手を差し伸べ、共に歩こうとした。だが――裏切られたのだ。奴隷にされ、殺され、奪われた」

リュシオンの表情に、動揺が走った。

「嘘だ……」

「なぜ、“魔族が悪だ”という一つの認識だけが、お前の世界に植えつけられている?」

「……それは……」

「自分の目で、何を見た。お前の母を殺した“魔族”と呼ばれた存在に、仮面はなかったか?人の姿をしていなかったか?その者は本当に、魔族だったのか?」

沈黙。

「お前は……優しいな」

私は目を細めた。

「その心は、戦うには……あまりに純粋すぎる。誰にも守られず、導かれず、ただ“魔族を憎め”と教え込まれてきたのか」

「やめろ!!」
リュシオンの手が震える。

私はゆっくりと、一歩近づいた。

「私は……私は、人間が好きだったのだ」

リュシオンの眉がわずかにひそめられる。

「人間は、我ら魔族には持ちえぬ繊細な感情と、複雑な世界観を創り出す。
弱く、儚く、それでも互いを支え、愛し合う……その在り方を、私は尊敬していた」

「……何を、言っている……」

「人間の文学を読んだ。物語を、詩を、恋を語る歌を。特に、恋愛の文学は良かった。私が感じたことがない感情が書かれていた。私には性も、恋もない。だが、それでも――心を震わせる何かがあった。素晴らしいと思っていた。私は……人間を尊敬し、心から愛していたのだ」

沈黙が、リュシオンを包んだ。

その瞳に宿っていた激しい怒りが、わずかに揺れる。

リュシオンの喉が動く。
何かを言おうとして、言葉にならなかった。

私は、一歩彼に近づいた。
私の魔力、瘴気がわずかに揺れ、空気が重くなる。

「お前は……なぜ、私と話していられるのだ。聖剣の力なのか?」

「……なに?」

「人間は、私の瘴気にあてられると、すぐに正気を失う。私がここまで近づいて、なお意識を保っている者など、お前が初めてだ」

私はほんの少し、微笑を浮かべていたと思う。

「こうして、人間と会話できる日が来るとは思わなかった。私は、ずっと……話したかったのだ。ずっと……ずっと」

その声は、気づけばかすれていた。

「私の姿を見れば人間は怯え、逃げていくしか出来なかった。だが、今……ようやく、言葉が通じる人間に会えた……。それが、たとえ私を殺しに来た者であっても……嬉しいのだ」

リュシオンの表情が、苦悩に染まっていく。

「そんな……俺は、そんなつもりじゃ……!」

「わかっている。だが、もういい」

私は、静かにその場に立ったまま、腕を下ろした。

「……剣を振れ。もうよい。私は、お前の怒りを受け入れる」

リュシオンの瞳が、見開かれた。
「え……?」

私は両腕を広げた。
まるで、処刑台に立つように。
そして、目を閉じる。

「私はもう疲れた……。終わりにしようじゃないか」

聖剣が、ゆっくりと持ち上がる音がした。
リュシオンの息遣いが震えているのが、はっきりと聞こえた。

だが――

「魔王様――っ!!」

聖剣が風を切る音とともに、影が飛び込んできた。

「アリア……っ!!」
私は叫んだ。

だが、すでに遅かった。

聖剣が閃き、赤い閃光がアリアの身体を切り裂いた。
空気が裂け、金属が骨に触れる音がした。

「なぜ……なぜだ……!」

アリアの身体が崩れ落ち、私の腕の中に収まった。

「どうして、なぜここにいる……私は逃げろといったはずだ……」

「……あなたには……生きて、いてほしかった……」

アリアの声は、もう風の中に消えかけていた。
血の匂いが、空気を満たしていく。

アリアが、私の腕の中で崩れ落ちた。

魔力の奔流に触れることなく、風のように、穏やかに、命が抜けていく。

「アリア……なぜ、私をかばった……」

その問いに、アリアは答えなかった。
もう、その口が言葉を紡ぐことはない。

『あなたには、生きてほしい』

私の未来を、私の存在を、アリアは最後まで信じていた。

震える指で、アリアの髪を撫でた。
赤く染まったそれは、まるで焼け落ちた大地に咲いた一輪の花のようだった。

私は、その亡骸を抱きしめた。

硬い鱗を持つこの身体で、傷つけぬよう、壊さぬように。
それでも、私の中からあふれ出す感情は抑えきれなかった。

咆哮が空に突き抜ける。

天が震え、大地が軋み、空気が割れた。
魔力が暴走し、城の石床がひび割れていく。

私の叫びは、もはや言葉ではなかった。

涙が頬を伝う。

私は魔王であり、魔族の王でありながら――
こうして、泣いていた。

「アリア……。お前の死を無駄にはしない。朽ち果てるとしても、私は……」

私はゆっくりと立ち上がった。その手に、かつて数千の軍勢を震え上がらせた魔の爪を構える。

「戦って、終わらせる……」

リュシオンが、沈黙の中で剣を握り直していた。

私を見つめるその瞳が――揺れている。

「……泣いているのか……?」

リュシオンが、かすれるような声で問うた。

私は何も答えなかった。ただ、頬を濡らす熱に気づいたまま、静かにその視線を受け止めた。

「魔王が……涙を流すなんて……俺は、そんなもの……聞いたことがない……!」

リュシオンは動揺していた。剣を持つ手がわずかに震えていた。
「……俺は、間違っていたのか……?魔族には心がないと教わった……。でも、こんなの……、人間と同じじゃないか……」

私は、一歩前へと踏み出す。
魔力が空気を震わせ、熱を帯びた風が巻き起こる。

「答えを探す時間は、もう残っていない。貴様も怒りを抱え、私も憎しみを棄てられない。ならば、刃で終わらせるしかないのだ!」

「わかってる……わかってる!!けど、俺は……!」

その言葉は最後まで続かなかった。
もう、言葉では足りなかった。

そして――私たちは走った。

互いの命を懸けて、魂をぶつけ合うように。

聖剣と、魔の爪が、空間を裂き、ぶつかり合い、火花を散らす。

怒りも悲しみもすべて、その剣に、その爪に乗せて。
打ち合うたびに、何かが削れていく。

それは肉体ではなく、魂だった。

――そして、決着の瞬間が訪れる。

私は全力で振るった右の爪を、リュシオンの胸に突き刺す。
同時に、リュシオンの剣が、私の心臓を貫いていた。

刃が肉を裂く音が、どこまでも静かに響いた。

ふたりの身体は、崩れるように膝をついた。

私は、前のめりに倒れかけたリュシオンの身体を、反射的に支えていた。
息が、もうほとんど聞こえなかった。
リュシオンは、ぼんやりと私を見ていた。

「……こんな目をしていたなんて……」
その声は、吐息のように細い。

「こんな、美しい目をしている者が……心がないはずがない……」

私は、ただ黙ってその言葉を聞いていた。

リュシオンは、静かに私の頬に触れた。

その手は、戦いで血に濡れていたが――
不思議と、温かかった。

「魔王……お前は……美しいな」
その最後の言葉とともに少しだけ微笑むと、リュシオンの瞳が閉じた。

その顔から、力が抜けていく。

私は、動けなかった。
ただ、その小さな命の終わりを、この手で感じていた。

やがて彼の手が、ゆっくりと私の頬から離れ、床に落ちた。

「……温かいな……」

私は、ぽつりと呟いた。

その指先の温もりが、確かに私に触れていた。
この世界に生きた、人間という存在の、最後の記憶だった。

私は彼を見つめ、もう涙も出なかった。
ただ、胸の奥が熱く、痛かった。

私はそっと目を閉じた。

そして、そのまま――意識が、闇の中へ沈んでいった。





***


魔王としての命が終わったと思った次の瞬間、魔王は美しい人間の娘、エイリスとなっていた。


平和を心から望み、心から人間を愛した魔王は、魔王よりもはるかに恐ろしい「悪女」に転生したのだった。
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