革命のエチュード

鳴真 のわか

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ラスボス対決編

29.美しい宝物 ──陽介

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本当は父さんに秋人を会わせたくなかった。
秋人はずっと美しく良質なものに囲まれて、見てきて、大切に育てられてきたんだろうなぁとドイツに行って確信したからだ。写真で見るよりももっとキラキラした世界で、理想的な「母親」と共に最高の音楽に触れてきたのだろう。
秋人を汚したくなかった。ずっとキラキラしていてほしかった。だって秋人は俺の大切な宝物で、悪いものから守らなきゃいけないんだから。

『グランドピアノがほしい? うちにはもうピアノがあるだろ?』
『防音室ねぇ。そんなものわざわざ作らなくても陽介はもう上手にピアノが弾けてるんだろ?』
『陽介、誕生日おめでとう。今年もだーい好きな弟の写真が送られてきたぞ。いやぁ、ますますお母さんに似てきたなぁ』

俺は違う。ずっとずっと、俺のピアノも将来の夢も理解してくれない男のもとで育った。
本当に憎かったのは秋人じゃない、父さんのことだったのだ。

「なんだ、ずいぶん仲良くなったんだな?」

からかうような軽薄な声が聞こえてきて、はっとして正面に座る父さんを見た。
頬杖をついて、なにかを探るような目で俺たちのことを見ている。居心地が悪い。

「……言っただろ、中等部の時から寮の部屋がいっしょなんだよ。嫌でも仲良くなるだろ」
「ふぅん? いまにも殺してやりたいぐらいの目をして秋人のこと話してた気がするけどな」
「…っ…!」

事実だ。だって、あのころの俺はきっとそんな目をしていたから。 
テーブルの下で絡められた秋人の手が震えた。
秋人は完全に俯いてしまっていて、表情がよく見えない。トラウマを刺激してはいないだろうか、泣かせてしまってはいないだろうか?

「いまは違う。俺は秋人のことが好きだよ」
「へぇ? まーなぁ、これだけ美しかったら手元に置いときたくなるよなぁ」

立ち上がった父さんが秋人の方へ手を伸ばして髪に触れる。反射的にその手を払おうとして、でもそれは秋人自身に遮られた。
テーブルの下で俺の両手ともを掴んだ秋人が、泣くのを我慢しているような顔で必死でなにかを訴えてくる。何度も首を振って、「駄目だよ」と口パクで伝えてきた。

駄目? なにが? なんで?

俺が大切にしている秋人を汚されそうになってるのに?
守らなきゃいけないのに?

「俺はさ、美しいものが好きなんだよ」

秋人の髪に触れたまま、父さんが妙に静かな声で話を続ける。

「本当は画家になりたくて美大まで行ったけど、まぁ駄目で…。仕方なく美術教師になって、それからしばらくしてママに出会ったんだよ。まだプロのピアニストになったばかりのころだったかな」

聞いたことがない話だった。いや、もしかしたら俺が聞いていなかっただけなのかもしれない。
妙な抑揚をつけて一人で盛り上がり始めた父さんは、秋人の髪から手を離してソファー席に深く座り直した。

「いやぁ、まさに芸術品だった! ピアノを前にした時の佇まいも、ピアノを弾いている時も美しかったな。でも高嶺の花すぎて恋愛経験が少なかったんだろうな、ちょっと優しくしたらすぐに向こうからも好意を寄せてきてくれたよ」

どこかで聞いた話だな、と思って胸が締め付けらるように痛んだ。
あぁ、最悪だ。俺は無意識の内にこの男と同じことを秋人にしてしまっていたのか。

「父さん、は……」

震える声が聞こえてきて、はっとして隣に座る秋人の方を見た。

「世界でいちばん自分のピアノのことを愛してくれたって…。母さん、言ってて…」

いつも自信に満ちて輝く亜麻色の瞳から涙が溢れて、身体が震えてしまっている。秋人の右手が縋るように俺の両手を掴んでいるせいでどうしてやることもできない。

──あぁ、知られてしまった。俺が生きてきた美しくない世界のことを。
情けない、悔しい、恥ずかしい。秋人はドイツに連れて行ってくれた時に綺麗なものをたくさん見せてくれたのに。

秋人の輝きが濁ってしまう、失われてしまう。
秋人にはずっと美しい世界だけを見ていてほしかったのに。

「あぁ、もちろん愛してたよ。と言うより、いまも愛してるけどな」

父さんの手が再び秋人の頬に触れ、妙に手馴れた手つきで親指の腹が涙を拭う。

「泣いてる顔もママにそっくりだな、秋人。すごく綺麗だ」
「…っ…!」

頭にカッと血が上って、秋人の手を強引に振り払って立ち上がる。秋人に触れる父さんの手を振り払い、震える身体を宥めるように抱き寄せた。

「秋人…っ! ごめん、やっぱり会わせるんじゃなかった! ごめんな、本当に…っ」
「よっ、陽介…! や…っあの、ちょっと…!」

身体を捩って抵抗されるが、いまだけはそれを無視することを許してほしい。
これで秋人のトラウマが刺激されてしまってまたゼロからのスタートになるかもしれないけど、それでもよかった。いまは父さんの視界に秋人を入れたくない。

「おいおい、二人で仲良くするのやめてくれるか? まるで父さんが悪者みたいな…」
「悪者だろうが、どっからどう見ても! 秋人のこと泣かせるなよ!」

顔を上げて反論すると、わざとらしく肩を竦められる。

「おまえ、いつの間にそんなブラコンになってたんだ?」
「いいだろ、べつに。父さんには関係ない」

秋人はなんとか泣きやんでくれたみたいだ、よかった。
身体を離して両手で包むようにして頬に触れる。まだ瞳が潤んでいるけど、これ以上溢れてくることはなさそうでひとまず安心した。

「……いや、ブラコンと言うより……」

一瞬なにか考えるような素振りを見せた父さんは、急に面白いことでも見つけたように口角を上げた。

「今日はもう帰るよ。陽介、コレで好きなもの食べてから帰りな。今度会う時に返してくれればいいから」

財布からクレジットカードを取り出した父さんは、テーブルの上にそれを置いてから改めて立ち上がる。
今度会う時? 俺はもう一生会いたくないぐらいの気持ちなんだけどな…?

「……二ヶ月後、ママがアジアツアーで日本に来るんだよ」
「は…?」

ネクタイを締め直してから笑顔を作った父さんは、俺と秋人の顔をじっと見つめて反応を窺っているようだった。
アジアツアー? 日本に……?

「その時に時間を作ってもらおう。四人で食事でもしながら話をしよう、今後のこと」
「は!? なんだよ、今後のことって! 俺はあんたと話すことなんてなにも…っ!」
「陽介」

立ち上がろうとすると、肩に手を置かれて阻まれる。
父さんは笑っていた。笑っていたけど、目が笑っていない。

「それまでに目を覚ましとけ、わかったな?」
「…っ…!」

気付かれてる。俺と秋人のことを、きっと気付いてしまっている。そして父さんは「目を覚ませ」と言った……ということは。
言い返さない俺を観て更に満足そうな顔をした父さんは、秋人の頭を撫でて「それじゃあね」と優しい声音で告げてから本当に店を出て行ってしまった。

「よ、陽介……あの……」
「……ごめん、嫌な思いさせて」

謝ることしかできない。
俺が生きてきた世界はアレだったのだ。ドイツで現実離れした世界をたくさん見すぎたせいで、なにか勘違いしてしまっていたみたいだ。

「そんなこと…! あの、ごめん。俺もいきなり泣いたりして。ちょっとびっくりしたと言うか」
「……秋人」
「…っ!」

名前を呼んで目を合わせると、秋人の身体が大きく震えた。
俺のことが怖いのか、ただ混乱しているだけなのか、理想の父親像が崩れて絶望しているのか。わからなかったけど、いまは隣にいるべきじゃないのかもしれない。

「……俺、向こう側に座るよ」
「えっ!? いやあの、陽介…っ!」

縋る手を無視して向かい側、さっきまで父さんが座っていた場所に移動する。
ようやく心を開いてくれたと思ったのに。触れられるようになったのに。

「なにか食べようか。結構美味しいんだぞ、ファミレスも」

父さんの思い通りにはさせない。秋人のことを手離すなんてもうできない。
置いていかれたクレジットカードを鞄の中に突っ込みながら、二ヶ月後の最終決戦に向けてゆっくりと闘志を燃やした。
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