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第32話 単純な一言
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突然の呼び捨て。びっくりした私が反応する間もなく、金澤さんが猛然と頭を下げた。
「失礼、口が回らなかっただけです。坂本梨代さん」
あれだけハッキリ呼んでおいて? 明らかに嘘だと思う一方、なれなれしく呼ばれる理由も思い当たらない。正輝さんみたいなノリの人でもなさそうだし。
「それで、ですね」
恐る恐るといった上目遣いで顔を上げかけた金澤さんは、私が眼光鋭く見下ろしているのを見て停止した。
「……なにとぞ、正輝君をよろしく……お邪魔しました……」
頭を下げた微妙な角度のまま後ずさりし、金澤さんは逃げるように去って行った。
さて、強気に対応したのは良いが、後で職場に迷惑がかかりはしないだろうか。なんて心配が頭をよぎったところで、なぜか背後から拍手が起こった。振り返ると北内さんと山東君が並んで手を叩いている。
「かっこいいです、坂本さん!」
「営業妨害の不審者、これで撃退っすね!」
冗談ではなく本気で言っているらしい。
「ただ黙って見物してたわけ?」
二人にも鋭い目を向けてみたら、山東君が首の後ろをさすりながら言い訳をはじめた。
「いやぁ、助けに入るか館長呼ぶかで迷ってたんですけど、坂本さん一人で大丈夫そうだったんで。逆にヘルプが入るのも邪魔かなって」
「女性一人じゃ対応できないと思われるのも嫌じゃないですか」
北内さんまで山東君の援護に回った。もう終わったことだから良いけども。
でも山東君は対応しているのが北内さんだったら、迷わず助けに入ったと思う。なんかモヤッとするなぁ。でも北内さん側から見たら、女性みんなに優しい男の方が嫌かもしれない。いまいち正解が分からないぞ。こういうのって――。
「なんて面倒な」
「本当に面倒ですよね。変な人はどこにでもいますから」
「え? ああ、うん。そうだね」
そっちの話じゃなかったんだけど、まあいいや。
館内で終業を知らせる音楽が鳴りはじめた。
「お疲れさまでした。今日は大変でしたね、坂本さん」
「本当。さ、片付けしなきゃ」
急激にのしかかってきた疲労感を背負い直し、二人を追い立てて中へ入った。最近どうにも私の周りが騒がしくて仕方ない。変な出来事、変な人、変な関係性、全ての発端は一人に行きつくのだろう。まったく迷惑な話だ。なのに私は今、その迷惑な一人に会いたくなっている。なんでだろう。
ようやくスタッフルームに下がったら、スマホにメッセージが届いていた。飛びつくように開けばクーポンのお知らせ。絵文字たっぷりのカラフルな文面に、変な虚しさを押し付けられた気分になる。……私、そんなに会いたいの?
「彼氏ですか」
隣に北内さんが立っていた。出た、気配のない小動物!
「な、何の話?」
「会いたいって聞こえたので」
口に出ていたとは、我ながら不注意が過ぎる。
「犬! 犬の話だから!」
「犬飼ってるんですか。いいなぁ」
「私の犬じゃなくてね。ときどき遊んであげる犬なんだけど」
「ふうん?」
首を傾げながらも着替えを始めている。
「どんな犬ですか。大きさとか種類とか」
「大型犬、かな。種類は……何だろう」
スリッパを咥えたイメージしか固まっていない。
「ミックスですか?」
「ううん。血統書付きの、良いトコの子」
「わぁ、私より生活費かかってそう」
実際そうでしょうとも。
「大型犬はゆったりした雰囲気が良いですよねぇ。性格にもよりますけど、余裕がある感じ?」
「分かる。はしゃいでても夢中になってても、どこかに揺らがない余裕があるというか。大きな背中の安心感みたいな。あと、見てるだけで温かい気がする」
「そう、そうなんです!」
テンション高く続けられる声を聞き流しながら、私の脳内に浮かぶのは犬ではなかった。はしゃいでいても夢中になっても、うたた寝しても愚痴っぽくても。それでもどこか安心感を与えてくれる一人の姿だ。優しくて穏やかな空気は失われないと雰囲気で示されている感覚がある。
ぼんやりしながら着替え終わったら、小動物が中途半端な脱ぎかけで口だけ動かしていた。まずは着替えを完遂しなさい。
「写真見たいです!」
「無い」
「ええっ! 犬と遊んでおきながら、写真が一枚も無いってあり得ます?」
「おきながらって」
そういえば写真は撮ったことがなかったっけ。お祭りとか花火とか、記念にでも撮ってあげれば良かった。こんな仕事をしているのに思いつかないなんて。
「今度は撮ってみようかな」
「ぜひぜひ! 撮ったら見せてくださいね」
「そんなに犬好きなの」
「犬も猫も大好きです!」
素直な笑顔はとても可愛い。私もこんな女の子になれたら、どれだけ良かっただろう。
「坂本さんも犬好きなんですよね? 犬全体よりその子が好きなのかな」
「いや、遊んであげてるのは成り行きというか、頼まれて押し切られただけというか」
「でも会いたいって言ってたじゃないですか。頼まれたからだけじゃなくて、坂本さんも会いたいんでしょう? それは好きってことですよ」
その一言を認めるのは、とても……とても難しい。というか無理だ。認めてはいけないと、頭の中の何かが警鐘を鳴らしている。だって私は魔法使いであって、シンデレラにはなれないのだから。
会いたい。それだけを言える立場に私はいない。だから単純な一言の代わりを探して、私は次のガイド先を探し始めるのだった。
「失礼、口が回らなかっただけです。坂本梨代さん」
あれだけハッキリ呼んでおいて? 明らかに嘘だと思う一方、なれなれしく呼ばれる理由も思い当たらない。正輝さんみたいなノリの人でもなさそうだし。
「それで、ですね」
恐る恐るといった上目遣いで顔を上げかけた金澤さんは、私が眼光鋭く見下ろしているのを見て停止した。
「……なにとぞ、正輝君をよろしく……お邪魔しました……」
頭を下げた微妙な角度のまま後ずさりし、金澤さんは逃げるように去って行った。
さて、強気に対応したのは良いが、後で職場に迷惑がかかりはしないだろうか。なんて心配が頭をよぎったところで、なぜか背後から拍手が起こった。振り返ると北内さんと山東君が並んで手を叩いている。
「かっこいいです、坂本さん!」
「営業妨害の不審者、これで撃退っすね!」
冗談ではなく本気で言っているらしい。
「ただ黙って見物してたわけ?」
二人にも鋭い目を向けてみたら、山東君が首の後ろをさすりながら言い訳をはじめた。
「いやぁ、助けに入るか館長呼ぶかで迷ってたんですけど、坂本さん一人で大丈夫そうだったんで。逆にヘルプが入るのも邪魔かなって」
「女性一人じゃ対応できないと思われるのも嫌じゃないですか」
北内さんまで山東君の援護に回った。もう終わったことだから良いけども。
でも山東君は対応しているのが北内さんだったら、迷わず助けに入ったと思う。なんかモヤッとするなぁ。でも北内さん側から見たら、女性みんなに優しい男の方が嫌かもしれない。いまいち正解が分からないぞ。こういうのって――。
「なんて面倒な」
「本当に面倒ですよね。変な人はどこにでもいますから」
「え? ああ、うん。そうだね」
そっちの話じゃなかったんだけど、まあいいや。
館内で終業を知らせる音楽が鳴りはじめた。
「お疲れさまでした。今日は大変でしたね、坂本さん」
「本当。さ、片付けしなきゃ」
急激にのしかかってきた疲労感を背負い直し、二人を追い立てて中へ入った。最近どうにも私の周りが騒がしくて仕方ない。変な出来事、変な人、変な関係性、全ての発端は一人に行きつくのだろう。まったく迷惑な話だ。なのに私は今、その迷惑な一人に会いたくなっている。なんでだろう。
ようやくスタッフルームに下がったら、スマホにメッセージが届いていた。飛びつくように開けばクーポンのお知らせ。絵文字たっぷりのカラフルな文面に、変な虚しさを押し付けられた気分になる。……私、そんなに会いたいの?
「彼氏ですか」
隣に北内さんが立っていた。出た、気配のない小動物!
「な、何の話?」
「会いたいって聞こえたので」
口に出ていたとは、我ながら不注意が過ぎる。
「犬! 犬の話だから!」
「犬飼ってるんですか。いいなぁ」
「私の犬じゃなくてね。ときどき遊んであげる犬なんだけど」
「ふうん?」
首を傾げながらも着替えを始めている。
「どんな犬ですか。大きさとか種類とか」
「大型犬、かな。種類は……何だろう」
スリッパを咥えたイメージしか固まっていない。
「ミックスですか?」
「ううん。血統書付きの、良いトコの子」
「わぁ、私より生活費かかってそう」
実際そうでしょうとも。
「大型犬はゆったりした雰囲気が良いですよねぇ。性格にもよりますけど、余裕がある感じ?」
「分かる。はしゃいでても夢中になってても、どこかに揺らがない余裕があるというか。大きな背中の安心感みたいな。あと、見てるだけで温かい気がする」
「そう、そうなんです!」
テンション高く続けられる声を聞き流しながら、私の脳内に浮かぶのは犬ではなかった。はしゃいでいても夢中になっても、うたた寝しても愚痴っぽくても。それでもどこか安心感を与えてくれる一人の姿だ。優しくて穏やかな空気は失われないと雰囲気で示されている感覚がある。
ぼんやりしながら着替え終わったら、小動物が中途半端な脱ぎかけで口だけ動かしていた。まずは着替えを完遂しなさい。
「写真見たいです!」
「無い」
「ええっ! 犬と遊んでおきながら、写真が一枚も無いってあり得ます?」
「おきながらって」
そういえば写真は撮ったことがなかったっけ。お祭りとか花火とか、記念にでも撮ってあげれば良かった。こんな仕事をしているのに思いつかないなんて。
「今度は撮ってみようかな」
「ぜひぜひ! 撮ったら見せてくださいね」
「そんなに犬好きなの」
「犬も猫も大好きです!」
素直な笑顔はとても可愛い。私もこんな女の子になれたら、どれだけ良かっただろう。
「坂本さんも犬好きなんですよね? 犬全体よりその子が好きなのかな」
「いや、遊んであげてるのは成り行きというか、頼まれて押し切られただけというか」
「でも会いたいって言ってたじゃないですか。頼まれたからだけじゃなくて、坂本さんも会いたいんでしょう? それは好きってことですよ」
その一言を認めるのは、とても……とても難しい。というか無理だ。認めてはいけないと、頭の中の何かが警鐘を鳴らしている。だって私は魔法使いであって、シンデレラにはなれないのだから。
会いたい。それだけを言える立場に私はいない。だから単純な一言の代わりを探して、私は次のガイド先を探し始めるのだった。
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