革命のエチュード

鳴真 のわか

文字の大きさ
11 / 48
ふたりの愛憎編

11.連弾もどき ──陽介

しおりを挟む
恵まれた双子の弟のことをドン底まで突き落としてやれば満たされるはずだった。
俺を求めて伸ばされた手を振り払って、最終的にはピアノにまで影響が出始めた彼を見て「ざまあみろ」とでも言ってやるつもりだった。それで俺の復讐は完了するはずだったのに。

「月島のことは嫌いだけど、月島のピアノは嫌いじゃないよ」

口に出してから、自分がいちばん動揺した。
なに言ってるんだ? 嫌いじゃないってどういうことだ?
たまたまピアニストの母親に引き取られて環境が恵まれていたからこその才能を「嫌いじゃない」だなんて、俺はどうしてしまったんだろう。

混乱してしまったけど、その原因はわかっている。
月島との距離が近くなりすぎたからだ。

環境が恵まれていたのもそうだろう、才能があるのも間違いないだろう。しかし彼はただの天才なんかではなく、しっかりと努力をしてその二つ名を背負っていたのである。
放課後はしょっちゅうレッスン室にこもっているし、寝る直前まで譜読みを欠かさない。聞いている音楽はクラシックのピアノ曲ばかり。
努力できる天才がいちばん厄介だと言うが、月島はまさにそのタイプだった。

「Vater unser im Himmel...(天にまします我らの父よ…)」

あの日、トイレの個室で絞り出すように呟かれた言葉の意味は俺にはわからなかった。
しかしその断片的なニュアンスと、もしかしてという可能性で調べてみたらキリスト教の祈りの言葉であることがわかった。そう言えば月島がたまに十字を切っているのを見かけるかもしれない。
彼がどれほど熱心なキリスト教徒なのかなんてことは知ったことではないが、あのタイミングで祈られたということの意味は考えるべきだろう。
ピアノを弾くことをやめるなよ、と言ったあとだったか? それでどうして月島が祈る流れになるのだろう。

「……月島秋人」

放課後にぼんやりと廊下を歩いていると、とあるレッスン室の前に見慣れた名前が書いてあることに気付いた。放課後は使用時間が四つの枠に区切られているんだけど、驚くべきことに月島はその枠全てに自分の名前を書いていた。
部屋のドアに貼られたホワイトボードには、お世辞にも綺麗だとは言い難い文字で彼の名前が並んでいる。

「ふっ…。最後のとこ諦めてローマ字になってんじゃん」

ぶっきらぼうに見えて真面目なところのある月島は、全ての枠にご丁寧にフルネームで名前を書いていて最後には挫折している。
最初の枠にだけ書いとけばいいんじゃないのか、これって。なんだっけ、ノノ字点? 二つ目の枠からはあれを入れとけばいいのに。
いちばん力を入れて書いたであろう、一枠目の「月島秋人」を指でなぞる。
この中で月島はピアノを弾いているのだ。なにを考えて、どんな曲を弾いてるんだろう。
俺が全てを告白したあとから調子を崩してしまったけど、高等部に進学してからは少しずつ調子を取り戻している。それでも本来の彼の演奏と比べると物足りなさはあるけど…。
今度のコンクールで弾く曲でも練習してるのか? ベートーヴェン? それともリスト?

「……聞きたいなぁ」

渇望している、という言葉がしっくりくる気持ちだった。
認めよう、月島のピアノは好きだ。力強くて前向きで、一気に彼の世界に引きずりこまれるようで。
彼の名前に触れたまま、額をぶつけて扉に体重をかける。すると、扉が少しだけ動いたような気配がした。

「ん…?」

不思議に思ってそのまま肩で扉を押すと、あっさりと開いてしまった。
中からはなんの音も聞こえない。休憩でもしているのだろうか?

「陽介…? どうしてここに」

ドアを開ききると、目を丸くした月島がこちらを凝視していた。
ピアノの前に座っていて、なぜか譜面台には彼のスマートフォンが置かれている。

「え、っと…。鍵、開いてたぞ。ちゃんと閉めといた方がいい」
「あ……そうだな。ごめん、閉めたつもりだったんだけど」

このまま外に出るべきだ、と思う。鍵を閉めろと注意をするためにだけ中に入ってきたと理由を付けられる。
しかし身体が上手く動いてくれなくて、嫌な沈黙が降ってきた。

「……陽介、時間ある?」
「え?」
「俺のピアノを聞いてほしい」

返事をする前に月島がピアノに向き直り、鋭い視線が鍵盤に落ちる。白く細い指が鍵盤に触れ、一気に空気が変わった。
練習曲ハ短調作品10-12、革命のエチュード。
ショパンの楽曲の中でも難易度が高いが、一般的な知名度も高い曲だと思う。ポーランドの革命が失敗に終わった怒りと悲しみをぶつけて作曲された曲とされていて、常に動き続ける左手のパッセージがポイントになってくる。
──あぁ、そうか。月島の得意分野でもあるのか。
右手のメロディーも左手の速い動きも正確だし、ペダルの使い方も上手い。だけど……。

「怒りすぎ」

感想を短く言葉にすると、流れるように続いていた演奏がぴたりと止まった。
月島がゆっくりと顔を上げる。集中しすぎていたのか、肩で息をしていた。

「ただ怒ってるんじゃないんだよ、このショパンは。……月島、右手だけ弾いて。ペダルも頼む」
「えっ、あ…?」

ネクタイを緩め、ブレザーの上着を脱いで床に投げる。左手だけシャツの袖を捲って改めて月島の方を見ると、困惑に揺れた瞳が俺の顔を映していた。
……うわ、ひっでぇ顔してんな。俺も、月島も。

「頭から最後まで通すぞ」

連弾曲でもないし、そもそもこの難易度の曲だ。他人と合わせるなんてほぼほぼ不可能に近い。
でも相手はあの月島秋人で、俺たちは双子だ。成立させる自信があったのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あの頃の僕らは、

のあ
BL
親友から逃げるように上京した健人は、幼馴染と親友が結婚したことを知り、大学時代の歪な関係に向き合う決意をするー。

おめでとうが言えなくて

まめなぎ
BL
祝えないのは、最低だからじゃない。 まだ手放せていないからだ。

【本編完結】水曜日の迷いごと

咲月千日月
BL
人知れず…心に抱えているもの、ありますか? 【 准教授(弁護士) × 法科大学院生 】 純粋で不器用なゆえに生き辛さを感じている二人の、主人公目線からの等身大ピュア系ラブストーリーです。  *現代が舞台ですが、もちろんフィクションです。  *性的表現過多の回には※マークがついています。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

《完結》僕が天使になるまで

MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。 それは翔太の未来を守るため――。 料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。 遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。 涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。

僕の目があなたを遠ざけてしまった

紫野楓
BL
 受験に失敗して「一番バカの一高校」に入学した佐藤二葉。  人と目が合わせられず、元来病弱で体調は気持ちに振り回されがち。自分に後ろめたさを感じていて、人付き合いを避けるために前髪で目を覆って過ごしていた。医者になるのが夢で、熱心に勉強しているせいで周囲から「ガリ勉メデューサ」とからかわれ、いじめられている。  しかし、別クラスの同級生の北見耀士に「勉強を教えてほしい」と懇願される。彼は高校球児で、期末考査の成績次第で部活動停止になるという。  二葉は耀士の甲子園に行きたいという熱い夢を知って……? ______ BOOTHにて同人誌を頒布しています。(下記) https://shinokaede.booth.pm/items/7444815 その後の短編を収録しています。

林檎を並べても、

ロウバイ
BL
―――彼は思い出さない。 二人で過ごした日々を忘れてしまった攻めと、そんな彼の行く先を見守る受けです。 ソウが目を覚ますと、そこは消毒の香りが充満した病室だった。自分の記憶を辿ろうとして、はたり。その手がかりとなる記憶がまったくないことに気付く。そんな時、林檎を片手にカーテンを引いてとある人物が入ってきた。 彼―――トキと名乗るその黒髪の男は、ソウが事故で記憶喪失になったことと、自身がソウの親友であると告げるが…。

騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く

夕凪
BL
(本編完結。番外編追加中) サーリーク王国郊外の村で暮らすエミールは、盗賊団に襲われた際にオメガ性が顕現し、ヒートを起こしてしまう。 オメガの匂いに煽られた男たちに体を奪われそうになったとき、狼のように凛々しいひとりの騎士が駆け付けてきた。 騎士の名は、クラウス。サーリーク王国の第二王子であり、騎士団の小隊長でもあるクラウスに保護されたエミールは、そのまま王城へと連れて来られるが……。 クラウスとともに過ごすことを選んだエミールは、やがて王城内で湧き起こる陰謀の渦に巻き込まれてゆく。 『溺愛アルファの完璧なる巣作り』(https://www.alphapolis.co.jp/novel/504363362/26677390)スピンオフ。 騎士に全霊で愛されるオメガの物語。 (スピンオフにはなりますが、完全に独立した話ですので前作を未読でも問題ありません)

処理中です...