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真実のドイツ編
16.亜麻色の髪の乙女 ──陽介
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「いいよ、直行便で。俺はいつもそうしてるし。陽介の飛行機代も母さんが出してくれるからさ」
途中で乗り換えたら安くなるよ、10時間待ちだけど……と続けたかった言葉は秋人に遮られた。言いたいことがないわけではないが、今回は秋人に全ておまかせする旅になると思うので口を挟むのはやめておく。
飛行機に乗るのははじめてじゃないけど、海外に行くのは今回がはじめてだ。
「……陽介、さすがに緊張しすぎだろ」
「っ!」
飛行機が離陸してしばらく経ったころ、隣に座る秋人が手を握りしめてきた。投げ出していた右手に秋人の左手が重なって指が絡んでくる。
言葉はぶっきらぼうなのに、純粋に心配を滲ませた秋人の瞳が覗き込んできた。髪色と同じ、光を含んだ亜麻色。いつ見ても綺麗な色だな。
「そりゃあ……緊張しない方がおかしい、だろ」
「ん……そうだよな」
隠していても仕方ない。正直な気持ちを口にすると、秋人が肩口に擦り寄って甘えてきた。
俺も秋人の頭に頬をのせて密着する。人前だけど、海外に行くという事実がなんとなく俺を大胆にさせた。
「でも大丈夫だよ、母さんも陽介に会えるの楽しみにしてるって言ってたし。ミュンヘンはいい場所だから陽介も気に入ってくれると嬉しいな」
「……あぁ」
緊張するけど、それと同じぐらい楽しみでもあった。
秋人が幼いころから見ていた景色だ。音楽の都だし、ピアニストを目指す身としても純粋に興味がある。
「そうだ、母さんのピアノ聞いてみる? 母さんはね、ドビュッシーが得意なんだよ」
ぱっと身体を離した秋人が、膝の上に置いていたタブレットを開く。
「……亜麻色の髪の乙女?」
反射的に呟くと、秋人が嬉しそうに目を細めた。久し振りにこの笑顔を見たかもしれない。
ドイツ行きを決めて、きちんと話をするようになってからまた秋人との距離が近くなったように感じる。
「"la fille aux cheveux de lin"……綺麗な曲だよな」
「いまのはわかった、フランス語だ」
「ふふっ、正解」
秋人の髪色や日本人離れした肌の白さは日独ハーフである母親の遺伝だと聞いたことがある。そう言えば母親の写真って見たことないな。
俺は黒髪だし、秋人のような肌の白さもない。いくら二卵性って言ってもここまで見た目が変わるもんなんだなぁ。
「顔を見るのは……やめとく? 実際会った時のお楽しみにする?」
「んー、そうだな。そうしようかな」
母親はプロのピアニストだ。そう考えると露出が多い人だし、名前を検索すれば写真だって動画だっていくらでも見られると思う。
きっと無意識に避けてたんだな、と思う。きらびやかな世界にいる母親を見たくなかったと言うか……一種の防衛反応だろうか。
「それじゃあいっしょに聞こう、母さんのピアノ」
穏やかな秋人の声と共に、耳に入れたワイヤレスイヤホンからピアノの音が流れてきた。
もうすぐ会えるのだ。このピアノを弾いている彼女に。
***
この旅の最初の試練と言ってもよかった。
半日ほど飛行機で過ごし、ミュンヘン空港に降り立った俺たちは入国審査を受けるために列に並んでいる。
「大丈夫、事前に練習しただろ? ドイツ語喋れなんて無茶なことは言ってこないから」
隣に立つ秋人がこそこそと小声で話しかけてくる。
英語にはそれなりに自信があるけど、日本語が喋れない海外の人間と話したことなんてない。大きいコンクールに出る時よりも緊張している気がする。
「ふふっ……審査官の英語、ドイツ訛りがすごいな。ドイツに来たーって感じする」
秋人がずっとなにかを話し続けていたけど、ほとんど頭に入ってこなかった。俺の緊張を解すためか、単純に秋人のテンションが上がって口数が増えているだけなのかは微妙なラインではある。
そうこうしている内に順番が回ってきてしまって、なるべく緊張を隠すような表情を作ってからパスポートを差し出した。審査官は男だった。
「Good afternoon. Purpose of your visit to Germany?」
(こんにちは。ドイツへの訪問目的は?)
おぉ、英語だ。そりゃそうか。
秋人の言うドイツ訛りっていうのはよくわかんないけど。
「...Tourist. And visiting a... family member.」
(…観光です。それと、家族に…会いに)
母親に、というのが言えずに妙に濁してしまった。でも家族って言い方も嘘ではない、し。
隣にいる秋人がちょっと複雑そうな顔をしたけど、今回だけは許してほしい。
「How long will you stay in Germany?」
(ドイツにはどのくらいの期間滞在しますか?)
俺のまっさらなパスポートを開いた審査官がなにかを確認している。
めちゃくちゃ緊張してるけど、審査官が話している言葉は秋人が事前に教えてくれたものとほとんど同じだった。だから俺も練習していた通りの答えをそのまま口から出していく。
「One week. I have a return ticket.」
(一週間です。帰りのチケットを持っています)
一週間です、と答えながら鞄に手を突っ込んで航空券の予約票を探す。
思っていた場所に入っていなくて少しもたついてしまったが、なんとか探し出して審査官に見せた。
「Where will you be staying?」
(どこに滞在しますか?)
審査官は無表情で質問を続けた。
えぇーと……stay、なんとかって言ったな? そうだ、住所か!
「...In Munich. My mother's apartment.」
(…ミュンヘンです。母のアパートに)
今度はちゃんと「母」と口に出せて少しほっとした。
しかし、またしても住所を書いたメモが見つからない。困った、さすがに住所は暗記してないぞ。
「陽介、住所。あのメモだ」
秋人が耳元で囁きながら背中に触れてきた。
少しほっとする。妙な意地を張ってしまって通訳を断ったんだけど、秋人は優しいな。
「Here. The address.」
(こちらです。住所)
必死で探し出したメモを審査官に見せる。
それをじっと確認してから、審査官は俺の隣にいる秋人に視線を流した。
「And you? Are you travelling together?」
(あなたは? 一緒に旅行ですか?)
秋人のパスポートもここで確認するってことか…?
ちらっと秋人の方を見ると、あまり見たことのない上品な笑顔を浮かべていた。コンクールなんかで人前に出る時に浮かべているものに近いかもしれない。
「Ja. We are brothers. Wir besuchen unsere Mutter. Eine Woche. 」
(はい。私たちは兄弟です。母を訪ねます。一週間です)
は? なんて? ドイツ語が混じっただろ、いまの!
と言うか、まだ最後まで終わっていない。秋人に教えてもらった英語をまだ最後まで言えていない。
口を開こうとすると、ずっと無表情だった審査官が途端に穏やかな笑顔を浮かべた。
「Alles klar. Welcome to Germany.」
(了解しました。ドイツへようこそ)
さっきまでこっちの様子を少し怪しげに窺っていたのに、やけにあっさりとパスポートを返してくれた。
……終わった、のか?
「Vielen Dank!」
(どうもありがとう!)
秋人がまたドイツ語で審査官に向けてなにか言ったが、当然ながら俺には聞き取れなかった。いや、ドイツ語がわからないから聞き取れるわけがないんだけど。
呆然としていると、秋人が腕を引っ張って強引に歩みを進めていった。
「お疲れ様、陽介! なかなかよかったぞ。Gut gemacht!(よくできました!)」
「……疲れた」
「ははっ、そんなに? まだなにも始まってないのに」
そうだ、まだなにも始まっていない。これからなのだ。
大きく深呼吸すると、日本とは違う少し甘いにおいが身体に入り込んできた。
途中で乗り換えたら安くなるよ、10時間待ちだけど……と続けたかった言葉は秋人に遮られた。言いたいことがないわけではないが、今回は秋人に全ておまかせする旅になると思うので口を挟むのはやめておく。
飛行機に乗るのははじめてじゃないけど、海外に行くのは今回がはじめてだ。
「……陽介、さすがに緊張しすぎだろ」
「っ!」
飛行機が離陸してしばらく経ったころ、隣に座る秋人が手を握りしめてきた。投げ出していた右手に秋人の左手が重なって指が絡んでくる。
言葉はぶっきらぼうなのに、純粋に心配を滲ませた秋人の瞳が覗き込んできた。髪色と同じ、光を含んだ亜麻色。いつ見ても綺麗な色だな。
「そりゃあ……緊張しない方がおかしい、だろ」
「ん……そうだよな」
隠していても仕方ない。正直な気持ちを口にすると、秋人が肩口に擦り寄って甘えてきた。
俺も秋人の頭に頬をのせて密着する。人前だけど、海外に行くという事実がなんとなく俺を大胆にさせた。
「でも大丈夫だよ、母さんも陽介に会えるの楽しみにしてるって言ってたし。ミュンヘンはいい場所だから陽介も気に入ってくれると嬉しいな」
「……あぁ」
緊張するけど、それと同じぐらい楽しみでもあった。
秋人が幼いころから見ていた景色だ。音楽の都だし、ピアニストを目指す身としても純粋に興味がある。
「そうだ、母さんのピアノ聞いてみる? 母さんはね、ドビュッシーが得意なんだよ」
ぱっと身体を離した秋人が、膝の上に置いていたタブレットを開く。
「……亜麻色の髪の乙女?」
反射的に呟くと、秋人が嬉しそうに目を細めた。久し振りにこの笑顔を見たかもしれない。
ドイツ行きを決めて、きちんと話をするようになってからまた秋人との距離が近くなったように感じる。
「"la fille aux cheveux de lin"……綺麗な曲だよな」
「いまのはわかった、フランス語だ」
「ふふっ、正解」
秋人の髪色や日本人離れした肌の白さは日独ハーフである母親の遺伝だと聞いたことがある。そう言えば母親の写真って見たことないな。
俺は黒髪だし、秋人のような肌の白さもない。いくら二卵性って言ってもここまで見た目が変わるもんなんだなぁ。
「顔を見るのは……やめとく? 実際会った時のお楽しみにする?」
「んー、そうだな。そうしようかな」
母親はプロのピアニストだ。そう考えると露出が多い人だし、名前を検索すれば写真だって動画だっていくらでも見られると思う。
きっと無意識に避けてたんだな、と思う。きらびやかな世界にいる母親を見たくなかったと言うか……一種の防衛反応だろうか。
「それじゃあいっしょに聞こう、母さんのピアノ」
穏やかな秋人の声と共に、耳に入れたワイヤレスイヤホンからピアノの音が流れてきた。
もうすぐ会えるのだ。このピアノを弾いている彼女に。
***
この旅の最初の試練と言ってもよかった。
半日ほど飛行機で過ごし、ミュンヘン空港に降り立った俺たちは入国審査を受けるために列に並んでいる。
「大丈夫、事前に練習しただろ? ドイツ語喋れなんて無茶なことは言ってこないから」
隣に立つ秋人がこそこそと小声で話しかけてくる。
英語にはそれなりに自信があるけど、日本語が喋れない海外の人間と話したことなんてない。大きいコンクールに出る時よりも緊張している気がする。
「ふふっ……審査官の英語、ドイツ訛りがすごいな。ドイツに来たーって感じする」
秋人がずっとなにかを話し続けていたけど、ほとんど頭に入ってこなかった。俺の緊張を解すためか、単純に秋人のテンションが上がって口数が増えているだけなのかは微妙なラインではある。
そうこうしている内に順番が回ってきてしまって、なるべく緊張を隠すような表情を作ってからパスポートを差し出した。審査官は男だった。
「Good afternoon. Purpose of your visit to Germany?」
(こんにちは。ドイツへの訪問目的は?)
おぉ、英語だ。そりゃそうか。
秋人の言うドイツ訛りっていうのはよくわかんないけど。
「...Tourist. And visiting a... family member.」
(…観光です。それと、家族に…会いに)
母親に、というのが言えずに妙に濁してしまった。でも家族って言い方も嘘ではない、し。
隣にいる秋人がちょっと複雑そうな顔をしたけど、今回だけは許してほしい。
「How long will you stay in Germany?」
(ドイツにはどのくらいの期間滞在しますか?)
俺のまっさらなパスポートを開いた審査官がなにかを確認している。
めちゃくちゃ緊張してるけど、審査官が話している言葉は秋人が事前に教えてくれたものとほとんど同じだった。だから俺も練習していた通りの答えをそのまま口から出していく。
「One week. I have a return ticket.」
(一週間です。帰りのチケットを持っています)
一週間です、と答えながら鞄に手を突っ込んで航空券の予約票を探す。
思っていた場所に入っていなくて少しもたついてしまったが、なんとか探し出して審査官に見せた。
「Where will you be staying?」
(どこに滞在しますか?)
審査官は無表情で質問を続けた。
えぇーと……stay、なんとかって言ったな? そうだ、住所か!
「...In Munich. My mother's apartment.」
(…ミュンヘンです。母のアパートに)
今度はちゃんと「母」と口に出せて少しほっとした。
しかし、またしても住所を書いたメモが見つからない。困った、さすがに住所は暗記してないぞ。
「陽介、住所。あのメモだ」
秋人が耳元で囁きながら背中に触れてきた。
少しほっとする。妙な意地を張ってしまって通訳を断ったんだけど、秋人は優しいな。
「Here. The address.」
(こちらです。住所)
必死で探し出したメモを審査官に見せる。
それをじっと確認してから、審査官は俺の隣にいる秋人に視線を流した。
「And you? Are you travelling together?」
(あなたは? 一緒に旅行ですか?)
秋人のパスポートもここで確認するってことか…?
ちらっと秋人の方を見ると、あまり見たことのない上品な笑顔を浮かべていた。コンクールなんかで人前に出る時に浮かべているものに近いかもしれない。
「Ja. We are brothers. Wir besuchen unsere Mutter. Eine Woche. 」
(はい。私たちは兄弟です。母を訪ねます。一週間です)
は? なんて? ドイツ語が混じっただろ、いまの!
と言うか、まだ最後まで終わっていない。秋人に教えてもらった英語をまだ最後まで言えていない。
口を開こうとすると、ずっと無表情だった審査官が途端に穏やかな笑顔を浮かべた。
「Alles klar. Welcome to Germany.」
(了解しました。ドイツへようこそ)
さっきまでこっちの様子を少し怪しげに窺っていたのに、やけにあっさりとパスポートを返してくれた。
……終わった、のか?
「Vielen Dank!」
(どうもありがとう!)
秋人がまたドイツ語で審査官に向けてなにか言ったが、当然ながら俺には聞き取れなかった。いや、ドイツ語がわからないから聞き取れるわけがないんだけど。
呆然としていると、秋人が腕を引っ張って強引に歩みを進めていった。
「お疲れ様、陽介! なかなかよかったぞ。Gut gemacht!(よくできました!)」
「……疲れた」
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