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翌朝、ゼノス・フォン・ソーンは、かつてないほどの凄まじい「音」で目を覚ましました。
ズシーン、ズシーン、という地響きのような振動。
(何事だ!? 敵襲か、それとも魔物の暴走か……!?)
ゼノスは寝間着のまま剣を掴み、窓から中庭を見下ろしました。
そこには、信じがたい光景が広がっていました。
昨夜まではガレキと乾燥した砂利しかなかった中庭に、巨大な穴がいくつも掘られ、そこへユーリが「何か」を大量に投げ込んでいたのです。
「はい、もっと気合を入れて! そこ、空気が入るようにふんわりと混ぜてちょうだい!」
ユーリの指揮のもと、なぜか城の屈強な兵士たちが、必死の形相で巨大なスコップを振るっていました。
「……おい、貴様ら。そこで何をしている」
ゼノスがバルコニーから声をかけると、兵士たちは救いを求めるような目で主を見上げました。
「あ、閣下! 助けてください、このお嬢様に『朝の運動にちょうどいいわよ』と声をかけられ、気づけば三時間も土をこねさせられて……!」
「あら、ゼノス様。おはようございます! 見てください、この素晴らしいガレキの山。全部撤去したら、最高の水はけが期待できますわ」
ユーリは泥だらけの軍手をはめた手を振り、満面の笑みを浮かべました。
「ユーリ……。貴様、人の家の庭を勝手に掘り返して何を企んでいる。ここは呪われた土地だと言ったはずだ。何を植えても腐るか枯れるか、どちらかだぞ」
ゼノスはバルコニーから飛び降り、ユーリの前に着地しました。その周囲には、無意識に放たれた「茨の魔力」が不穏に渦巻いています。
「ふふっ、ゼノス様。お言葉ですが、それは大きな間違いですわ」
ユーリは恐れる様子もなく、ゼノスの足元に広がる黒い魔力を指差しました。
「植物が枯れるのは、呪いのせいではありません。単に『栄養バランス』が悪いだけです。ゼノス様、あなたの魔力は非常に強力ですが、その性質が少しばかり『酸性』に傾きすぎているんですの」
「魔力に酸性もアルカリ性もあるか! デタラメを言うな!」
「デタラメではありませんわ。今、その黒いトゲトゲの魔力を、私が持ってきたこの特製肥料にぶつけてみてください。化学反応……いえ、魔法反応が起きるはずですから」
ユーリが指差したのは、大きな木樽に入った、なんとも形容しがたい臭いを放つ黒い泥のような物体でした。
「……なんだ、この鼻を突く悪臭は」
「失礼ね、これはフローリア公爵家秘伝の『熟成・発酵魔力堆肥』ですわ! 王都の高級な馬の糞に、私の魔力で培養した特製の菌を混ぜ込み、三年間じっくり寝かせた至高の一品です。さあ、ゼノス様。早くトゲを出して、これをかき混ぜてください!」
「嫌だ。絶対に嫌だ。私は辺境伯だぞ。なぜ馬の糞を魔力で混ぜねばならんのだ」
「何を仰っているんですか。この堆肥一さじで、パンジーが三倍の大きさになるんですよ!? さあ、出しなさい、トゲを! 茨公爵の力を見せてちょうだい!」
ユーリがグイグイと詰め寄ると、ゼノスはたじろぎました。
「くっ……。近寄るな、この花狂いめ! ……分かった、やればいいんだろう、やれば!」
ゼノスは半ば自棄(やけ)になり、右手を樽にかざしました。
「……出よ、黒茨の息吹(ブラック・ソーン)!」
どろりとした黒い魔力が茨となって噴出し、堆肥の入った樽に突き刺さりました。
次の瞬間。
シュワシュワッ! という音と共に、樽の中から眩いばかりの緑色の光が溢れ出したのです。
「な、なんだ!? 糞が光っているぞ!?」
ゼノスが驚愕する中、ユーリは手を叩いて喜びました。
「成功ですわ! ゼノス様の負の魔力が、堆肥の有機物と結合して、超高濃度の成長促進エネルギーに変換されました! これこそ私が求めていた『究極の基盤材』です!」
光り輝く肥料(元は馬の糞)を前に、ユーリはすぐさま指示を飛ばしました。
「アン! 例の種を持ってきて! ゼノス様、その茨を緩めて、土の中に空気が通る道を作ってください。さあ、一気に耕しますわよ!」
「お、おい、待て! 私は……!」
ゼノスの抗議も虚しく、彼はユーリの魔法のような手際に巻き込まれ、気づけば城の庭を縦横無尽に耕す「最高級のトラクター」と化していました。
夕暮れ時。
あれほど殺風景だった中庭は、ふかふかの黒い土に覆い尽くされていました。
「……はぁ、はぁ……。なぜ……私がこんなことを……」
ゼノスは地面に膝をつき、肩で息をしていました。魔力を使い果たしたわけではありません。精神的な疲労が限界に達していたのです。
「お疲れ様でした、ゼノス様。ほら、見てください」
ユーリがそっと、土の一角を指差しました。
そこには、小さな、本当に小さな緑色の芽が、一筋の光を浴びて顔を出していました。
「……芽? この土地で、芽が出たのか……?」
ゼノスは目を見開きました。この地に城を構えて以来、一度として見たことがなかった光景です。
「ええ。あなたの『茨』があったからこそ、この子は土の中で守られ、芽吹くことができたんですのよ」
ユーリは優しく微笑み、ゼノスの泥だらけの手を握りました。
「ゼノス様。あなたの力は呪いなんかじゃありません。世界一美しい花園を支える、強くて優しい根っこなんですわ」
「…………」
ゼノスは、何も言えなくなりました。
顔が熱いのは、夕日のせいだけではないような気がしました。
しかし、ユーリの次の言葉で、感動は一瞬で霧散することになります。
「さあ、次は裏庭の排水路の確保ですわね! ゼノス様、まだ体力は残っていますわよね? 夜通し掘れば、明日にはジャガイモが植えられますわ!」
「……寝かせてくれ、頼むから」
辺境の「茨公爵」は、この日初めて、人間よりも花の方が恐ろしいという事実を学んだのでした。
ズシーン、ズシーン、という地響きのような振動。
(何事だ!? 敵襲か、それとも魔物の暴走か……!?)
ゼノスは寝間着のまま剣を掴み、窓から中庭を見下ろしました。
そこには、信じがたい光景が広がっていました。
昨夜まではガレキと乾燥した砂利しかなかった中庭に、巨大な穴がいくつも掘られ、そこへユーリが「何か」を大量に投げ込んでいたのです。
「はい、もっと気合を入れて! そこ、空気が入るようにふんわりと混ぜてちょうだい!」
ユーリの指揮のもと、なぜか城の屈強な兵士たちが、必死の形相で巨大なスコップを振るっていました。
「……おい、貴様ら。そこで何をしている」
ゼノスがバルコニーから声をかけると、兵士たちは救いを求めるような目で主を見上げました。
「あ、閣下! 助けてください、このお嬢様に『朝の運動にちょうどいいわよ』と声をかけられ、気づけば三時間も土をこねさせられて……!」
「あら、ゼノス様。おはようございます! 見てください、この素晴らしいガレキの山。全部撤去したら、最高の水はけが期待できますわ」
ユーリは泥だらけの軍手をはめた手を振り、満面の笑みを浮かべました。
「ユーリ……。貴様、人の家の庭を勝手に掘り返して何を企んでいる。ここは呪われた土地だと言ったはずだ。何を植えても腐るか枯れるか、どちらかだぞ」
ゼノスはバルコニーから飛び降り、ユーリの前に着地しました。その周囲には、無意識に放たれた「茨の魔力」が不穏に渦巻いています。
「ふふっ、ゼノス様。お言葉ですが、それは大きな間違いですわ」
ユーリは恐れる様子もなく、ゼノスの足元に広がる黒い魔力を指差しました。
「植物が枯れるのは、呪いのせいではありません。単に『栄養バランス』が悪いだけです。ゼノス様、あなたの魔力は非常に強力ですが、その性質が少しばかり『酸性』に傾きすぎているんですの」
「魔力に酸性もアルカリ性もあるか! デタラメを言うな!」
「デタラメではありませんわ。今、その黒いトゲトゲの魔力を、私が持ってきたこの特製肥料にぶつけてみてください。化学反応……いえ、魔法反応が起きるはずですから」
ユーリが指差したのは、大きな木樽に入った、なんとも形容しがたい臭いを放つ黒い泥のような物体でした。
「……なんだ、この鼻を突く悪臭は」
「失礼ね、これはフローリア公爵家秘伝の『熟成・発酵魔力堆肥』ですわ! 王都の高級な馬の糞に、私の魔力で培養した特製の菌を混ぜ込み、三年間じっくり寝かせた至高の一品です。さあ、ゼノス様。早くトゲを出して、これをかき混ぜてください!」
「嫌だ。絶対に嫌だ。私は辺境伯だぞ。なぜ馬の糞を魔力で混ぜねばならんのだ」
「何を仰っているんですか。この堆肥一さじで、パンジーが三倍の大きさになるんですよ!? さあ、出しなさい、トゲを! 茨公爵の力を見せてちょうだい!」
ユーリがグイグイと詰め寄ると、ゼノスはたじろぎました。
「くっ……。近寄るな、この花狂いめ! ……分かった、やればいいんだろう、やれば!」
ゼノスは半ば自棄(やけ)になり、右手を樽にかざしました。
「……出よ、黒茨の息吹(ブラック・ソーン)!」
どろりとした黒い魔力が茨となって噴出し、堆肥の入った樽に突き刺さりました。
次の瞬間。
シュワシュワッ! という音と共に、樽の中から眩いばかりの緑色の光が溢れ出したのです。
「な、なんだ!? 糞が光っているぞ!?」
ゼノスが驚愕する中、ユーリは手を叩いて喜びました。
「成功ですわ! ゼノス様の負の魔力が、堆肥の有機物と結合して、超高濃度の成長促進エネルギーに変換されました! これこそ私が求めていた『究極の基盤材』です!」
光り輝く肥料(元は馬の糞)を前に、ユーリはすぐさま指示を飛ばしました。
「アン! 例の種を持ってきて! ゼノス様、その茨を緩めて、土の中に空気が通る道を作ってください。さあ、一気に耕しますわよ!」
「お、おい、待て! 私は……!」
ゼノスの抗議も虚しく、彼はユーリの魔法のような手際に巻き込まれ、気づけば城の庭を縦横無尽に耕す「最高級のトラクター」と化していました。
夕暮れ時。
あれほど殺風景だった中庭は、ふかふかの黒い土に覆い尽くされていました。
「……はぁ、はぁ……。なぜ……私がこんなことを……」
ゼノスは地面に膝をつき、肩で息をしていました。魔力を使い果たしたわけではありません。精神的な疲労が限界に達していたのです。
「お疲れ様でした、ゼノス様。ほら、見てください」
ユーリがそっと、土の一角を指差しました。
そこには、小さな、本当に小さな緑色の芽が、一筋の光を浴びて顔を出していました。
「……芽? この土地で、芽が出たのか……?」
ゼノスは目を見開きました。この地に城を構えて以来、一度として見たことがなかった光景です。
「ええ。あなたの『茨』があったからこそ、この子は土の中で守られ、芽吹くことができたんですのよ」
ユーリは優しく微笑み、ゼノスの泥だらけの手を握りました。
「ゼノス様。あなたの力は呪いなんかじゃありません。世界一美しい花園を支える、強くて優しい根っこなんですわ」
「…………」
ゼノスは、何も言えなくなりました。
顔が熱いのは、夕日のせいだけではないような気がしました。
しかし、ユーリの次の言葉で、感動は一瞬で霧散することになります。
「さあ、次は裏庭の排水路の確保ですわね! ゼノス様、まだ体力は残っていますわよね? 夜通し掘れば、明日にはジャガイモが植えられますわ!」
「……寝かせてくれ、頼むから」
辺境の「茨公爵」は、この日初めて、人間よりも花の方が恐ろしいという事実を学んだのでした。
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