いいえ、ただ私は婚約破棄されたいだけなんです!

鏡おもち

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「……アンナ。もういいわ。私は、考えるのをやめたの」


王城の一室、豪奢な天蓋付きベッドの端に腰掛け、私は虚空を見つめていた。
一ヶ月後に迫った結婚式。
分刻みで詰め込まれた王妃教育。
逃げれば追いかけられ、嫌がらせをすれば称賛される無限ループ。


「お嬢様。悟りを開いた高僧のようなお顔をなさっていますが、ついに魂が肉体を離脱されましたか?」


「ええ、離脱したわ。今の私はただの、美しく着飾った『中身のない器』よ。……抵抗するから疲れるの。これからは、流されるままのワカメとして生きていくことに決めたわ」


「ワカメ……。ですがお嬢様、そのワカメ、先ほどのマナー講習では『完璧な淑女の立ち振る舞い』として、教育係の鬼公爵夫人が泣いて喜んでいましたよ」


私はふっと力なく笑った。
そうなのだ。
「一歩も動きたくない」という強い意志で動作を最小限に抑えた結果、それが「洗練された無駄のない動き」として絶賛された。
「何も答えたくない」と黙り込んだら、「深く思慮深い、静謐な佇まい」と評価された。


「……お嬢様、アレン殿下がお見えです。今日もまた、何か新しい伝説を拾ってこられたようですよ」


扉が開き、もはや私の人生において避けることのできない「輝く天敵」が入ってきた。


「ロニエ! 教育係の夫人から聞いたよ。君がわずか数日で、王家に伝わる複雑な儀礼をすべてマスターしたと! 君のその、天賦の才には驚かされるばかりだ!」


「……殿下。私はただ、座っていただけですわ。心が無(む)なだけですの」


私は感情を一切乗せず、平坦な声で答えた。
表情も変えない。怒る元気も、呆れる気力もないのだ。


「……っ! 今のその、静かな肯定……! なんて気高いんだ、ロニエ……!」


案の定、アレン王子は私の手を取り、その瞳に熱い感動を浮かべた。


「かつての君は、情熱を剥き出しにして僕とぶつかってくれた。だが今の君は、すべてを包み込む大海原のような静けさを手に入れたんだね。……悟りだ。君は王妃としての『覚悟』を超え、もはや聖域に達してしまったんだ!」


「……ええ、そうですわね。海というか、泥沼ですけれど」


「カイル! 見たか! この落ち着き。これこそが、我が国の未来を照らす真の王妃の姿だ! 彼女が沈黙すれば、世界が静まる。彼女が微笑めば、国中が幸福に包まれる……!」


「……ええ。お嬢様、もはや生きているだけで『国益』になっておられます。素晴らしい生存戦略ですね」


カイルが事務的にメモを取りながら、感銘を受けたふりをして(たぶん半分は本気で)頷いた。


「(……もう、どうにでもなれだわ。何を言っても無駄。何をしても裏目。なら、私はこのまま完璧な人形として、式の日まで運ばれていくわ……)」


私は、王子の情熱的な独り言をBGMに、心の中で「実家の離れの間取り図」を思い描いていた。
せめて、新居の寝室は実家の離れに似た内装にしてもらおう。それくらいしか、今の私にできる抵抗はない。


そこへ、リリアさんが花束を持って駆け込んできた。


「ロニエお姉様! 聞きましたわ! 王城の侍女たちが皆、お姉様のあまりの美しさと気高さに、近寄ることさえ恐れ多いと震えています!」


「……あら、リリアさん。それは私が単に、不機嫌で話しかけにくいだけではなくて?」


「いいえ! あれは『神性』ですわ! お姉様が廊下を歩くだけで、空気が浄化されると評判です! 私も、お姉様の爪の垢を煎じて、学園中に配りたいくらいです!」


「やめてちょうだい。衛生的に問題があるわ」


私が力なく制すと、リリアさんは「ああ、この冷徹なまでの冷静さ……素敵!」と頬を染めて身悶えした。


どうやら、私が抵抗を諦め、無気力になればなるほど、周囲の目には「完成された完璧な女性」として映るらしい。
皮肉なものだ。婚約破棄を狙って暴れていた時よりも、今の死んだ魚のような目をした私の方が、王妃としてふさわしいと言われるなんて。


「ロニエ。式まであと少しだ。君が望むなら、世界中の花を城に集めよう。君のその静かな美しさに相応しい、最高の舞台を用意する」


王子は私の頬を、壊れ物を扱うようにそっと撫でた。


「……殿下。私は、花よりも、ふかふかの布団が欲しいですわ」


「ふふ、またそうやって、僕に『癒やし』を求めてくれるんだね。わかったよ、国中の羽毛を集めさせて、雲のようなベッドを作らせよう。そこで二人、仲良く……」


「……一人で寝かせてくださいまし」


「ははは、照れなくていいよ」


噛み合わない会話のまま、夜は更けていく。


私は窓の外に広がる王都の夜景を見つめながら、静かに涙を一滴だけこぼした。
それは悲しみの涙ではなく、あまりの状況の不可解さに、脳が処理を諦めた結果の生理現象だったのだが。


「……お嬢様。その涙、アレン殿下が『僕を想うあまりの、歓喜の雫だ!』と言って、瓶に詰めて保存しようとしていますよ。止めるなら今です」


アンナの声に、私はゆっくりと首を振った。


「……いいのよ、アンナ。もう、好きにさせてあげて……」


私の「婚約破棄への道」は、完全に白旗を上げたことで、なぜか「歴史に名を残す完璧な王妃の誕生」という結末に向かって、時速数百キロで爆走し始めたのである。
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