滅ぼした勇者に、今度は愛されようとしています

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ぎこちない家族の晩餐

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「会話をする時には、気をつけねばなるまい……」
エイリスはぽつりとつぶやいた。

会話をできる限りしないのは、どうしてもエイリスと魔王の言葉遣いが違うからだ。威圧的にしなくても、魔王言葉はどうしても威圧的に感じられてしまうようだった。

しかも、今までのエイリスの行いを考えると、加えての命令口調……。どう考えても怖がらせてしまう。
幸いにも、エイリスの記憶があるので、気を付けると令嬢らしい言葉遣いはできるものの、気を抜くと魔王の口調が出てしまうので、人と会う時はかなり緊張していた。

「どうやら、親子関係もあまりよくないようだしな……」


父・アルセリオ公爵は、二度訪れた。

一度目は、医師の診察中。
扉の外に立ち、少し遠巻きに様子を見ていた。

「……元気そうだな。体調は、大丈夫か?」
アルセリオ公爵が、気を遣うように静かに言った。

「……ああ。大丈夫だ」
と、エイリスが答えると、公爵は目を見開いて、そのまま部屋を後にした。

二度目は、夕方の静かな時間。
窓辺に座るエイリスを前に、椅子に腰掛けて、しばらく黙っていた。

「……あのとき、もう駄目だと思ったよ。心臓が止まったと聞いた時はな……まあ、生きていたなら、それでいい」

それ以上の感情はなかった。
親としての義務だけがそこにあるような、淡白な声だった。

驚かせてはいけないと思い、エイリスは無言で頷くだけにした。


継母・カトリーヌは、一度だけ訪れた。
実母のリシアが亡くなった後、すぐにアルセリオ公爵と結婚したのが、このカトリーヌだった。リシアの従妹にあたり、エイリス達とも血縁関係にあたるのだが、エイリスとの関係は良くなかった。

華やかな香水を纏い、白いドレスで静かに現れた。
扉の前に立ち止まり、にこりと言う。

「……元気そうで、よかったわ」
目は笑っていない。それだけを言って、立ち去っていった。

妹レナは、一度も部屋を訪れる事はなかった。

かすかに残る記憶の中に、レナの怯えた目と、扉の陰に隠れる姿がある。
足音も声も、まったくなかった。

こうして、静かな日々が続いていた。

誰も深く関わらず、誰も問いかけず、部屋の空気だけが時間を刻む。
今日は曇り。昨日は晴れ。明日は雨かもしれない。

それだけだった。


目覚めてから二週間後。
晩餐に呼ばれたのは、目覚めてから初めてのことだった。

公爵家の広間に足を踏み入れると、そこには重厚なシャンデリアと白磁の食器、絢爛な刺繍が施された椅子が並び、まるで舞踏会の余韻を閉じ込めたような静けさが漂っていた。

(できるかぎり、口調には気を付けよう……!令嬢らしく振舞うのだ!!)
エイリスはかなり緊張していた。

食卓には、父・アルセリオ公爵、継母カトリーヌ、妹のレナが既に着席していた。

「エイリス、おまえの席はこちらだ」

公爵もやや緊張した声でそう告げた。

視線を向ければ、公爵の目には微かな不安と戸惑いが浮かんでいた。
それが“かつてのエイリス”を知る者の当然の反応だということは、魔王である彼女にも理解できた。

「……ご…、ご心配をおかけしました、お、お父様」

椅子に腰を下ろしながら、静かに、けれどどこかたどたどしく挨拶をする。
言葉の選び方も抑揚も、どこか「覚えたばかりの礼儀作法」のようで不自然だったが、それでも公爵は、ほっとしたように一息ついた。

「……体の調子はどうだ?」

「……ああ。いや、え、ええ。お、お気遣いに感謝いたします」

レナが目を丸くしてこちらを見ていた。

カトリーヌは、いつものように微笑を浮かべていたが、その笑みには“観察する者”の視線が潜んでいる。
彼女の手元にはナイフとフォーク、そしてその横に置かれたワイングラス。細い指がゆるやかに縁をなぞっている。

料理は温かく、彩りも鮮やかだったが、会話が少ないせいか、食卓全体がどこか冷えきっているようだった。

「……エイリス」

沈黙を破ったのは、公爵だった。声には微かな慎重さがあった。

「実は……、お前が昏睡状態になっていた半年……。その間に……」
公爵は、慎重に言葉を選びながら言った。

「陛下より、正式な婚約が発表された。第一皇子、レニオス殿下と――ミリア・レグリス嬢の婚約だ。そして、3か月前に、二人は結婚した」
言葉が落ちた瞬間、食卓の空気がわずかに緊張した。

カトリーヌがわざとらしく息を漏らし、レナはスプーンを持つ手を止めてエイリスを見た。

(……レニオスと、ミリアか)

エイリスの中に残る“記憶”がささやいた。

レニオス。
美しく、誰もが振り向くような容貌と気品を備えていて、エイリスが誰よりも愛していた男。

ミリアは、エイリスと同じく三大名家の令嬢で、中でも聡明と評されていたが、“偽善者”と呼び、エイリスが毛嫌いしていた令嬢だった。

かつてのエイリスなら、この状況に烈火のごとく怒り狂っていた。だが今は、ただ静かに微笑むのみだった。

「……なるほど。それは、おめでたいことですね」

ナイフとフォークを持ったまま、平然と答える。その声に怒気はなく、むしろ食後の紅茶でも頼むかのような静けさがあった。

公爵は目を見開いた。

「……おまえ、本当に……怒っていないのか?」

「怒る理由など。それは決定事項なのだろう…なのでしょう?だいたい、レニオス皇子と私は……別に婚約者だった訳ではないです」

「……いや、そう、だが……」

どこか困惑したように言葉を濁す公爵。
それを横で聞いていたカトリーヌが、くすりと笑った。

「まぁ、私達も驚きましたわ。あのレニオス様がミリア嬢と……。世間では、エイリスがレニオス様の婚約者になると囁かれていましたのに」

その言葉には棘があった。
だが、エイリスは表情一つ変えず、スープを口に運ぶ。

(……レニオスが婚約しようが、どうでもいい)

かつて抱いていた執着すら、今では薄い霧のように消えていた。

「……それと、もうひとつ話がある」

公爵の声色が変わった。
今までの淡白な父親の口調から一転、何かを慎重に告げようとする、まるで爆弾を投げる前の静けさのような緊張がにじんでいた。

エイリスは手元のナイフとフォークを静かに置き、父の方へと視線を向ける。
その眼差しは凛としていたが、内心は穏やかではない。

「お前が……その、元気になったことで、陛下より正式な命が下された。婚約相手が、決まったそうだ」

(……婚約?)

頭の片隅で、まさか私が!!と思う。
だが、この体は公爵家の令嬢、貴族である以上避けられぬ運命だろうと、エイリスは冷静に受け止めようとしていた――その時だった。

「……相手は、第二皇子。リュシオン殿下だ」

――ガシャンッ。

銀のフォークが手から滑り、皿にぶつかって甲高い音を立てた。

その瞬間、場の空気が凍りつく。

「エ、エイリス……。いや、わかってるつもりだ。お前があの方をどんな風に見ていたか……だがしかし……」

公爵が慌てて声をかけるが、エイリスは返事をしない。
目を見開き、唇が震えていた。血の気が一気に引いて、顔が青ざめていく。

(……嘘だろう……今、なんて?)

リュシオン? リュシオン殿下? あの“リュシオン”が、この国の皇子……?

──そうだ。思い出した。今さらながらに、脳裏で結びついてしまった。

リュシオン・エルヴェイン。
私が――魔王だった私が、最後に命をかけて戦ったあの少年。

赤い瞳、静かな怒りを湛えたまなざし。

そう、間違いない。
あの時、あの場で、私と相打ちになった……あの“勇者”だ。

(くそっ……なんで忘れていた!? なぜ、この国の皇子の名前が“リュシオン”であることを……!?)

動揺で思考が混乱する。
魔王であった時の記憶と、エイリスの身体を通して感じる現在の現実がぶつかり合い、頭の中で警鐘が鳴り響いていた。

(そうか……! あれは、リュシオンは“皇子”だったのか。人間の中で、もっとも高貴な血を引く者……!)

それに、魔王の記憶の中で“勇者”が皇族であるという情報は、ごくわずかだった。
アリアの報告にも、ほとんど名前が出なかった。
それもそのはずだ。リュシオンは“影の皇子”、皇族でありながら王宮の端に追いやられていた皇子であった。

そして、エイリスは、レニオスとの記憶は強くあるものの、リュシオンには全く興味がなかったようだ。

(どうりで、情報が少なかったわけだ……)

そんな人物と、婚約……?
結婚だと?
一つ屋根の下で、同じ空間に身を置く……?

(ありえない……ッ!)

かつて、私を殺し、そして私に殺された男だぞ!?
それが、いま私の“婚約者”? なんの冗談だ。

エイリスは、必死に心の中のざわめきを押し込めた。
両手を太ももに押し当て、震えを感じさせないように静かに力を込める。顔は笑顔――のつもりだったが、引きつった口角の形がそれを物語っていた。

「……それは、光栄……でございます」

ひと呼吸置いて絞り出されたその言葉に、場の空気が一瞬止まった。

まず、アルセリオ公爵が目を見開いた。
あの娘が――自分の娘が、あのリュシオン殿下に婚約を命じられて、喚き散らさないなどと想像もしなかった。

「……ほ、本当に、いいのか?」
にわかに信じられず、疑念を込めた視線がエイリスに向けられる。

「……ああ、いや、ええ。陛下の命には、逆らえませんので」

一応、令嬢らしく整えた丁寧な口調だったが、微かに震えるその声は、聞く者の胸にかすかな違和感を残した。

公爵の心中には混乱が渦巻いていた。
あの傲慢で、皇子の存在すら認めずにいた娘が、まさか自ら婚約を受け入れるなど――。

「……記憶が、まだ戻っていないのではないか?」
思わず疑念が口を突いて出る。

「大丈夫です。お心遣い、感謝いたします」

穏やかな返答だった。だが、あまりにも“別人”のような口ぶりに、公爵はますます眉をひそめた。

レナは、驚きでスプーンを落としかけた。
汚れた皇子と言って、目すら合わせようとしなかった姉が、まさかリュシオン殿下との婚約に――あんな穏やかに応じるとは。

(……嘘でしょ。お姉様が……?)

数年前、エイリスがリュシオンを見たあの瞬間。
あからさまな侮蔑の目。まるで、“そこにいることが許されない存在”でも見るような、冷たい視線――あれを忘れることなど、レナにはできなかった。

そして、今。
婚約の知らせに動揺するどころか、静かに受け入れている姉を見て、レナは思わず自分の手を見つめ直した。
震えていたのは、姉ではなく自分の指先だった。

カトリーヌはと言えば、ワイングラスをくるくると回す手をぴたりと止めた。
その瞳には、鋭い興味と、冷静な“観察”が宿っていた。

(……この子、本当にエイリス?)

その微笑は崩れなかったが、唇の端はわずかに引き締まり、警戒と疑念がわずかににじむ。

「……さすがは公爵家の娘ね。冷静で立派だこと」
そう口にしながらも、どこか試すような響きがある。

エイリスは、スープをすするふりをした。
手はかすかに震えていた。匙がカチャリと小さく音を立てる。

(リュシオン……まさか、この世界でも、彼と再び関わることになるとは)

あの赤い瞳。静かで、深く、凍てつくような怒りを宿した眼差し――忘れたくても、忘れられない光景が脳裏に浮かぶ。

その時、エイリスの舞踏会の記憶がよみがえる。

煌びやかな光の中、レニオス皇子の隣に立つ自分。
まるでその場の空気すら従わせるように、誰もがエイリスの顔色をうかがい、息をひそめる。
その美しさと立ち居振る舞いは堂々たるものだった。

優しく微笑みながらレニオス皇子に手を添え、耳元に囁く。
「殿下のお隣に立つと、皆が見惚れてしまいますわね」
レニオスはわずかに笑い、当然のようにそれを受け入れる。

だがその場に、リュシオン皇子が現れると、空気が明らかに変わった。

エイリスは一瞥すらくれず、まるで虫が足元を這っているかのような視線を下に落とす。言葉など、もってのほかだ。彼に話しかけることすら、自らの価値を損なう行為に思えるのだろう。

それでも、彼女の声はしっかりと届く距離で、言うのだった。

「……あら、今、何か臭わなかったかしら?」
「やっぱり血って、隠せないのね。どれだけ着飾っても、ねぇ?」
「私、汚らわしいものに近づくと、肌が荒れるのよ。困ったわ」

柔らかく、上品な口調で語られるその言葉の刃は、誰よりも冷たく鋭い。リュシオンはそれを無視するしかない。反論は無意味。相手は皇子であっても“彼女”には届かない。

視線すら交わさない。
まるでそこに“人間”など存在していないかのように、エイリスは微笑み、レニオスの腕にそっと寄り添った。

それが、“彼女のやり方”だった。

そのときの“自分”は、優越感に満ちた笑みを浮かべながら、まるで女王のように振る舞っていた。

(……エイリスはリュシオンに嫌われていてる。絶対に……。過去の“エイリス”の振る舞いを思えば、顔を合わせるのも辛いくらいだ)

それでも。

(……もし、もう一度、話せるのなら)

それは、贖罪でもなく、同情でもない。
ただ、あのとき果たせなかった“対話”を、今度こそ――。

(……今度は、ちゃんと……向き合いたい)

それはまだ名前も形もない、ただのかけらのような感情だった。
だが、魔王だった彼女の中にはなかった、“変化”の兆しだった。
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