【完結】「婚約破棄ですか?分かりました」おしまい?

えるろって

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公爵家の屋敷をクライヴに案内されながら見学していたアリス。エリックが少し後ろをついてくる形で、侍女はさらに離れた位置で控えている。  
やがて、クライヴが「兄上に挨拶しようか」と提案し、アリスたちは邸の奥へ向かった。ギルバート・リンドン公爵嫡男――クライヴの兄であり、次期公爵となる人物が執務を行う部屋だ。

「兄上は少しだけ公務をしていると思うが……入って大丈夫だろう。前にも『アリス嬢を歓迎する』と言ってたし、ディーンの事件でも協力的だったから」

「はい、兄上さまに改めてお礼を言いたいです。いろいろ助けていただいて……」

アリスは、ディーン子爵の夜襲やその後の対応において、公爵家が味方になってくれたことを覚えている。門外漢ではあるが、公爵家が動いてくれたおかげでディーンの暴挙が抑えられた。  
クライヴがドアをノックし、「兄上、アリス嬢をお連れしました」と声をかけると、中から「どうぞ」と柔和な声が返ってきた。扉を開けると、落ち着いた雰囲気の書斎が広がり、デスクの後ろにギルバートが座っている。

「こんにちは、アリス嬢。ようこそ、リンドン公爵家へ」

「ギルバートさま……本日はわたしなどをお招きいただき、ありがとうございます」

アリスは深く頭を下げ、エリックも後ろで礼をする。ギルバートは「堅苦しくなくていいよ」と手を振り、にこやかにアリスの方を見やった。

「君にはディーン子爵の一件で苦労をかけたと聞いている。クライヴからも報告があったし、王宮からの通達で我々も少し動いたんだ。結果的に君を守ることにつながったのなら、よかった」

「はい……本当に、ありがとうございました。ディーンさまも今は大人しくしているようですし、ひとまず安心できています」

ギルバートは「うんうん」と頷き、椅子から立ち上がって書斎の奥を軽く整える。どうやら客用のソファがあるのだが、資料が少し散らかっていたらしい。

「ここもあまり片付けていなくてすまない。君が来るのは大歓迎だけど、正式な場じゃないから適当にやっていてね。……クライヴ、アリス嬢とエリック騎士見習いにお茶でも出してあげなさい」

「はい、兄上。……エリック、警戒しなくても大丈夫だぞ。ここは安全だから」

クライヴが冗談めかして言うと、エリックは少し気まずそうに眉を寄せる。

「別に警戒してるわけじゃありません。アリスの護衛として当然の職務を……」

「わかってる、ありがとう」

アリスは二人のやり取りを見ながら、ほっと和やかな雰囲気を感じる。公爵家はもっと威圧的かと思ったが、ギルバートもクライヴも“真面目だけど温かい”印象で、少しだけ拍子抜けするほど居心地がよい。

---

軽くソファに腰を下ろすと、侍女が持ってきたお茶をクライヴが自分で注いでくれる。ギルバートは書類を片付けた後、アリスの正面に座って再び会話を始めた。

「アリス嬢、君は寝るのが嫌いだとか? クライヴから聞いてはいたが、ここまで元気に動き回るとは思わなかったよ。舞踏会でも最後まで踊っていたらしいね」

「そ、そうなんですよ……。でも、最近は自分でも少し驚いてます。意外と寝られるようになってきたというか……」

アリスは恥ずかしそうに話しながら、エリックにちらりと視線を向ける。夜襲事件の後から、安心感が増したのか、少しずつ眠りへの抵抗が薄れているのだ。  
ギルバートは興味深げに目を細める。

「それはいいことだ。……実は私も、昔から仕事で夜更かしすることが多くてね。朝が弱いんだよ。クライヴほど夜型でもないが、寝るのが嫌い、とはいかなくとも、長時間眠るのが苦手だな」

「そうなんですか? 公爵家も夜更かし派が多いんですね」

アリスは思わず笑みをこぼす。寝るのが嫌いな自分が公爵家に行っても、意外と合うかもしれないと思わせるエピソードだ。  
するとギルバートはふと真顔になって、アリスをじっと見つめる。

「アリス嬢、君は昔からそうなのか? “寝るのが嫌い”というのは、たとえば幼い頃に何かあったとか……いや、こちらの詮索が過ぎるかもしれないが」

「……あ」

アリスは口ごもる。実のところ、彼女が“寝るの嫌い”になったのは幼少期にある出来事があったからだ。ただ、それを人に詳しく話したことはほとんどない。エリックすら深くは知らない。  
クライヴも少し表情を変え、「確かに聞いてみたかったけど、無理に聞くわけにはいかないと思っていた」と言わんばかりの目を向けてくる。エリックは後ろで黙っていて、アリスの返答を待っているようだ。

「……いえ、わたし、あまり思い出さないようにしていたんですけど。昔……小さい頃に、夜に怖い夢を見たことがあって。それが続いているうちに、いつの間にか“寝るのが嫌い”になったんです」

アリスはおずおずと話し始める。記憶はぼんやりしているが、幼少期に怖い悪夢を頻繁に見て、夜が怖くなり、それが「寝るの嫌い」に直結してしまった。  
詳しい内容までは覚えていないが、夢の中で闇に吞まれるような恐怖を味わい、その度に汗びっしょりで目が覚めたことだけは鮮明に残っている。

「それ以来、寝るとまた夢を見るんじゃないかって……夜が来るのが嫌になっちゃって。長らく、そんな感じです」

言葉を終えると、ギルバートは柔和な顔で「なるほど……」と呟き、クライヴも静かに息を飲む。エリックは後ろで目を伏せ、苦い表情をする。

(やっぱり、昔からそうだったんだ。幼馴染なのに、俺はそこまで詳しく聞かなかった……)

エリックの胸にチクリと罪悪感が走るが、今は口を挟まない。ギルバートが優しい声で続ける。

「君が思い出すのも辛いなら、これ以上は聞かない。……でも、もし公爵家を訪ねることで“安心して眠れる”ような場所があるなら、いつでも来てほしい。弟が君を大事に思っているのは明白だからね」

「ありがとうございます、ギルバートさま……。わたし、少しずつかもしれませんが、寝ることも悪いだけじゃないかなって思い始めたんです。……怖い夢を見ても、最近は誰かが助けてくれる気がして」

アリスは微笑む。エリックやクライヴ、そしてフローレンス、家族――いろいろな支えがあると感じるようになり、夜への恐怖が和らいできたのだ。  
クライヴはアリスに対して、静かに目を伏せながら自分を奮い立たせるようにつぶやく。

「……俺が、その夢から助け出す役になれるなら、うれしい。無理やりじゃなく、君のペースに合わせたいけど、いつか俺を頼ってほしい」

「ふぁ……はい。わたしも、クライヴさまを頼ってみたい気持ちがあります」

その言葉にギルバートは「ほほう」と頷き、エリックは眼を伏せたまま。あたたかい空気が書斎を包み込むが、同時に微妙な緊張感が漂う。アリスの“寝るのが嫌い”という言葉には、幼い頃のトラウマが影響していたという事実が浮き彫りになったからだ。  
やがてギルバートは「さて、話は尽きないが、君たちが見学できる場所はまだあるよ。食堂や庭もあるし、ここでは少し狭いから」と席を立ち、クライヴたちに笑顔を向ける。

「アリス嬢、よければ庭に出てみたらどうだい? この屋敷には広い庭園があって、夜会用のバラ園もあるんだ。日が暮れる前に見ておくといい」

「いいですね。バラ園、見たいです……」

アリスは目を輝かせる。エリックは苦笑しながら「護衛しやすい場所なら助かる」と心中で思う。クライヴも「じゃあ庭へ行こう」と提案し、一行は書斎を出た。  
エリックが最後に部屋を出ようとすると、ギルバートが小声で「頼んだよ、エリック」と声をかける。エリックは一瞬眉をひそめたが、すぐに「もちろん」と低く答える。  
こうして、アリスにとって重い過去の一端が少しだけ明かされた。まだすべて話したわけではないが、それだけでも“寝るのが嫌いな理由”が見えてきたのは大きな進展だ。クライヴやエリックがどう支えていくのか、これからが鍵になる。
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