革命のエチュード

鳴真 のわか

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ふたりの愛憎編

12.初恋の音 ──秋人

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連弾用に編曲されたわけでもない「革命のエチュード」を、右手と左手で分担するようにして二人で演奏する──そんなこと不可能だ。この曲を一度でも聞いたことがある人間なら誰でもわかると思う。
でも陽介は真剣な顔をしていて、俺が言い返す隙も与えずに勝手に鍵盤に左手を置いていた。

「できるだろ? 俺が知ってる月島秋人はこれぐらいのこと難なくこなすぞ」
「は…っ、はぁ!?」

わかりやすい挑発に乗り、思わず声を荒らげてしまった。
なんだよ、「俺が知ってる月島秋人」だと? 月島秋人は中学の時から絶賛スランプ中なんだよ、他でもないおまえのせいでな!
無理やりピアノに向き合ってはいるけど、前みたいに上手く弾けない。心の中のなにか大事なものを落としてしまったみたいな、致命的な欠落感を無視できないでいる。

「……いいよ、やってやる。俺が陽介に合わせてやる」

でも、それでも。陽介がなにかを考えていることはわかった。
俺も陽介と同じようにブレザーの上着を脱ぎ、右腕の袖だけを捲ってから鍵盤に指を置く。
実の兄弟だったという告白を受けて以来、寮の部屋は地獄みたいな空気が流れ続けている。俺もそれを打破できないまま時間だけが過ぎていって、淡々とした作業みたいに身体だけ重ねて…。
この連弾もどきでなにかが変わるなら挑戦してみたい。

俺が椅子に座ったままで、陽介はピアノの前に立った状態で演奏が始まった。

さっき陽介が言ったように、この「革命のエチュード」はショパンが怒りだけをぶつけて作曲したものではない。ロシアによるワルシャワ侵攻があった時期に発表されたもので、ポーランドのロシアに対する革命が失敗した悲しみも含まれている曲なのである。
中学に入った年の夏。ワルシャワが陥落した時のように陽介に堕ちていき、俺の人生における「革命」が起きたのだ。
それが全て陽介の計算の内だったとしても、俺の気持ちは嘘なんかじゃない。だったらすぐに嫌いになりますね、なんて簡単な話でもない。陽介はわかっているのだろうか?
好き、好きだよ。やっぱり俺は陽介のことが好きだ。陽介が俺のことをずっと憎んでいたんだとしても、もう嫌いになんてなれない。
愛のない行為の最中、何度か口にしたことのある祈りは神に届いているのだろうか?

三分ほどで終わる演奏は一瞬で終わった。

お互いに相手を煽りすぎて演奏のスピードが上がってしまい、俺も陽介も息が荒くなっている。鍵盤の上にある俺の指は震えてしまっていた。
あぁでも、悔しい。悔しいな。

「……っ、C'est du bordel!(なんてこった!)」
「は?」

怒りに任せて叫んで椅子から立ち上がった。陽介が彼らしくない間抜けな声を上げる。
でも俺はそんな陽介に構っている暇なんてない。興奮しすぎて頭が熱くなって、勝手に涙が溢れてきてしまった。

「こんな……っこん、な……勝てるわけないじゃんかぁ…っ」

最高だった。最高の演奏ができてしまった。
俺が一人で弾いた「革命のエチュード」なんて比べ物にならない。陽介は俺がほしい時に音をくれて、美しく重なって、最後までちゃんと俺のことを導いてくれたのだ。
勝てるわけがない。だって俺は陽介が弾く「革命のエチュード」に一目惚れしていて、初恋の音とでも表現しても決して大袈裟ではないのだ。
しかも、ピアノを弾いていて久し振りに「楽しい」と思えてしまった。こんな滅茶苦茶な荒療治なんて知らない。

「いっ……いやいやいや、なんで!? いまのは月島の方がすごいだろ、普段はベートーヴェンだのリストだのばっか弾いてるんだしさ!」
「ふざけんな! ベートーヴェンの文句言うな!」
「言ってない! どっちかっつーと月島に文句言ってんだよ!」

陽介がこんなに声を荒らげてるところをはじめて見たかもしれない。
と言うより、誰かとこんなふうに口喧嘩をしたことがないからやめ時がわからない。喧嘩ってどうなったら終わりなんだ?

ドイツにいたころは現地の子どもにクォーターだってバカにされたくなくて知りうる限りのスラングを並べ立てて言い負かしていたけど、あれは一方的すぎて喧嘩って呼ばないと思うし…。

どっちかが泣いたら終わり? 手を出したら負け?
じゃなくて、なんで陽介に文句言われなきゃいけないんだ!?

「なんで…っ! なんで俺に文句言うんだよ、俺はなにもしてないのに!」
「…っ…!」

陽介がはっとしたように目を見開く。どうしてそんな顔をするのか、俺が知ったことではないが。

俺は陽介に言われるがままピアノを弾いただけだ。文句を言われるようなことなんてしていない。

そもそもの話、「革命のエチュード」を二人で弾こうなんてイカれた提案を受け入れるのなんて俺ぐらいのものだろう。しかも練習なしの一発勝負で。
文句を言われるなんて意味がわからない、感謝してほしいぐらいだ。

「うぅ~っ! ズルいズルい、ドイツ語なら言い負かしてやるのに…っ!」

俺は日常会話には困っていないけど、こういう口喧嘩の場面になると陽介の方が圧倒的に有利だ。日本語における悪口のボキャブラリーが少なすぎてすぐに言葉が詰まってしまう。
子どもみたいだと思ったけど、地団駄を踏みながら必死で頭を回転させた。
でも無理だ、出てこない。どんなに考えてもドイツ語のスラングしか思いつかない。

「Verdammt!(くそっ!)」
「……なにそれ、ドイツ語? せめて英語にしてくれ」

それなのに陽介は呑気にそんなことを言うものだから、少しイラッときて本当に英語に切り替えてやった。

「I see,Let's try it.You're a jerk...!(いいよ、やってみよう。ワガママな奴だな…!)」
「冗談だよ!」

両手を上げて降参のポーズをとる陽介を見て、脱力したように椅子に座り直す。
陽介は人差し指を唇に押し当てて少し考えるような素振りを見せてから、意を決したように目を合わせてきた。その顔が思っていたよりも真剣でドキッとしてしまう。

「そうだよな、月島はなにもしてない…。全部親が決めたことだもんな」
「は?」

なんの話だ? 親、が……どうしたって?
なにか聞き逃していたかと不安に思っていると、陽介がゆっくりと身体を屈めてきた。指先で目尻に残る涙を拭われたと思ったその刹那、一瞬だけ二人の唇が重なる。

「ごめん、一つだけ俺のワガママ聞いて? ……秋人のこと、好きになる努力をさせてほしい」
「え…?」

冷たく響き続けていた音にあたたかい温度が加わる。
誰にもすくい上げられなかった音がひとつ、陽介の手によって生かされた気配がした。
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