婚約破棄?ざまぁ?悪役令嬢だって幸せになりたい。

鏡おもち

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深夜、ソーン城の片隅に作られた仮設のビニールハウス――もとい、ユーリが魔法で編み上げた「魔力障壁の温室」に、一つの人影がありました。


「いい子ね、みんな。辺境の夜風は冷たいけれど、私の魔力を吸ってゆっくりお休み……」


ユーリはランタンの柔らかな光の下で、今日植えたばかりの苗たちに話しかけていました。


そこへ、重い足音が近づいてきます。


「……まだ起きていたのか、貴様は」


現れたのは、マントを羽織ったゼノスでした。昼間の「トラクター業務」の疲れも見せず、相変わらず威圧感たっぷりの佇まいです。


「あら、ゼノス様。もしや、私の堆肥の香りに誘われて夜の散歩ですか?」


「そんなわけがあるか。……ただ、あまりに温室が光っていたから、魔物の誘引灯にでもなっているのかと確認に来ただけだ」


ゼノスは不機嫌そうに鼻を鳴らしましたが、その視線はユーリではなく、彼女の足元にある小さな鉢植えに釘付けになっていました。


「……それは、『月影のシダ』か」


ボソリと呟かれたその言葉に、ユーリは弾かれたように顔を上げました。


「えっ!? 今、なんとおっしゃいました? これを見て品種が分かるのですか?」


「……っ! いや、別に、勘だ。ただのシダだろう」


ゼノスは慌てて目を逸らしましたが、ユーリは逃しません。獲物を見つけた捕食者のような素早さで、ゼノスの懐に飛び込みました。


「嘘をおっしゃい! この子は王都の植物図鑑にも三行しか記述がない、超希少種ですわよ! それを『月影』と呼ぶなんて……ゼノス様、さてはあなた、相当な『花狂い』ですね!?」


「ち、違う! 私は茨公爵だぞ! 恐ろしい魔力のトゲで全てを滅ぼす男だ!」


「いいえ、隠しても無駄です! さあ、白状してください。この『月影のシダ』の胞子が、どの角度で飛ぶのが一番美しいか、知っているのでしょう!?」


「……斜め四十五度、満月の夜の微風に乗る時だ」


ゼノスは、抗えませんでした。


一度溢れ出した知識欲(オタクの性)は、ダムが決壊するように止まらなくなります。


「……さらに言うなら、このシダは通常の水ではなく、岩盤を抜けてきたミネラル豊富な湧き水を好む。貴様、先程から与えている水はどこから汲んできた?」


「まあっ! 城の北側の岩場にある泉ですわ。やっぱりゼノス様もあそこに注目して……!」


「あそこの水質は最高だ。特に冬場はカルシウム濃度が安定する。……それから、あっちの隅にある苗。あれは『スノー・ドロップ』の変種だろう。葉の縁に白い線が入っている。あんな個体、どこで手に入れた」


「王都のゴミ捨て場……いえ、カトレア様の『不要な花リスト』から救出しましたの。ゼノス様、あなた本当に詳しいわ! 感激です!」


ユーリはゼノスの両手を握りしめ、ブンブンと振り回しました。


「まさか、辺境の地に同志がいたなんて! ねえ、ゼノス様。お城の図書室には、植物学の古文書があったりしませんか?」


「……地下の書庫に、三代前の当主が集めた、他国では禁書扱いされている『植物解剖録』が十巻ほどある。……それと、私の自室には押し花のコレクションが……」


「押し花! 茨公爵が押し花! ギャップ萌えすぎて光合成が促進されそうですわ!」


「……萌え……? よく分からんが、とにかく、私は花が嫌いなわけではない。ただ、私の魔力は触れるものをすべて茨に変えてしまう。愛でようとしても、傷つけてしまうんだ……」


ゼノスは寂しそうに自分の掌を見つめました。


対人恐怖症も、元を正せば「植物を傷つけたくない」「人を傷つけたくない」という優しすぎる性格からくるものでした。


「だから、私は誰とも関わらず、一人で地下の書庫にこもって研究するしかなかった。外に花を植えても、私の魔力が干渉して、すべてトゲだらけの怪物に変わってしまうからな」


「そんなの、解決策は簡単ですわよ、ゼノス様!」


ユーリはランタンを高く掲げ、温室全体を照らしました。


「トゲが出るなら、最初からトゲのある植物を育てればいいんです! サボテン、バラ、アザミ、そしてあなたの魔力から生まれる新種の茨……。トゲがあるからこそ守れる美しさが、ここにはあります」


「……トゲがあるからこそ、守れる?」


「ええ。あなたの『茨の呪い』は、私に言わせれば『究極の防虫・防犯システム』ですわ。これほどガーデニングに向いた才能、他にありません!」


ユーリの言葉は、ゼノスが長年抱えてきた呪いを、一瞬でポジティブな「スキル」へと書き換えてしまいました。


「ユーリ……貴様という女は……」


ゼノスは感動のあまり、震える声で何かを言おうとしました。


しかし、ユーリの「オタク・スイッチ」はまだ切れていませんでした。


「さあ、ゼノス様! 語り明かしましょう! 次は、砂漠における多肉植物の進化系統樹について、あなたの見解を聞かせてください! あ、その前に私の『根腐れ防止ダンス』を見ていただけますか?」


「ダンス……? ……あ、おい、待て、急に距離を詰めるな……」


そこから先は、地獄……もとい、至福のオタクトークタイムでした。


ユーリが繰り出す専門用語の嵐に、ゼノスは全力の知識で応酬し、二人は夜が明けるまで「土の配合」と「光合成の神秘」について語り続けました。


そして翌朝。


「お、お嬢様!? こんなところで寝て……って、辺境伯閣下まで!?」


アンが温室に駆け込んだ時、そこには、複雑な数式(肥料の配合比)が地面いっぱいに書かれた中で、力尽きて眠る二人の姿がありました。


ゼノスは、あまりに濃密なコミュニケーションを短時間に摂取しすぎたため、知恵熱を出して白目を剥いて気絶していました。


「……ゼノス様……それ、リン酸が……足りません……むにゃむにゃ」


寝言まで植物のこと。


ユーリという台風に巻き込まれ、茨公爵の「ぼっち生活」は、完全に崩壊したのでした。
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