サトシ先生は美しき十代の乙女に手を出さない

白神ブナ

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第7章 三年一学期

第206話 帰国子女あるあるサトシの高校時代

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 「俺が日本に来たのは高校生の時だった。それまでは、アメリカの日本人学校に通っていたんだ」

「ふぅーん。そうなんだ」

「日本の高校に入ったが、皆は小学校、中学校と習ってきたものがあって、それを経験してきた上での高校なんだよね」

「そうね、小・中学校の義務教育があって高校。……って、当たり前じゃん」

「ところが、帰国子女にとっては、それは無理ゲーなんだ。アメリカとは習っている内容が違う。算数とか理科とか習うよ。でも、内容が違うワケ。だから授業を受けても、わからな過ぎて焦った」

「でも、方程式とかって、世界共通じゃないの?」

「聞いてくれ。たとえば、先生が、
『三角形の面積のこの部分を求めるには、まず三平方の定理でこうやる。んで、こうなるから……』
みたいなことを言い出すだろ。
『え? 三平方の定理って何。あれ何それ、習ったっけそんなの?』 
みたいなかんじだった。」

「アメリカでは三平方の定理って習わないの?」

「そもそも習ってないものが、当たり前のように授業に出て来る。これは本当に苦労した」

「それは大変だったね」

「それから、今まで習ってきた各教科の専門用語が全てリセットされる」

「専門用語って、日本語で教わっているもんね。それは大変そう!」

「たとえば、有機物、酸性、触媒、和集合とかさ……わからん!! Catalystだから触媒は。そう言ってもらわないと分からないんだよ」

「それって、理解しているのに、使い物にならないっていう……理不尽」

「そう! 習っていたとしても、専門用語の壁があるんだ。不飽和参加水素とかね」

「悪いけど、笑えるー」

「なんとか戦争、パリ条約、独立宣言、……英語では全て違うから。そこも苦労したね」

「だんだん笑えなくなってきた。可哀そう。知っていても、日本語がわからないって」

「そう、マジで大変だった。今でもトラウマになっているのがあってね。
教科書に書いてあったんだけど、
『単項式×単項式の計算は、係数同士、変数同士をかけて求めます』ってさ。
『えー! 全部わかんない!』って泣きそうになったよ」

「あらー、日本語は読めているのに、一つも意味がわからないって最悪―!」

「そうだよ。『変数とか係数って、何なん、それは?』 ってなってた。数学とかは専門用語を使わざるを得ないわけ。説明文とか証明とかね」



「でも、それをやったってことだよね。すごい努力だよね」

「だから、マジで留年ギリギリだったんだ俺は。マジでギリギリで戦ってたんだよ」

「それはすごいわ。尊敬する」

「本当に怯えていた。俺だってクラスのみんなとカラオケとか行きたかったよ」

「そうなんだー。テストはどうしてたの?」

「それな。ヤマを張るって意味わからん! アメリカと違って、日本はテスト範囲が広すぎる!」

「サトシ先生って、先生だよね。言っていいの、そんなこと」

「日本の文化が謎だった。
『マジで範囲が40ページくらいあるー』
って、俺が困っていたら、クラスの子が
『そんなのヤマ張ればいいじゃん、ヤマ』
とか言ってくる。
『ヤマって何? 何その文化!』
って思った。
でも、みんなセンスあるんだよね。ここが出るだろうって予想できるんだよね。すごい才能だと思ったよ。ヤマを張る才能って言うのは、小・中学校で自然に身に着くものなんだろうな」

「それは地獄だったね」

「うん、めちゃくちゃ親が心配していた。『あれ? 留年するよね。大丈夫?』って言われたよ」

「でも、普通に留年するでしょ、そんなかんじだと」

「卒業が決まった通知が来た時に、親が泣いて喜んだからね」

「でも英語は得意だったでしょ? 帰国子女だから」

「そう思われることが苦痛だった。
ある日、クラスで席替えがあってさ、可愛い感じの女の子が隣の席になったんだよ。
その子から
『あのさ、この英語なんだけどさ……』
って、質問されたんだ。
『なんでここって過去形になるの?』
って、言われて
『……いや、……わっかんないな』
としか言えなくてさ。
『あ、そうなんだ……』で、会話が終わって気まずかったよ」

「あらら、それって初恋? それなのに、英語が説明できなかった」

「俺としては、文法で習ったのではなくて、自然と身に着いたものだから、英文法からのアプローチがわからないんだよね。説明できない。できなかった、当時は」

「今は英文法を教えているのに」

「英語を話している側からしたら、それが普通だから。そうじゃないと、気持ち悪いじゃんとしか言いようがなかった。それでかなり周りの人間をがっかりさせたね」

「気まずかったね、それは。他にもある?」

「あと、漢文と古文は帰国子女泣かせ、というよりキラーだね。俺は、これを全部捨てた」

「そんな……」

「もう、これは勝てないと思った。古典なんて今まで一切やってこなかったから、ゼロベースで古典って何かわからなかった。その存在を知らないのに、古典という授業が時間割にあって謎でしかなかった」

「とても残酷な話だわ」

「俺は思ったね。
『あのー、クラスのみなさん、何をやっているんですか?』とか
『これ日本語じゃないの?』とか
『でも漢字使っているよな。中国語なのか?』ってね。
しかも、漢文は普通に読まないしね。引き返したりするだろ。本当に授業の文脈がつかめなかった。古文と漢文に時間を割いていたら、他の教科が犠牲になるってわかったから、俺はもうごめんなさいした。マジで謎の時間だった」

「漢文なんてパターンさえ覚えれば、現代文よりも点数取れるのに」

「そのときに桜井に出会えていたら、そんなふうに教えてもらいたかった。そんな親切な友達はいなかった」

「でも、英語の授業は大丈夫だったでしょ?」

「……俺さ、高校のとき、音読が大っ嫌いだったんだよ」

「え? 先生が?」

「順番が回ってくるのが怖くてさ。ネイティブの発音で読めば、クラス中がクスクス笑って……。だからってカタカナっぽく読むと、“何で帰国子女なのに?”って顔されるしさ」

「……それ、つらい……」

「ある日、“発音気持ち悪いんだよ”って言われて、それから怖くなった。音読の順番が近づくと、ドキドキして、指でページの角をずっといじってたな。ネイティブに読むべきか、カタカナ英語で読むべきか、悩み過ぎて胃が痛くなったくらいだ」

「……先生にも、そんな頃があったんですね」

サトシは少し笑って続けた。

「今だって、本当は少し緊張してるよ。生徒の前で話すの、慣れているように見えるだけで」

「でも、先生の英語、私はすごく好き。……安心するっていうか、なんか、落ち着くの」

(うわっ! そんな顔して言うな。ドキッとする)

「……ありがとう。じゃあ桜井のためにも、頑張って音読しようかな。これからも聞いてくれる?」

「はい!……でも、先生が“緊張してた”ってネタ、今度ハルちゃんに言っちゃおうかな~」

「やめてくれ、マジで……頼む」

「フフフ冗談です。でも、帰国子女枠で受験してよかったですね」

「よかったのかな」

「面接と得意の英語で受験したんじゃないの?」

「簡単ではなかったよ。若干名しか取らないから狭き門だった。リーディング、ヒアリング、英作文は時事教養問題だったからな。これが難易度高かった」

「時事教養問題? とても興味あります。書き方を教えてください」

「桜井の希望学科は……」

「総グロ……じゃなかった、間違えた。文学部……だと思う」

「世界の食糧危機とか、学びたいのかな」

「あれ? どうして知っているんですか?」

(マズい。無断で部屋に入ったことがバレる)

「いやー、将来の夢は……世界征服って言ってたからさ。でも、やりたいことがあって、桜井にはその熱意や素質があるのに、文学部はもったいない」

「じゃあ、先生は、やりたいことがあって英語学科受けたの?」

サトシは詰まった。
サトシには、桜井ほど学問に対する情熱が、それほどなかったのだ。

「ごめん。俺には選択肢は無かったんだ。帰国子女で受験できるところで選んだ。でも、大学に入ってから学んだよ。受験の“ルート”より、“入ってから何をするか”のほうがずっと大事だったって」

サトシは優しく桜井を見つめた。

「指定校推薦にしろ、公募推薦にしろ、一般入試にしろ、どのルートで合格しても、そこで終わりじゃない。むしろ、そこからがスタートだ。『選ばれた理由』を、これからの行動で証明していけばいい」

桜井は、少し目を潤ませていた。

「……それ、すごく……先生っぽくね?」

「絶対に褒めてないだろ、それ」

桜井はひまわり畑で弾けるように笑った。



 ひまわり畑の中で、ふたりで大笑いしていると、ヤンキーおじさんから催促がかかった。

「おーい、お二人さーん。そろそろ、いいかなぁ。帰るぞー」

「はーい!」

サトシは桜井の手を握った。

「桜井に置いて行かれないように、今度は俺が先に歩くからね」


ひまわり畑から手を繋いで出て来た二人を見て、ヤンキーおじさんは肩をすくめた。

「やれやれ……、お嬢の顏、真っ赤だよ。あれは日焼けじゃないな」
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