いいえ、ただ私は婚約破棄されたいだけなんです!

鏡おもち

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「……いい、アンナ。今日こそは逃げ場のない『悪行』を成し遂げてみせるわ」


学園の食堂。賑わう生徒たちの中心で、私は燃えるような決意を口にした。
隣に控えるアンナは、冷めた紅茶を啜りながら私をジト目で見る。


「お嬢様、次はどのような『慈善活動』をなさるおつもりで?」


「失礼なことを言わないで! 今日は慈善どころか、略奪よ! 略奪!」


私は視線の先、一人で静かに席に座るリリアを捉えた。
彼女の手元には、購買で買ったと思われる、なんの変哲もない一個のコッペパン。
質素。実に質素だ。男爵家の懐事情が透けて見えるような、そのささやかな昼食を奪う。
これこそが、傲慢な上級貴族による「食い物の恨み」という、弁解の余地なき悪行!


「見てなさい。あのパンを奪って、私の胃袋に収めてやるわ。空腹のリリアさんは泣き出し、周囲は私の卑しさにドン引きする。……ああ、完璧なシナリオだわ!」


「……お嬢様、朝食に特製オムレツを三つも召し上がっていましたよね? まだ入るのですか?」


「これは胃袋の戦いなのよ! 行くわよ!」


私は獲物を狙う鷹のような鋭さで、リリアのテーブルへと突進した。


「ちょっと、あなた! そのパン、美味しそうですわね!」


リリアはびくりと肩を跳ねさせ、持っていたパンを落としそうになりながら私を見上げた。


「あ、エヴァンズ様! ごきげんよう……! は、はい、このパン、焼きたてでとっても香ばしくて……」


「ふん、そんな安っぽいパンを幸せそうに食べるなんて、男爵令嬢の舌はどうなっているのかしら。……没収ですわ! これは私がいただきます!」


私はリリアが返事をする間もなく、そのコッペパンをひったくった。
リリアは驚きで口を半開きにしている。
よし、いい反応だわ! 周りの生徒たちも「えっ、パンを奪った……?」とざわつき始めている。


「……お、お嬢様? それ、本気で召し上がるのですか?」


背後でアンナが小声で止めてくるが、私は無視してパンに大きくかじりついた。
うっ、意外とパサパサ……。でも、悪女はそんなことを気にしない!


「モグモグ……ふん、案の定、不味いわね! こんなものを食べているなんて、あなたにはこれくらいがお似合いですわ! オーホッホッホ!」


口の中にパンを詰め込んだまま笑うという、行儀の悪さもプラス。
これで私の評価は「貧乏人のパンを奪う上にマナーも最悪な豚令嬢」に決まりだわ!


しかし、リリアの瞳に浮かんだのは、涙……ではなく、キラキラとした「理解」の色だった。


「……っ! エヴァンズ様、もしや……気づいてくださったのですね!?」


「……んぐっ? 何に、ですの?」


リリアは立ち上がり、私の手元に残ったパンを感動の面持ちで見つめた。


「そのパン……実は、先ほど購買の隅っこで『本日の特価品』として売られていたものなんです。でも、私……食べてから気づいたんです。なんだか少し、古い匂いがするなって……」


「……えっ?」


「エヴァンズ様は、私がその……『賞味期限切れのパン』を食べてお腹を壊さないように、あえてご自分の体を張って……! 私に汚いものを食べさせないために、自ら毒見を……!」


リリアが感極まったように私の手を取り、ブンブンと振り始めた。


「私の健康を損なわないために、あえてご自身が『行儀の悪い悪女』の泥を被ってまで、私のパンを奪ってくださったのですね! なんて尊い自己犠牲……!」


「違う、違うの! 私はただ、お腹が空いて……じゃなくて、意地悪をしたかっただけで……!」


そこへ、いつものように「彼」がやってきた。
学園のヒーロー、アレン王子である。


「ロニエ、何があったんだい? 随分と顔色が……あ、いや、パンを頬張っているのか?」


「殿下! 聞いてください!」


リリアが弾んだ声で、王子にことの顛末(リリア解釈)を説明し始めた。
アレン王子は話を聞くうちに、その表情を深い慈愛と感動へと変化させていった。


「……なるほど。そういうことだったのか、ロニエ。君はまた、自分を犠牲にして他人を救おうとしたんだね」


「殿下、違いますわ! 私はただの食いしん坊の悪女ですのよ!」


「照れなくていい。賞味期限切れの可能性を察知し、迷わずそれを口にして無害化を証明する……。君のその行動は、まさに戦場で毒見役を買って出る忠臣のようだ」


王子は私の口元についたパン屑を、優しく指で拭った。


「君は、僕が知らないところでどれだけ多くの生徒を救っているんだい? 炭水化物の過剰摂取を警告し、同時に食の安全を説く……。君の教育的配慮には、脱帽するよ」


「ロニエ様……! どこまでお優しいのですか!」
「パン一つでそこまで深い愛を……!」
「私もロニエ様にパンを奪われたい!」


周囲の生徒たちから、割れんばかりの拍手が湧き起こる。
もはや「パン奪い=聖なる儀式」のような扱いだ。


「カイル! 購買の全商品を検査しろ。ロニエが体を張らなくてもいいように、食の安全管理を徹底させるんだ!」


「御意。ロニエ様、またしても学園のインフラを改善してくださり、ありがとうございます」


カイルがメモを取りながら、尊敬の眼差しを向けてくる。


私は残ったパンを手に、その場に立ち尽くした。
胃のあたりが、パンのパサパサ感と絶望感で重い。


「(……もう嫌だ。パンを奪っただけで、なんで食の安全を守る英雄になってるのよ……)」


「お嬢様、おめでとうございます。これで学園の学食はより安全に、そしてお嬢様の『聖女度』はさらに上昇しましたね」


アンナの皮肉混じりの祝福が、今の私には一番堪えた。


「……アンナ。明日、明日こそは……。絶対に、誰が見ても言い逃れできない『悪事』をしてやるわ……」


「ええ、楽しみにしていますよ。次は毒でも吐きますか? それとも、学園の池の水を全部抜きますか?」


私の「婚約破棄への挑戦」は、食べるパンの数だけ、なぜか王妃への椅子を強固なものにしていくのであった。
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