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王都の空は、今日も雲一つない快晴だった。しかし、王宮で開催されている定期夜会の空気は、どんよりとした曇天のごとき重苦しさに包まれていた。
「……はあ。またこの曲かしら。そしてまた、この代わり映えのしない顔ぶれ」
扇子で口元を隠しながら、一人の伯爵令嬢が小さく溜息をついた。
ダンスホールの中央では、カイル王子とフロラが仲睦まじく踊っている。かつては「真実の愛」と称賛されたその光景も、今や見飽きた日常の一コマに過ぎない。
「フロラ様は確かに可憐で非の打ち所がありませんけれど……なんて言うのかしら。毒にも薬にもならないというか、少しばかり退屈ですわね」
「分かりますわ。かつての夜会は、もっとこう……スリルと、そして圧倒的な『何か』がありましたもの」
令嬢たちが懐かしむのは、かつてこの会場を支配していた、あの傲慢不遜な黄金の旋風。
「……『私の美しさが眩しすぎて、ホールのシャンデリアが煤けて見えるわ!』なんて豪語して、鏡ばかり見ていたあの方のことですね」
「ええ。あの方がいらっしゃった頃は、次はどんな無茶苦茶なことを言い出すのかと、皆が固唾を呑んで見守っていたものですわ。今の夜会は、まるで味のしないスープを飲んでいるようです」
ミント・エーデルワイス。彼女がいなくなってからというもの、王都の社交界は急激にその「熱量」を失っていた。
悪役令嬢として叩くべき対象がいなくなったことで、貴族たちは共通の敵を失い、互いの欠点を探し合うギスギスした空気へと変わってしまったのだ。
そこへ、一人の若い貴族が血相を変えて飛び込んできた。
「聞いたか! 辺境のエーデルワイス領からの最新の報告だ!」
その一言に、壁際にいた貴族たちが一斉に群がった。今、社交界で最も価値のある情報は、王都の流行ではなく、辺境のミントの近況である。
「……また何か、新しい鏡を特注したのか?」
「いや、もっと凄いぞ! ミント様が、地質学を無視して素手で温泉を掘り当てたらしい! その名も『ミント・ビューティー・スパ』だ!」
「温泉!? あの不毛の地からか?」
「それだけじゃない。そのお湯に入ると、ミント様のような輝く肌になれるという噂が広まって、王都の大商人がこぞって貢ぎ物を持って列をなしているそうだ。……しかも、彼女に会うためには『ポエムの朗読審査』に合格しなければならないらしい」
「ポエム審査……。ああ、なんてミント様らしい……。相変わらず、我々の想像の斜め上を爆走していらっしゃる」
一人の令嬢が、うっとりと胸に手を当てた。
「……ねえ、皆様。考えてみて。私たちがここで、お義理の笑顔で毒にも薬にもならないお喋りをしている間に、ミント様は辺境を『自分への愛』だけで豊かにしてしまわれたのよ。……正直、少し羨ましくありませんこと?」
「……実を言うと、私もそう思っていたところですわ。彼女のあの、世界中が敵になっても『私が大好き!』と笑い飛ばす強さ。今の王都に必要なのは、あのような不屈の輝きではないかしら」
会場のあちこちで「ミント様、懐かしいわね」「あの方の毒舌が聞きたいわ」という声が、さざ波のように広がっていく。
そんな空気の変化を、フロラが敏感に察知した。
ダンスを終え、カイルの腕に抱かれながら、彼女は周囲のひそひそ話に耳を立てた。
「(……嘘でしょ。なぜ、追い出した女の噂でこんなに盛り上がっているのよ)」
フロラの手が、カイルの肩の上で震える。
彼女は完璧なヒロインとして、優しく、慎ましく振る舞ってきた。しかし、人々が求めているのは「完璧な善人」ではなく、見ていて飽きない「圧倒的な主人公」だったのだ。
「フロラ、どうした? 顔色が悪いぞ」
「……いいえ、殿下。少し、風に当たりたいだけですわ」
フロラは無理やり笑顔を作ったが、その瞳には焦りの色が濃く滲んでいた。
ミント不在の社交界は、皮肉なことに、ミントという存在の大きさを証明する場へと成り果てていた。
そしてその夜、王都の夜空には、ミントの肖像画を飾った新しいサロンの噂が、密かに、しかし確実に広まり始めていたのである。
「……はあ。またこの曲かしら。そしてまた、この代わり映えのしない顔ぶれ」
扇子で口元を隠しながら、一人の伯爵令嬢が小さく溜息をついた。
ダンスホールの中央では、カイル王子とフロラが仲睦まじく踊っている。かつては「真実の愛」と称賛されたその光景も、今や見飽きた日常の一コマに過ぎない。
「フロラ様は確かに可憐で非の打ち所がありませんけれど……なんて言うのかしら。毒にも薬にもならないというか、少しばかり退屈ですわね」
「分かりますわ。かつての夜会は、もっとこう……スリルと、そして圧倒的な『何か』がありましたもの」
令嬢たちが懐かしむのは、かつてこの会場を支配していた、あの傲慢不遜な黄金の旋風。
「……『私の美しさが眩しすぎて、ホールのシャンデリアが煤けて見えるわ!』なんて豪語して、鏡ばかり見ていたあの方のことですね」
「ええ。あの方がいらっしゃった頃は、次はどんな無茶苦茶なことを言い出すのかと、皆が固唾を呑んで見守っていたものですわ。今の夜会は、まるで味のしないスープを飲んでいるようです」
ミント・エーデルワイス。彼女がいなくなってからというもの、王都の社交界は急激にその「熱量」を失っていた。
悪役令嬢として叩くべき対象がいなくなったことで、貴族たちは共通の敵を失い、互いの欠点を探し合うギスギスした空気へと変わってしまったのだ。
そこへ、一人の若い貴族が血相を変えて飛び込んできた。
「聞いたか! 辺境のエーデルワイス領からの最新の報告だ!」
その一言に、壁際にいた貴族たちが一斉に群がった。今、社交界で最も価値のある情報は、王都の流行ではなく、辺境のミントの近況である。
「……また何か、新しい鏡を特注したのか?」
「いや、もっと凄いぞ! ミント様が、地質学を無視して素手で温泉を掘り当てたらしい! その名も『ミント・ビューティー・スパ』だ!」
「温泉!? あの不毛の地からか?」
「それだけじゃない。そのお湯に入ると、ミント様のような輝く肌になれるという噂が広まって、王都の大商人がこぞって貢ぎ物を持って列をなしているそうだ。……しかも、彼女に会うためには『ポエムの朗読審査』に合格しなければならないらしい」
「ポエム審査……。ああ、なんてミント様らしい……。相変わらず、我々の想像の斜め上を爆走していらっしゃる」
一人の令嬢が、うっとりと胸に手を当てた。
「……ねえ、皆様。考えてみて。私たちがここで、お義理の笑顔で毒にも薬にもならないお喋りをしている間に、ミント様は辺境を『自分への愛』だけで豊かにしてしまわれたのよ。……正直、少し羨ましくありませんこと?」
「……実を言うと、私もそう思っていたところですわ。彼女のあの、世界中が敵になっても『私が大好き!』と笑い飛ばす強さ。今の王都に必要なのは、あのような不屈の輝きではないかしら」
会場のあちこちで「ミント様、懐かしいわね」「あの方の毒舌が聞きたいわ」という声が、さざ波のように広がっていく。
そんな空気の変化を、フロラが敏感に察知した。
ダンスを終え、カイルの腕に抱かれながら、彼女は周囲のひそひそ話に耳を立てた。
「(……嘘でしょ。なぜ、追い出した女の噂でこんなに盛り上がっているのよ)」
フロラの手が、カイルの肩の上で震える。
彼女は完璧なヒロインとして、優しく、慎ましく振る舞ってきた。しかし、人々が求めているのは「完璧な善人」ではなく、見ていて飽きない「圧倒的な主人公」だったのだ。
「フロラ、どうした? 顔色が悪いぞ」
「……いいえ、殿下。少し、風に当たりたいだけですわ」
フロラは無理やり笑顔を作ったが、その瞳には焦りの色が濃く滲んでいた。
ミント不在の社交界は、皮肉なことに、ミントという存在の大きさを証明する場へと成り果てていた。
そしてその夜、王都の夜空には、ミントの肖像画を飾った新しいサロンの噂が、密かに、しかし確実に広まり始めていたのである。
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