私を愛さないなんて、世界最大の損失ではなくて?

鏡おもち

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豪華な装飾が施された王家の馬車が、砂埃を上げてエーデルワイス領へと乗り込んできた。


「……何だ、この活気は」


馬車の窓から外を覗いたカイル王子は、驚愕に目を見開いた。


かつて不毛の地と蔑まれていた辺境の村は、今や王都の商業区も顔負けの賑わいを見せている。街道は整備され、村人たちは小綺麗な服を着て、皆が活き活きとした表情で働いていた。


(ミントが絶望して、泣きながら縋り付いてくるのを待っていたというのに……これではまるで、避暑地の別荘地ではないか!)


カイルは苛立ちを募らせながら、新築の宮殿のように磨き上げられた屋敷の前で馬車を降りた。


「ミント・エーデルワイス! これ以上の無礼は許さんぞ! 王命を拒否した罪、その顔を見て直接問い質してやる!」


カイルが屋敷の広間に大股で踏み込むと、そこには芳醇なバラの香りと、柔らかな温泉の湯気が漂っていた。


広間の中央、一段高い椅子に腰掛け、専属のネイリスト(に昇格したアンナ)に爪を磨かせている女性がいた。


「……あら、お客様? ジルコン、今日の『賞賛オーディション』はもう締め切ったはずよ。ポエムの予約なら、三ヶ月後のカレンダーを確認してちょうだい」


ミントは顔に薄い絹の布を載せたまま、面倒くさそうに片手をひらつかせた。


「ミント! 私だ! カイル・ド・ラズリだ! 貴様の元婚約者であり、この国の第一王子である私がわざわざ足を運んでやったのだぞ!」


カイルが怒鳴り声を上げると、ミントは「まあ」と小さく声を漏らし、顔の布をゆっくりと剥がした。


そこには、以前王都にいた頃よりも数段、いや数十段は磨き上げられた「究極の美」があった。温泉の効果か、その肌は内側から発光しているかのように瑞々しく、瞳は朝露に濡れた宝石のように澄んでいる。


カイルは一瞬、その美しさに息を呑んだ。だが、ミントの口から出た言葉は、彼の自尊心を粉々に砕くものだった。


「……カイル、様? ……ええと、どちら様でしたかしら?」


「……は?」


カイルの思考が停止した。


「ああ、思い出したわ! 貴方、確か……以前、私の屋敷の門の前で、私の美しさに圧倒されて腰を抜かしていた庭師の見習いさんね? あら、出世してそんなに立派な服を着られるようになったのね。努力は認めてあげるわ」


「違う! 誰が庭師だ! カイルだと言っているだろう! 貴様と婚約していた、あのカイルだ!」


カイルは顔を真っ赤にして叫んだ。しかし、ミントは首を傾げるばかりである。


「婚約者? あら、変ね。私の婚約者は、毎朝鏡の中で私を見つめてくれる、あの世界一美しい『私自身』だけよ。他人と婚約するなんて、そんな不衛生なこと、私がするはずないじゃない」


「貴様……本気で忘れたのか!? あの断罪の夜会を! 私がフロラを選び、お前を追放したあの劇的な瞬間を!」


「ああ……」


ミントはポン、と手を打った。


「思い出したわ! あの、夜会のシャンデリアの輝きを邪魔していた、背の高い背景(エキストラ)さんね! 確か、隣に地味な……そう、雑草のようなお嬢様を連れていた……。名前は何でしたかしら。カエル? アヒル? ……そう、カイルさんね!」


「アヒルではない! カイルだ!」


「ごめんなさいね。私、自分より美しくないものに関しては、脳の記憶容量を割かないことにしているの。私の脳細胞は、自分の美しさを分析するためにフル稼働しているんだもの。不純なデータはすぐにデリート(削除)されてしまうのよ」


ミントは優雅に立ち上がり、ジルコンに手鏡を持たせた。


「ジルコン、見て。今の私の『困り顔』。眉間の寄せ方が、まるで嵐の前の静けさを湛えた湖面のように神秘的だわ。……ねえ、カイルさん。貴方もそう思うでしょう?」


傍らで控えていたジルコンは、吹き出しそうになるのを必死に堪え、無表情を装ってカイルを見据えた。


「……カイル殿下。ミント様はご覧の通り、ご自身のこと以外には興味をお持ちではありません。これ以上の対話は無意味かと存じます」


「ジルコン! 貴様まで……! ミント、私は貴様を連れ戻しに来たのだ! 王都は今、貴様がいなくて混乱している! 温泉の権利を渡し、神妙に謝罪すれば、また私の側に置いてやっても……」


「……お断りよ、カイルさん」


ミントはカイルの言葉を遮り、冷ややかな、しかしどこか慈悲深い微笑みを向けた。


「貴方の側? そんな暗い場所に戻るなんて、私の肌に対する最大の侮辱だわ。今の私は、この温泉と、この自由と、そして自分への愛に包まれて、かつてないほど輝いているの。……貴方、自分の顔を鏡で見たことがある? 嫉妬と焦りで、毛穴が開ききっているわよ。そんな不健康な方の隣にいたら、私の美しさが伝染して、貴方を助けてしまうじゃない。それは私のポリシーに反するわ」


「な……っ!」


「さあ、用が済んだならお帰りなさい。次のパックの時間が迫っているの。……アンナ、お客様に、お土産として私の肖像画を一枚差し上げて。せめて王都に帰る道中、本物の美しさを拝んで、その荒んだ心を清めるといいわ」


「はい、お嬢様!」


アンナが差し出したのは、ミントが自惚れ全開で描かせた、眩しすぎる肖像画だった。


カイルは受け取った肖像画を握りしめ、言葉を失ったまま立ち尽くした。


自分を愛しすぎて他人の存在すら忘却の彼方へ追いやったミントの前に、王子の権威など、ただの空虚な響きでしかなかった。
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