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合同家族会議編
39.終幕 ──秋人
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「……つまり、父さんは俺を冷遇してたわけじゃないってこと? 『陽介なら電子ピアノでも大丈夫だ』って本気で思ってたってことか?」
「冷遇? なんの話だ?」
陽介は脱力していた。しかしどこか吹っ切れたような、憑き物が落ちたような顔をしているようにも見える。
父さんはきょとんとした顔で目を丸くしていた。
「俺はいつだって陽介のピアノを誇りに思ってたぞ? 発表会の時だって一番前の席でビデオを回してただろ?」
「……来てたな、そう言えば」
「優秀な教師に習うことも、防音室を作ってグラウンドピアノを用意する必要もなかった。あそこまで美しい音を出せるのは陽介だけだ! あれこそが才能だ! 道具に頼らない本物の芸術家……あぁ、なんて美しい!」
力説する父さんを見て、陽介が額に手を当てて俯いてしまった。
な、なんだろう。陽介から聞いていた話とだいぶ違うような気がするぞ…?
「俺は愛されてなかった」みたいな口ぶりだったけど、これは逆に…。
「……わかったよ。父さんの言い分はわかった」
溜め息混じりに陽介が結論付けると、父さんが目を輝かせて身を乗り出した。
「やっと伝わったか! それじゃあ同居の話も…!」
「それは断る」
「えぇっ!?」
一刀両断、って言葉があったような気がする。それってこんな状況なんじゃなかったっけ?
陽介が一瞬だけ俺の方を見てから、改めて父さんと目を合わせた。膝の上で握られた手に力が入る。
「俺たちには俺たちの生活があるんだよ。いまの生活に不自由してるわけでもないし、寮を出るつもりだってない」
それは俺も同意だ。
寮は学校の隣にあるから朝はギリギリまで寝てられるし、夜は陽介と……まぁその、いろいろ……できるし。
「そうね、二人はいままで通り寮で暮らすのがいいと思うわ。せっかく仲良くなったんだし……ね?」
意味深にウィンクをしてきた母さんを見て、心臓が妙な跳ね方をした。陽介の表情も固まる。
当然ながら父さんだけがその意図を掴めていなくて、不満そうに唇を尖らせていた。
「はぁ、駄目だったか…。勢いで同居を決めればしれっと再婚ができると思ったんだけどな」
「Dummkopf?(バカなの?)私のことを甘く見ないでちょうだい」
母さんの声が一気に冷たくなった。さっき俺の言葉遣いを叱った人と同一人物だとは思えない。
落ち込むか怒るかするだろうと思っていた父さんは、なぜか表情を明るくして母さんの右手を両手で握りしめた。
「あぁーっ! いい! 久し振りに聞いたな、そのドイツ語! 変わってないなぁ、ほんとに!」
「はぁっ!?」
なんか喜んでる!? なんで!?
困惑する俺に気付くはずもなく、父さんは恍惚とした表情で母さんを見つめている。
「その美しい顔から紡がれる乱暴なドイツ語! いいなぁ、興奮するよ…! 壊れ物のように繊細なようでいて、口を開けば強気な態度! いやぁ、最高だ!」
「ほんっとにあなたの美意識はひん曲がってるわね!?」
低い声で吐き出された母さんのドイツ語は聞こえなかったふりをしよう。あまりにも汚いスラングだった。
元夫婦がぎゃあぎゃあ騒いでいるのを呆然と見ていると、陽介がおそるおそるといった様子で口を開いた。
「と、父さんは……母さんの見た目だけが好きなわけじゃ……ないのか……?」
とんでもない質問をしている。父さんにも母さんにも失礼になりかねない質問だ。
でもファミレスで話をしていた時、確かに父さんはそう捉えられてもおかしくない言い方をしていた。母さんの見た目だけが好きで、そこに愛なんてないような気がして…。
「はぁ!? そんなわけないだろう、なに言ってるんだ!?」
「えっ……で、でも……この前のファミレスで」
「ファミレスで? 誰もそんなこと言ってないだろ? 父さんのことを舐めるなよ、見た目だけがいい女ならいくらでも寄ってきてたわ!」
ふんっ! とふんぞり返る父さんを見て、なにを馬鹿なことを……とも言い辛いことに気付いてしまった。
だって、父さんの顔は陽介と瓜二つなのだ。
レストランに到着した時に母さんをエスコートする父さんの笑顔を見てときめいていたのは俺だ。笑うとますます陽介に似てるなぁ、って。
そんな父さんが若い頃にモテなかったわけがないのだ。
「ママの見た目の美しさは言うまでもないけど、まず気の強さだな。ここはもう外せない魅力だ! そしてピアニストとしてのプライドと、自立した強さ…! それをそばで見ていたいと思ってプロポーズしたんだよ」
わかった、わかってしまった。この人はたぶん、圧倒的に言葉が足りない人なんだ。
ちらっと隣を見ると、陽介が眉間に皺を寄せて父さんのことを睨んでいる。……うん、やっぱりそっくりだなぁ。
「フォローするわけじゃないけど、この人は昔からそうなのよ」
げっそりしたような顔をした母さんが口を開く。
いつの間にか父さんの手は振り払われていた。
「なにかを褒める時にまず見た目の美しさを褒めすぎると言うか…。さっき陽介を落として秋人を上げたように聞こえたのは、いままで散々陽介のことを褒めてきたつもりだったからだと思うのよね」
「はぁっ!?」
「そうよね、陽介のリアクションはそうなるわよね」
陽介が目をまんまるにして驚いている。
そうか、父さんはずっと陽介のことを褒めてきてたのか…。陽介には全然響いてなかったみたいだけど。
「まぁ、私はその美意識のズレを感じて離婚を提案したってわけだけどね。顔が好みってだけじゃカバーできないズレだったわね」
「えぇっ!?」
「本当にもったいないわ。陽介をまともに育ててくれたことだけには感謝するけど」
ほっとした、という言い方が合っているのかはわからない。
でも二ヶ月前のファミレスで感じた絶望感はだいぶ薄れて、いや、ほとんど消えてしまったように感じた。
「話はそれだけ? だったらもうこれを食べてさっさと帰りましょう」
「嘘だろ、エマ!?」
ちょうど運ばれてきたデザートに手をつけ始めた母さんは、縋るように名前を呼ぶ父さんを華麗にスルーしている。
あの人はなんだかんだ私には勝てない──母さんはそう言っていた。それってもしかしてこういうことか? 母さんが……なんと言うかこう、完全に尻に敷いてると言うか?
「陽介……あの、なんと言うか……大丈夫?」
「……それはどういった点で?」
「えぇーと…」
こうして波乱に満ちた食事会は無事に(?)終わりを迎えたのである。
「冷遇? なんの話だ?」
陽介は脱力していた。しかしどこか吹っ切れたような、憑き物が落ちたような顔をしているようにも見える。
父さんはきょとんとした顔で目を丸くしていた。
「俺はいつだって陽介のピアノを誇りに思ってたぞ? 発表会の時だって一番前の席でビデオを回してただろ?」
「……来てたな、そう言えば」
「優秀な教師に習うことも、防音室を作ってグラウンドピアノを用意する必要もなかった。あそこまで美しい音を出せるのは陽介だけだ! あれこそが才能だ! 道具に頼らない本物の芸術家……あぁ、なんて美しい!」
力説する父さんを見て、陽介が額に手を当てて俯いてしまった。
な、なんだろう。陽介から聞いていた話とだいぶ違うような気がするぞ…?
「俺は愛されてなかった」みたいな口ぶりだったけど、これは逆に…。
「……わかったよ。父さんの言い分はわかった」
溜め息混じりに陽介が結論付けると、父さんが目を輝かせて身を乗り出した。
「やっと伝わったか! それじゃあ同居の話も…!」
「それは断る」
「えぇっ!?」
一刀両断、って言葉があったような気がする。それってこんな状況なんじゃなかったっけ?
陽介が一瞬だけ俺の方を見てから、改めて父さんと目を合わせた。膝の上で握られた手に力が入る。
「俺たちには俺たちの生活があるんだよ。いまの生活に不自由してるわけでもないし、寮を出るつもりだってない」
それは俺も同意だ。
寮は学校の隣にあるから朝はギリギリまで寝てられるし、夜は陽介と……まぁその、いろいろ……できるし。
「そうね、二人はいままで通り寮で暮らすのがいいと思うわ。せっかく仲良くなったんだし……ね?」
意味深にウィンクをしてきた母さんを見て、心臓が妙な跳ね方をした。陽介の表情も固まる。
当然ながら父さんだけがその意図を掴めていなくて、不満そうに唇を尖らせていた。
「はぁ、駄目だったか…。勢いで同居を決めればしれっと再婚ができると思ったんだけどな」
「Dummkopf?(バカなの?)私のことを甘く見ないでちょうだい」
母さんの声が一気に冷たくなった。さっき俺の言葉遣いを叱った人と同一人物だとは思えない。
落ち込むか怒るかするだろうと思っていた父さんは、なぜか表情を明るくして母さんの右手を両手で握りしめた。
「あぁーっ! いい! 久し振りに聞いたな、そのドイツ語! 変わってないなぁ、ほんとに!」
「はぁっ!?」
なんか喜んでる!? なんで!?
困惑する俺に気付くはずもなく、父さんは恍惚とした表情で母さんを見つめている。
「その美しい顔から紡がれる乱暴なドイツ語! いいなぁ、興奮するよ…! 壊れ物のように繊細なようでいて、口を開けば強気な態度! いやぁ、最高だ!」
「ほんっとにあなたの美意識はひん曲がってるわね!?」
低い声で吐き出された母さんのドイツ語は聞こえなかったふりをしよう。あまりにも汚いスラングだった。
元夫婦がぎゃあぎゃあ騒いでいるのを呆然と見ていると、陽介がおそるおそるといった様子で口を開いた。
「と、父さんは……母さんの見た目だけが好きなわけじゃ……ないのか……?」
とんでもない質問をしている。父さんにも母さんにも失礼になりかねない質問だ。
でもファミレスで話をしていた時、確かに父さんはそう捉えられてもおかしくない言い方をしていた。母さんの見た目だけが好きで、そこに愛なんてないような気がして…。
「はぁ!? そんなわけないだろう、なに言ってるんだ!?」
「えっ……で、でも……この前のファミレスで」
「ファミレスで? 誰もそんなこと言ってないだろ? 父さんのことを舐めるなよ、見た目だけがいい女ならいくらでも寄ってきてたわ!」
ふんっ! とふんぞり返る父さんを見て、なにを馬鹿なことを……とも言い辛いことに気付いてしまった。
だって、父さんの顔は陽介と瓜二つなのだ。
レストランに到着した時に母さんをエスコートする父さんの笑顔を見てときめいていたのは俺だ。笑うとますます陽介に似てるなぁ、って。
そんな父さんが若い頃にモテなかったわけがないのだ。
「ママの見た目の美しさは言うまでもないけど、まず気の強さだな。ここはもう外せない魅力だ! そしてピアニストとしてのプライドと、自立した強さ…! それをそばで見ていたいと思ってプロポーズしたんだよ」
わかった、わかってしまった。この人はたぶん、圧倒的に言葉が足りない人なんだ。
ちらっと隣を見ると、陽介が眉間に皺を寄せて父さんのことを睨んでいる。……うん、やっぱりそっくりだなぁ。
「フォローするわけじゃないけど、この人は昔からそうなのよ」
げっそりしたような顔をした母さんが口を開く。
いつの間にか父さんの手は振り払われていた。
「なにかを褒める時にまず見た目の美しさを褒めすぎると言うか…。さっき陽介を落として秋人を上げたように聞こえたのは、いままで散々陽介のことを褒めてきたつもりだったからだと思うのよね」
「はぁっ!?」
「そうよね、陽介のリアクションはそうなるわよね」
陽介が目をまんまるにして驚いている。
そうか、父さんはずっと陽介のことを褒めてきてたのか…。陽介には全然響いてなかったみたいだけど。
「まぁ、私はその美意識のズレを感じて離婚を提案したってわけだけどね。顔が好みってだけじゃカバーできないズレだったわね」
「えぇっ!?」
「本当にもったいないわ。陽介をまともに育ててくれたことだけには感謝するけど」
ほっとした、という言い方が合っているのかはわからない。
でも二ヶ月前のファミレスで感じた絶望感はだいぶ薄れて、いや、ほとんど消えてしまったように感じた。
「話はそれだけ? だったらもうこれを食べてさっさと帰りましょう」
「嘘だろ、エマ!?」
ちょうど運ばれてきたデザートに手をつけ始めた母さんは、縋るように名前を呼ぶ父さんを華麗にスルーしている。
あの人はなんだかんだ私には勝てない──母さんはそう言っていた。それってもしかしてこういうことか? 母さんが……なんと言うかこう、完全に尻に敷いてると言うか?
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