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第31話 説得
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私のキラキラした一日は慌ただしく過ぎ、どうにか夫婦喧嘩は勃発しないまま就業時間が迫ってきた。まだ冷戦状態らしい。
おそらく本日最後の家族連れを見送ったところで、ガラス越しに中を伺っている人影に目が留まった。このごろ多いなぁ。
「いらっしゃいませ」
ビクッと跳ねたのは中年の男性だった。しばし目を泳がせたのちに私をじっと見て、不自然なほどゆっくりと近づいてくる。こちらに来るのを躊躇うような速度で。
「あの……坂本梨代さん、ですか?」
身構えた私に、慌てた様子で手をバタバタさせて訴える。
「怪しい者じゃないです! 私は篠塚家に雇われている運転手の金澤という者でして」
山東君が言っていた人だろうか。私に用事があるとしたら、また厄介事の予感がする。
「先日のお忘れ物でもありましたか」
事務的な口調で言ったら、ピクっと口元が動くのが見えた。これが引きつった顔というやつだろうか。
「ええと……別の用件で」
そんなに言いづらい内容なら、このまま勇気を出さずに帰ってくれないかなぁ……という願いは無駄だった。向こうは一滴の勇気を振り絞ってしまったらしい。
「ま、正輝君と、話してみてはもらえませんか。少しだけでも!」
ほとんど勢いで言ったかのような、叫ぶのに似た口調だった。本人も自分の声に驚いたのだろう。「しまった」という分かりやすい表情を浮かべた後、息を吸って少し落ち着いてから続きを始めた。
「正輝君は軽薄に見えるでしょうが、それだけの人じゃないんです。篠塚家の中でも微妙な立場に生まれて、自分なりの振る舞いを考えた結果と言いますか。染みついた癖で坂本さんにも変な態度しか見せられなかったのだと……本当は悩んで生きている人なんです。ちゃんと見てもらえれば、きっと別の顔が見えてくるはずです」
自分が告白しているかのような緊張ぶりである。よく見れば両手とも拳を握っているし。
「側で支えてくれる人が、理解してくれる人がいれば、真面目に生きられるはずなんです。そうすれば末端でくすぶっていることも無くなる。本当は優秀な人なんだから、職場でも一族の中でも重要な位置に就けると思うんです」
今度は将来性の売り込みが始まった。え、つまり何? 私が正輝さんを更生させろってこと?
「決まった相手がいないのなら、どうかチャンスを与えてください。正輝君には坂本さんのような人が必要です」
金澤さんは口を閉じた。言いたいことは済んだようなので、次は私の番になったらしい。さて、どういう方向から行こうかな。
「そう伝えて来いって言われましたか? 正輝さんに」
「違う! 今日は私が勝手に来たんだ!」
あ、急に荒っぽくなった。こっちが素なのかな。もう一押ししてみよう。
「なるほど、バレちゃいけない命令だったんですね」
「だから私の勝手な行動だ! なぜ正輝君だけそんなに邪推するんだ、いつも達之さんには好意的なのに!」
どうにも必死な様子で言いつのっている。敬語が完全に無くなっているのは気づいているのか、いないのか。
「分家だから興味がないのか? 達之さんだって御曹司とはいえ、総帥を継ぐのは姉だと言われているぞ。将来を期待して取り入っても意味がない」
「そうなんですか。どうでも良いですけど」
私には関係ない家の事情だし。
こちらの反応が薄かったせいか、金澤さんが余計なことをブツブツ言い出した。
「本家ならグループトップの企業で働くのが普通なのに、わざわざ子会社の靴メーカーなんかに就職して。達之さんは一体何を考えているんだか。いや、出来が悪くて親に見切りを付けられたのか? むしろ正輝君より、よほど考えなしの……」
「あんたが評価することじゃない」
自分から思った以上にどす黒い声が出ていた。でも、今はその声で良いと思う。何に対してとも言いづらいけれど、とにかく無性に腹が立って仕方がなかった。
「仮にも一族の関係者であるあなたが、内部の悪評をバラまくんですね。それが篠塚グループの方針ですか? ふうん」
「あ、いや」
いまさらバツの悪そうな顔をしているが、言われないと気づかないあたりで人間性が分かる。でもって雇い主に教育されていないなら、雇われ人の中でも重要度が低い人物なのだろう。とりあえず私はそう評価を下す。だから彼の言葉も重要視しない。
――ああ、言動って大事なんだな。篠塚さんの立派さが分かった気がした。なんか会いたいなぁ。
「つまり何しに来たんですか? 正輝さんを売り込みに来たのか、達之さんを貶しに来たのか」
「私はただ、正輝君にチャンスを……」
「私、嫌いなんですよ。『あれでも根は良いやつなんだ』みたいなフォロー。人を不快にさせた時点で良いやつとは言えません」
よく小説に出て来るセリフ、見るたびにイラっとする。
「根気強く本当の姿を見てあげる役目は、家族友人でお願いします。他人に頼むことじゃないでしょ。私は関係ありません」
孤独な感情の裏返しとか、ただ不器用なだけなんだとか、言い訳はいくらでもできるだろう。するなと言うつもりもない。でも他人である私が付き合ってあげる理由もないはずだ。
「仕事中なので、ご用件がお済でしたらお引き取りください」
「いや」
「お引き取りください」
「話を聞いてくれ、梨代!」
おそらく本日最後の家族連れを見送ったところで、ガラス越しに中を伺っている人影に目が留まった。このごろ多いなぁ。
「いらっしゃいませ」
ビクッと跳ねたのは中年の男性だった。しばし目を泳がせたのちに私をじっと見て、不自然なほどゆっくりと近づいてくる。こちらに来るのを躊躇うような速度で。
「あの……坂本梨代さん、ですか?」
身構えた私に、慌てた様子で手をバタバタさせて訴える。
「怪しい者じゃないです! 私は篠塚家に雇われている運転手の金澤という者でして」
山東君が言っていた人だろうか。私に用事があるとしたら、また厄介事の予感がする。
「先日のお忘れ物でもありましたか」
事務的な口調で言ったら、ピクっと口元が動くのが見えた。これが引きつった顔というやつだろうか。
「ええと……別の用件で」
そんなに言いづらい内容なら、このまま勇気を出さずに帰ってくれないかなぁ……という願いは無駄だった。向こうは一滴の勇気を振り絞ってしまったらしい。
「ま、正輝君と、話してみてはもらえませんか。少しだけでも!」
ほとんど勢いで言ったかのような、叫ぶのに似た口調だった。本人も自分の声に驚いたのだろう。「しまった」という分かりやすい表情を浮かべた後、息を吸って少し落ち着いてから続きを始めた。
「正輝君は軽薄に見えるでしょうが、それだけの人じゃないんです。篠塚家の中でも微妙な立場に生まれて、自分なりの振る舞いを考えた結果と言いますか。染みついた癖で坂本さんにも変な態度しか見せられなかったのだと……本当は悩んで生きている人なんです。ちゃんと見てもらえれば、きっと別の顔が見えてくるはずです」
自分が告白しているかのような緊張ぶりである。よく見れば両手とも拳を握っているし。
「側で支えてくれる人が、理解してくれる人がいれば、真面目に生きられるはずなんです。そうすれば末端でくすぶっていることも無くなる。本当は優秀な人なんだから、職場でも一族の中でも重要な位置に就けると思うんです」
今度は将来性の売り込みが始まった。え、つまり何? 私が正輝さんを更生させろってこと?
「決まった相手がいないのなら、どうかチャンスを与えてください。正輝君には坂本さんのような人が必要です」
金澤さんは口を閉じた。言いたいことは済んだようなので、次は私の番になったらしい。さて、どういう方向から行こうかな。
「そう伝えて来いって言われましたか? 正輝さんに」
「違う! 今日は私が勝手に来たんだ!」
あ、急に荒っぽくなった。こっちが素なのかな。もう一押ししてみよう。
「なるほど、バレちゃいけない命令だったんですね」
「だから私の勝手な行動だ! なぜ正輝君だけそんなに邪推するんだ、いつも達之さんには好意的なのに!」
どうにも必死な様子で言いつのっている。敬語が完全に無くなっているのは気づいているのか、いないのか。
「分家だから興味がないのか? 達之さんだって御曹司とはいえ、総帥を継ぐのは姉だと言われているぞ。将来を期待して取り入っても意味がない」
「そうなんですか。どうでも良いですけど」
私には関係ない家の事情だし。
こちらの反応が薄かったせいか、金澤さんが余計なことをブツブツ言い出した。
「本家ならグループトップの企業で働くのが普通なのに、わざわざ子会社の靴メーカーなんかに就職して。達之さんは一体何を考えているんだか。いや、出来が悪くて親に見切りを付けられたのか? むしろ正輝君より、よほど考えなしの……」
「あんたが評価することじゃない」
自分から思った以上にどす黒い声が出ていた。でも、今はその声で良いと思う。何に対してとも言いづらいけれど、とにかく無性に腹が立って仕方がなかった。
「仮にも一族の関係者であるあなたが、内部の悪評をバラまくんですね。それが篠塚グループの方針ですか? ふうん」
「あ、いや」
いまさらバツの悪そうな顔をしているが、言われないと気づかないあたりで人間性が分かる。でもって雇い主に教育されていないなら、雇われ人の中でも重要度が低い人物なのだろう。とりあえず私はそう評価を下す。だから彼の言葉も重要視しない。
――ああ、言動って大事なんだな。篠塚さんの立派さが分かった気がした。なんか会いたいなぁ。
「つまり何しに来たんですか? 正輝さんを売り込みに来たのか、達之さんを貶しに来たのか」
「私はただ、正輝君にチャンスを……」
「私、嫌いなんですよ。『あれでも根は良いやつなんだ』みたいなフォロー。人を不快にさせた時点で良いやつとは言えません」
よく小説に出て来るセリフ、見るたびにイラっとする。
「根気強く本当の姿を見てあげる役目は、家族友人でお願いします。他人に頼むことじゃないでしょ。私は関係ありません」
孤独な感情の裏返しとか、ただ不器用なだけなんだとか、言い訳はいくらでもできるだろう。するなと言うつもりもない。でも他人である私が付き合ってあげる理由もないはずだ。
「仕事中なので、ご用件がお済でしたらお引き取りください」
「いや」
「お引き取りください」
「話を聞いてくれ、梨代!」
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