【完結】「婚約破棄ですか?分かりました」おしまい?

えるろって

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深夜1時を回ったシャーベット家の厨房。焼き上がったクッキーをテーブルに並べ、アリスたちは遅い“お茶会”を始めた。フローレンスが「いただきまーす」と先陣を切り、エリックは警護のため落ち着かないながらも席についている。クライヴは一番期待に胸を膨らませている様子だ。

「わあ、レモンの香りがすごい……。苦味もあるけど爽やかですね。チョコチップのほうはどうだろ?」

アリスはひとつずつ口に運び、味を確かめる。クライヴもアリスが仕上げたスパイス入りチョコクッキーに挑戦し、「独特の風味がある。大人っぽい味だ」と感想を述べる。

「おいしい……寝るの嫌いだけど、こういう夜なら起きててもいいかも。クライヴさま、気に入ってくれたなら嬉しいです」

「気に入ったよ。眠気なんか吹き飛ぶくらい、楽しんでる。……アリス、ありがとう」

クライヴが微笑み、アリスも照れ笑いを返す。二人の間に確かな温もりがあり、フローレンスは「あらあら」とあざとい笑みを浮かべる。エリックだけが少し沈黙気味だ。  
だが、アリスもエリックを無視するつもりはない。彼にも「エリックの丸型もきれいに焼けてますよ」と勧めたり、「護衛ありがとう」と声をかけたりして、三角形の距離を気遣う。エリックも最低限の返事をし、クライヴに対して不快感を露わにする様子はない。

(こんな形でも、三人一緒に過ごす夜があるんだ……わたし、寝るの嫌いだからこそ体験できるのかもしれない)

アリスはしみじみ思う。ディーンの闇に怯えた夜襲事件とは正反対の、平和で甘い深夜。違和感はあるが、それが自分の幸せにつながるなら受け入れたい。  
しばらくクッキーを食べながら談笑していると、フローレンスが「そういえばクライヴさま、寝るのはけっこう好き派なんですか?」などと尋ね始める。クライヴは「そういうわけでもないが、昼間に動くのが当たり前だから夜はしっかり眠る」と答える。

「へえ、じゃあこの時間に起きてるのは珍しいんですね。クライヴさま、きっと明日寝不足ですよ」

アリスが心配そうに言うと、クライヴは笑って首を振る。

「寝不足だろうと構わない。君が誘ってくれたこの夜は特別だし、俺が眠るよりはるかに価値がある」

「クライヴさま……」

思いがけない甘い言葉にアリスは胸がいっぱいになる。いつもなら「寝不足は体に悪いですよ」と返すところだが、今はそう言えずに照れてしまう。フローレンスは「おお、まるで恋人同士ね」と嬉しそうだ。  
エリックはそんな二人のやり取りを横目で見ながら、机に視線を落とす。クライヴは一切エリックを遠ざけようとしないし、むしろ「護衛として感謝している」と声をかけてくるが、エリックには苦いものがこみ上げるだけだ。

「……そうだ、コーヒーも淹れようか? 夜更かしにぴったりですよね、クライヴさまも眠気が来るかもしれないし」

「いいね、頼むよ」

アリスは立ち上がってコーヒーセットを用意しようとする。すると、エリックが「俺がやるよ」と先んじて立ち上がる。何かしたいのだろうか。アリスは少し意外に思い、「エリックが淹れてくれるんですね」と微笑むが、彼の目はどこか悲しげだ。

(わたしがクライヴさまばかり気にしてるから、エリックに悪いのかな……)

胸の奥に申し訳なさを感じながら、アリスは座に戻る。クライヴは「助かる」と言ってエリックに礼を述べ、再びアリスと向き合う形となる。フローレンスは「あらあら」しか言わない。  
数分後、エリックがコーヒーを淹れてきて、四人それぞれのカップが揃う。深夜の厨房に立ち込めるコーヒーの香りが、クッキーの甘さを引き立てている。アリスはひと口飲んで苦味に顔をしかめつつ、チョコチップスパイスクッキーで中和する感じが楽しい。

「すごく大人な味……苦いけど、これがクライヴさまに合うんじゃないかな。寝るの嫌いなわたしでも、眠気が吹き飛びそうです」

「確かに。……ありがとう、エリック。うまいコーヒーだ」

エリックは無言でうなずくだけ。その表情にはまだしこりが残っているが、アリスはそっとエリックの視線を追う。ほんの一瞬、二人の目が合い、エリックがわずかに笑みを見せる。

(これがわたしの大事な夜……クライヴさまとの絆も、エリックとの絆も、同時に感じられる。でも、どこかやりきれない気もして)

アリスは混乱しつつも、夜が何事もなく穏やかに流れていることに感謝する。フローレンスの口数も増え、「こんな夜会、社交界の誰も想像しないわ」と大騒ぎだ。クライヴもアリスも頷き合い、思い出に残る夜になると実感する。  
時刻はすでに夜中2時を過ぎた。そろそろ朝までには撤収しないと、クライヴの公務やエリックの騎士見習いにも支障が出る。アリスは寝るの嫌いというわりに少し疲れを覚え始め、「そろそろお開きにしませんか」と提案する。

「寝るのが嫌いなわたしでも、さすがにもうクタクタで……。クライヴさま、フローレンス、エリック……本当にありがとうございました。お付き合いいただいて」

「むしろこちらこそ楽しかったよ。寝るのが嫌いな君の夜は予想以上に心地良かった。……もっと一緒にいたいけど、朝が来る前に戻らないと怪しまれるな」

クライヴが名残惜しそうに笑い、フローレンスも「あら、まだ帰るの?」と冗談を飛ばす。エリックは苦い表情で「これ以上は危険だ。早めに送ります」と立ち上がる。  
こうして最初で最後かもしれない“夜更かしクッキー作りの秘密夜会”は、何事もなく終了を迎える。アリスは大きく伸びをして、心底充実した時間だったと感じつつも、胸に残るエリックへの申し訳なさとクライヴへの感謝がぐるぐるしている。

(寝るの嫌いなわたしが、こんなに幸せな夜を過ごしていいのかな……。でも、ほんとに良かった。)

複雑な感情の渦中で、アリスはクライヴを玄関の裏口まで見送り、フローレンスも帰宅するまで付き添う形となる。エリックは護衛を完遂し、今は静かに見守っている。  
誰もまだ、この夜をきっかけに彼らの関係がどう変化するのかは分からない。だが、寝るのが嫌いな彼女が“夜”を大好きになりつつあることだけは確かだった。
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