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馬車に揺られること数日。
パルメの視界に飛び込んできたのは、見渡す限りの緑と、のどかな羊の群れだった。
「……着いた。ついに着きましたわ! ここが私の終の棲家、ド・ラ・メール領!」
パルメは馬車の窓から身を乗り出し、大きく息を吸い込んだ。
排気ガスならぬ、馬糞と草の匂い。王都の権謀術数にまみれた空気とは大違いである。
「お嬢様、落ち着いてください。身を乗り出すなんて危ないですよ」
唯一、パルメに同行を志願した若手メイドのアンナが、呆れたように袖を引く。
「アンナ、あなたには分からないの!? この空気! この静けさ! ここには『公務』も『夜会』も『王子の愚痴』も存在しないのよ!」
「それはそうですけど……。でも、ここって王都から一番遠い、いわゆる『何もない田舎』ですよ?」
「それがいいんじゃない! 何もないということは、何もしなくていいということなの!」
馬車が古びた領主館の前に止まる。
そこには、パルメの到着を待ち構えていた領地の使用人たちが、今にも泣き出しそうな顔で並んでいた。
「パルメ様……! お可哀想に……。まさか、あんな理不尽な理由で追放されるなんて……」
代表して前に出た老執事のバルトが、ハンカチで目元を拭っている。
「バルト、久しぶりね! 元気そうで何よりだわ」
「パルメ様、その……無理に笑わなくてもよろしいのですよ。我々領民は、皆お嬢様の味方です。王子の横暴、断じて許せません!」
「王子の横暴? ああ、あの婚約破棄のこと? 気にしないで、あれは私のキャリアアップのための円満退社だから」
パルメはバルトの肩をポンと叩くと、軽快な足取りで屋敷の中へ入っていった。
「さあ! まずは案内してちょうだい! 私の『昼寝専用ルーム』はどこかしら?」
「ひ、昼寝……? パルメ様、ショックのあまり現実逃避を……」
使用人たちの間に、静かな絶望が広がった。
「いいえ、パルメ様は戦っておられるのです! あんなに明るく振る舞って、私たちの前で弱音を吐かないなんて……。なんて気高い方なんだ!」
「パルメ様をお守りしろ! 今日からお嬢様の好きなものを毎日作るんだ!」
勝手に盛り上がる使用人たちの声を背に、パルメは広々とした寝室にたどり着いた。
「あら、素敵じゃない。天蓋付きベッドが少し軋むけど、それがまたビンテージ感があっていいわね」
パルメは、まだ日中だというのに、躊躇なくドレスの背中の紐を緩め始めた。
「お嬢様!? 何をしているんですか!」
アンナが慌ててパジャマ……ではなく、パルメが事前に用意させていた「リラックス用ゆるゆるワンピース」を取り出す。
「決まっているじゃない。ここに来るまでの馬車の疲れを癒すために、これから三日三晩、寝倒すのよ」
「三日三晩!? そんなに寝たら、別の世界へ行ってしまいますよ!」
「いいのよ。これまでの私は、王妃教育という名のブラック研修で、睡眠時間を削られ続けてきたんだから。これは正当な権利行使よ」
パルメは、ふかふかのベッドにダイブした。
「ああ……幸せ……。この布団の感触……。王宮の高級シルクよりも、この少し日に焼けたような匂いのするシーツの方が、ずっと落ち着くわ……」
「お嬢様、本気なんですね……」
「本気も本気よ。アンナ、これから私のことは『パルメ』ではなく『自由の翼を手に入れた女』と呼びなさい」
「却下します。パルメ様、晩御飯はどうされますか?」
「……枕元に、さっきの干し肉を置いておいて。お腹が空いたら、夢遊病のように食べるから……」
パルメの意識は、急速に深い眠りへと沈んでいった。
その寝顔は、かつて「氷の令嬢」と恐れられた悪役令嬢のものとは思えないほど、無防備で幸せそうだった。
一方、屋敷の外では、バルトが深刻な顔で村の有力者たちを集めていた。
「皆の者、聞け。パルメ様は……完全に心を閉ざしてしまわれた。一日中、眠り続けることで、現実の苦しみから逃れようとしておられる」
「なんてことだ……。あのパルメ様が、食事も喉を通らないほど(※実際は干し肉を食べている)に……」
「我々にできることは、パルメ様がいつか心を開けるよう、この領地を最高に平和で、豊かな場所にすることだ!」
「「「「おおおー!!」」」」
パルメの「自堕落な隠居生活」は、なぜか領民たちの団結力を爆発させる結果となった。
当の本人は、夢の中で大きなステーキを追いかけているだけだったのだが。
「むにゃ……。追い剥ぎ……じゃなくて、追いソース……忘れないで……」
パルメの平和な戦いは、まだ始まったばかりである。
パルメの視界に飛び込んできたのは、見渡す限りの緑と、のどかな羊の群れだった。
「……着いた。ついに着きましたわ! ここが私の終の棲家、ド・ラ・メール領!」
パルメは馬車の窓から身を乗り出し、大きく息を吸い込んだ。
排気ガスならぬ、馬糞と草の匂い。王都の権謀術数にまみれた空気とは大違いである。
「お嬢様、落ち着いてください。身を乗り出すなんて危ないですよ」
唯一、パルメに同行を志願した若手メイドのアンナが、呆れたように袖を引く。
「アンナ、あなたには分からないの!? この空気! この静けさ! ここには『公務』も『夜会』も『王子の愚痴』も存在しないのよ!」
「それはそうですけど……。でも、ここって王都から一番遠い、いわゆる『何もない田舎』ですよ?」
「それがいいんじゃない! 何もないということは、何もしなくていいということなの!」
馬車が古びた領主館の前に止まる。
そこには、パルメの到着を待ち構えていた領地の使用人たちが、今にも泣き出しそうな顔で並んでいた。
「パルメ様……! お可哀想に……。まさか、あんな理不尽な理由で追放されるなんて……」
代表して前に出た老執事のバルトが、ハンカチで目元を拭っている。
「バルト、久しぶりね! 元気そうで何よりだわ」
「パルメ様、その……無理に笑わなくてもよろしいのですよ。我々領民は、皆お嬢様の味方です。王子の横暴、断じて許せません!」
「王子の横暴? ああ、あの婚約破棄のこと? 気にしないで、あれは私のキャリアアップのための円満退社だから」
パルメはバルトの肩をポンと叩くと、軽快な足取りで屋敷の中へ入っていった。
「さあ! まずは案内してちょうだい! 私の『昼寝専用ルーム』はどこかしら?」
「ひ、昼寝……? パルメ様、ショックのあまり現実逃避を……」
使用人たちの間に、静かな絶望が広がった。
「いいえ、パルメ様は戦っておられるのです! あんなに明るく振る舞って、私たちの前で弱音を吐かないなんて……。なんて気高い方なんだ!」
「パルメ様をお守りしろ! 今日からお嬢様の好きなものを毎日作るんだ!」
勝手に盛り上がる使用人たちの声を背に、パルメは広々とした寝室にたどり着いた。
「あら、素敵じゃない。天蓋付きベッドが少し軋むけど、それがまたビンテージ感があっていいわね」
パルメは、まだ日中だというのに、躊躇なくドレスの背中の紐を緩め始めた。
「お嬢様!? 何をしているんですか!」
アンナが慌ててパジャマ……ではなく、パルメが事前に用意させていた「リラックス用ゆるゆるワンピース」を取り出す。
「決まっているじゃない。ここに来るまでの馬車の疲れを癒すために、これから三日三晩、寝倒すのよ」
「三日三晩!? そんなに寝たら、別の世界へ行ってしまいますよ!」
「いいのよ。これまでの私は、王妃教育という名のブラック研修で、睡眠時間を削られ続けてきたんだから。これは正当な権利行使よ」
パルメは、ふかふかのベッドにダイブした。
「ああ……幸せ……。この布団の感触……。王宮の高級シルクよりも、この少し日に焼けたような匂いのするシーツの方が、ずっと落ち着くわ……」
「お嬢様、本気なんですね……」
「本気も本気よ。アンナ、これから私のことは『パルメ』ではなく『自由の翼を手に入れた女』と呼びなさい」
「却下します。パルメ様、晩御飯はどうされますか?」
「……枕元に、さっきの干し肉を置いておいて。お腹が空いたら、夢遊病のように食べるから……」
パルメの意識は、急速に深い眠りへと沈んでいった。
その寝顔は、かつて「氷の令嬢」と恐れられた悪役令嬢のものとは思えないほど、無防備で幸せそうだった。
一方、屋敷の外では、バルトが深刻な顔で村の有力者たちを集めていた。
「皆の者、聞け。パルメ様は……完全に心を閉ざしてしまわれた。一日中、眠り続けることで、現実の苦しみから逃れようとしておられる」
「なんてことだ……。あのパルメ様が、食事も喉を通らないほど(※実際は干し肉を食べている)に……」
「我々にできることは、パルメ様がいつか心を開けるよう、この領地を最高に平和で、豊かな場所にすることだ!」
「「「「おおおー!!」」」」
パルメの「自堕落な隠居生活」は、なぜか領民たちの団結力を爆発させる結果となった。
当の本人は、夢の中で大きなステーキを追いかけているだけだったのだが。
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パルメの平和な戦いは、まだ始まったばかりである。
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