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騒ぎ出す屋敷と、のんびり令嬢
しおりを挟む「ですから、アリスお嬢様! 本当に婚約破棄が決まったのですか?」
シャーベット家の侍女長であるミレイは、目を丸くしてアリスの部屋を見回す。そこには、ゆるいクッションにもたれて紅茶を飲むアリスの姿。まるで何事もなかったかのようにくつろいでいる。
「はい。クライヴさまが帰り際にそうおっしゃいましたので。……わたしも『わかりました』と」
「それは、あまりにも軽い返事ではございませんか! 公爵家からの婚約破棄ともなれば、お家の方がどうなるか……ご両親がご存知になったら、きっと……」
「ふぁ……大丈夫です。お父様とお母様には、わたしからちゃんと言っておきます。クライヴさまも挨拶には伺うとおっしゃってましたし」
「は、はあ……」
ミレイは呆れと心配をないまぜにした表情で、アリスを見つめる。アリスはどこ吹く風という様子で、ふわりとカップを置くと、立ち上がって鏡台の前に歩み寄った。
いつも眠たげなとろりとした瞳。金髪をツインテールにしているが、子どもっぽいというよりはどこか幻想的。その姿に見とれてしまう人間は多いだろう。しかし、実際話してみれば独特のマイペースぶりに驚かされることになる。
「にしても、婚約破棄されたら、わたしってどうなるんでしょうね」
「そういうことを今からご心配なさるものなんですよ、お嬢様……」
「うーん、別に困ることは……とくに思いつきません。だって寝るのは嫌いですし、ドレスは自分で好きに選べるし、ごはんもいつもの家の食事が一番おいしいし……」
「そ、そういう次元の話ですか?」
アリスは首をかしげる。深刻さがまるで感じられない。この“のんびり”というより“ほわほわ”としたオーラに、周囲の者は振り回されがちだ。
そのころ、シャーベット家の当主であるアリスの父・グラントは、別の部屋で両手をわなわな震わせていた。すでにクライヴが屋敷を出た後、侍従から「婚約破棄」の事実を知らされたのだ。
「いったい、どういうことだ……!」
グラントは重々しくため息をつく。公爵家との縁組は、シャーベット家としても名誉であり、家の繁栄にも一役買う重要案件。なのに、当の娘は呑気に構えているらしい。それがまた父としては歯がゆい。
「……とはいえ、アリスが傷ついていないのなら、まだ救いか」
父としては娘の落ち込みようを想像していたが、当の本人はまったく取り乱していない。それを知り、少し安堵したような、しかし複雑な気持ちを噛みしめる。
「グラント様、いかがなさいますか。公爵家に抗議を?」
「いや……クライヴ殿のご意向であれば、無理強いはできん。アリスがどう思っているか、そこが問題だ」
グラントはそう言って椅子を立つ。娘の様子を見に行こうと廊下へ足を踏み出した。
部屋の中では、アリスがひたすらマイペースに鏡を覗き込んでいる。その周りをミレイがソワソワと落ち着かない様子で動き回っていた。
「お嬢様、少しは動揺なさってもよろしいのでは……?」
「えー、動揺する……? ふぁ……そうですね、あんまりピンとこないんですよ。婚約とか、結婚とか、まだ先のことだと思ってましたし」
「先だと思っていたからといって、破棄されても気にしないというのは……」
「だって、クライヴさまもいらいらしてそうでしたし。あのまま結婚したら、クライヴさまが眠れなくなるんじゃないですか?」
アリスの言葉に、ミレイは思わず息をのむ。彼女がいつも眠そうな顔をしているので「自分が寝不足にさせてしまう」とクライヴは感じていたのかもしれない……と勝手に想像してしまう。
そのとき、部屋の扉がノックされ、グラントが顔を覗かせた。アリスは「あ、父様」と手をひらひらさせて笑う。
「アリス……大丈夫か? クライヴ殿が婚約破棄を……」
「はい。大丈夫ですよ。なんだかあちらが悩んでらしたので、わたしが『いいですよ』って」
「あ、ああ……そうか」
グラントは娘の様子を見て「本当に平気そうだな」と実感する。拍子抜けするほど元気そうで、かえって戸惑う。
「しかし、これからどうするか……。公爵家との関係もあるし、お前の評判も気になる。それに社交界で噂になるのは必至だ」
「噂になりますか? わたし、特に言うことないんですけど」
「ないって……まあ、そうだろうが」
アリスは父に気遣いの言葉をかけるでもなく、ぽてっとベッドに腰を下ろした。ふかふかのクッションが背中を優しく受け止める。そのまま数秒、瞼を落とすが、もちろん眠ってはいない。
「……父様。これを機に、しばらく自由に過ごしてもいいですか?」
「じ、自由に?」
「はい。婚約がなくなったなら、私にかかる制約とか減りますよね?」
「うむ、まあ、表向きはそうだが……。いずれ次の縁談が来るかもしれんぞ。お前、まだ若いんだから」
「若い……ああ、そうでした。結構、子どもっぽいって言われます」
アリスはくすりと笑う。グラントはそれを見て困惑しつつも、娘のこの“どこ吹く風”な態度こそ、彼女の最大の魅力でもあると思い直す。幼く見えるかもしれないが、芯は案外しっかりしているのだ。
「わかった。しばらくは好きにしてよい。ただし、周囲からいろいろ言われるだろうから、そこだけは注意してくれよ」
「はい。わかりました」
そう返事をしたアリスは、グラントが部屋を出たあとも特に変わりなく、穏やかに微睡むような表情を浮かべて過ごすのだった。
こうして、シャーベット家の中は慌ただしさと心配でざわめくが、本人は至ってのんびり。誰が何を言おうと、アリスは自分のペースを崩す気配はない。だが、このまま穏やかな日常が続くわけもない。
――今、噂の種は間違いなく社交界に飛び火している。アリスの婚約破棄が周囲にどんな影響を与えるのか、そこにまだ本人は興味すら持っていなかった。
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