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「……閣下、お帰りなさいませ! ああ、なんというお姿に……!」
グランシエル公爵邸の門をくぐるなり、執事のセバスが悲鳴に近い声を上げた。
それもそのはずである。
一国の公爵とその客人が、泥と煤にまみれ、あちこちに草の種をつけた状態で、しかし顔だけは「戦勝国から帰還した英雄」のような晴れやかな笑みを浮かべて帰ってきたのだから。
「案ずるな、セバス。少々、自然と戯れすぎただけだ」
リュカが落ち着いた声で言うが、その背中には大きな薪の束と、大切そうに抱えられた「黄金茸」の入った籠がある。
「セバス、お風呂の準備を。それから……料理長を厨房に呼び出してくださるかしら? 至急、会議が必要ですわ」
イザバラは、顔についた泥を拭うことも忘れて、勝利の宣言をした。
彼女の頭の中は、すでに「黄金茸をいかにして最高の状態で保存し、かつ調理するか」というシミュレーションで埋め尽くされていた。
三十分後。
身綺麗になったイザバラは、戦場(厨房)へと降り立った。
そこには、先日彼女にオムレツの件でやり込められた料理長が、複雑な表情で待ち構えていた。
テーブルの上には、あの黄金色に輝く茸が、まるで宝飾品のように鎮座している。
「料理長。貴方、この茸をどう調理するつもりですの?」
「……。恐らくは、最高級のコンソメでさっと煮出し、その香りを移したスープにするのが、伝統的な礼儀かと」
料理長が、教科書通りの答えを返す。
しかしイザバラは、ふっと鼻で笑った。
「失格ですわ。やり直しなさい」
「な……! これ以上の贅沢な扱いがあるとお思いか!」
「ありますわよ。この黄金茸の真髄は、その『油脂との驚異的な親和性』にあります。スープにして薄めてしまうなど、宝石を川に投げ捨てるようなものですわ。……これは、リゾットにするべきですの」
イザバラは、自ら腕を捲り上げた。
「リゾット……。しかし、それでは米が茸の香りを吸いすぎて、茸自体の存在感が薄れるのでは?」
「逆ですわ。米が茸の旨みを吸い込み、茸が米のデンプンを纏うことで、口の中で『森の爆発』が起きるのです。いいですか、よく見ていなさい。まずは、公爵家秘蔵の熟成生ハムの脂身を細かく刻みますのよ」
イザバラの指揮のもと、厨房が再び熱を帯びる。
彼女はまず、生ハムの脂で微塵切りのエシャロットをじっくりと炒め、そこに最高級のイタリア産米を投入した。
米の表面が透明になり、熱を帯びたところで、手早く黄金茸のスライスを加える。
「ここで、昨日私たちが遭難した場所の近くで汲んできた、あの清流の水をベースにした鶏出汁を加えますわ。一気にではなく、米が喉を鳴らして欲しがる分だけ、少しずつ……」
イザバラの目は、もはや愛する人を見つめる乙女のそれだった。
木べらで優しく、しかし確実にかき混ぜる。
茸から染み出した黄金色のエキスが、真っ白な米を次第に琥珀色へと染めていく。
「仕上げは、冷えた無塩バターと、すりおろしたてのパルミジャーノ・レッジャーノ。そして……これですわ」
彼女が取り出したのは、リュカが「これだけは秘密にしておきたかった」と零していた、秘蔵の白トリュフオイルだった。
「……完成ですわ。名付けて『遭難の記憶、黄金の抱擁リゾット』。閣下、料理長、召し上がれ」
食堂に運ばれた一皿は、もはや料理というよりは芸術品だった。
一口食べた料理長は、その場に手をついて項垂れた。
「……負けました。私は、食材の『声』を聴く努力を怠っていたようです。この茸が、これほどまでにバターと米を愛していたとは……」
「あら、分かればよろしいのですわ。美食は対話ですもの。食材が何を望んでいるか、それを察するのが私たちの務めですわよ。……ねえ、閣下?」
リュカは、無言でリゾットを口に運んでいた。
彼の耳には、もはやイザバラの声すら届いていないようだった。
ただ、その幸福そうな表情が、何よりも雄弁にその味を物語っている。
「……イザバラ。私は、君という人間を、我が家の正式な『食の全権大使』に任命したい」
「全権大使? あら、素敵な響きですわね。では、まず最初に、あの地下セラーのワイン全種類のテイスティング・リスト作成から取り掛かってもよろしいかしら?」
「……好きにしろ。君になら、この屋敷のすべてを食い尽くされても本望だ」
二人が黄金色のリゾットに酔いしれているその頃――。
王宮の厨房では、悲劇が起きていた。
「おい、料理長! これはなんだ! なぜ、私の夕食に『茹でたタンポポの茎』が出ているんだ!」
ジュリアン王太子が、皿を叩いて激昂していた。
「も、申し訳ございません殿下! カトリーヌ様が、『殿下の肝臓を浄化するためには、この苦味こそが薬になる』と仰いまして……」
「苦い! 苦すぎる! 私は人間だぞ、羊ではないんだ! ……ああ、あの時、イザバラが言っていた『黄金茸』。あれなら、あれならきっと、私のこの乾いた心を癒してくれたはずなのに……!」
ジュリアンは、タンポポをフォークで突き刺しながら、天を仰いだ。
彼の瞳には、もはや王太子の威厳はなく、ただ「美味しいものが食べたい」という根源的な渇望だけが宿っていた。
だが、彼の目の前に現れるのは、微笑むカトリーヌと、次なる「健康メニュー(謎の緑色の粘体)」だけなのであった。
グランシエル公爵邸の門をくぐるなり、執事のセバスが悲鳴に近い声を上げた。
それもそのはずである。
一国の公爵とその客人が、泥と煤にまみれ、あちこちに草の種をつけた状態で、しかし顔だけは「戦勝国から帰還した英雄」のような晴れやかな笑みを浮かべて帰ってきたのだから。
「案ずるな、セバス。少々、自然と戯れすぎただけだ」
リュカが落ち着いた声で言うが、その背中には大きな薪の束と、大切そうに抱えられた「黄金茸」の入った籠がある。
「セバス、お風呂の準備を。それから……料理長を厨房に呼び出してくださるかしら? 至急、会議が必要ですわ」
イザバラは、顔についた泥を拭うことも忘れて、勝利の宣言をした。
彼女の頭の中は、すでに「黄金茸をいかにして最高の状態で保存し、かつ調理するか」というシミュレーションで埋め尽くされていた。
三十分後。
身綺麗になったイザバラは、戦場(厨房)へと降り立った。
そこには、先日彼女にオムレツの件でやり込められた料理長が、複雑な表情で待ち構えていた。
テーブルの上には、あの黄金色に輝く茸が、まるで宝飾品のように鎮座している。
「料理長。貴方、この茸をどう調理するつもりですの?」
「……。恐らくは、最高級のコンソメでさっと煮出し、その香りを移したスープにするのが、伝統的な礼儀かと」
料理長が、教科書通りの答えを返す。
しかしイザバラは、ふっと鼻で笑った。
「失格ですわ。やり直しなさい」
「な……! これ以上の贅沢な扱いがあるとお思いか!」
「ありますわよ。この黄金茸の真髄は、その『油脂との驚異的な親和性』にあります。スープにして薄めてしまうなど、宝石を川に投げ捨てるようなものですわ。……これは、リゾットにするべきですの」
イザバラは、自ら腕を捲り上げた。
「リゾット……。しかし、それでは米が茸の香りを吸いすぎて、茸自体の存在感が薄れるのでは?」
「逆ですわ。米が茸の旨みを吸い込み、茸が米のデンプンを纏うことで、口の中で『森の爆発』が起きるのです。いいですか、よく見ていなさい。まずは、公爵家秘蔵の熟成生ハムの脂身を細かく刻みますのよ」
イザバラの指揮のもと、厨房が再び熱を帯びる。
彼女はまず、生ハムの脂で微塵切りのエシャロットをじっくりと炒め、そこに最高級のイタリア産米を投入した。
米の表面が透明になり、熱を帯びたところで、手早く黄金茸のスライスを加える。
「ここで、昨日私たちが遭難した場所の近くで汲んできた、あの清流の水をベースにした鶏出汁を加えますわ。一気にではなく、米が喉を鳴らして欲しがる分だけ、少しずつ……」
イザバラの目は、もはや愛する人を見つめる乙女のそれだった。
木べらで優しく、しかし確実にかき混ぜる。
茸から染み出した黄金色のエキスが、真っ白な米を次第に琥珀色へと染めていく。
「仕上げは、冷えた無塩バターと、すりおろしたてのパルミジャーノ・レッジャーノ。そして……これですわ」
彼女が取り出したのは、リュカが「これだけは秘密にしておきたかった」と零していた、秘蔵の白トリュフオイルだった。
「……完成ですわ。名付けて『遭難の記憶、黄金の抱擁リゾット』。閣下、料理長、召し上がれ」
食堂に運ばれた一皿は、もはや料理というよりは芸術品だった。
一口食べた料理長は、その場に手をついて項垂れた。
「……負けました。私は、食材の『声』を聴く努力を怠っていたようです。この茸が、これほどまでにバターと米を愛していたとは……」
「あら、分かればよろしいのですわ。美食は対話ですもの。食材が何を望んでいるか、それを察するのが私たちの務めですわよ。……ねえ、閣下?」
リュカは、無言でリゾットを口に運んでいた。
彼の耳には、もはやイザバラの声すら届いていないようだった。
ただ、その幸福そうな表情が、何よりも雄弁にその味を物語っている。
「……イザバラ。私は、君という人間を、我が家の正式な『食の全権大使』に任命したい」
「全権大使? あら、素敵な響きですわね。では、まず最初に、あの地下セラーのワイン全種類のテイスティング・リスト作成から取り掛かってもよろしいかしら?」
「……好きにしろ。君になら、この屋敷のすべてを食い尽くされても本望だ」
二人が黄金色のリゾットに酔いしれているその頃――。
王宮の厨房では、悲劇が起きていた。
「おい、料理長! これはなんだ! なぜ、私の夕食に『茹でたタンポポの茎』が出ているんだ!」
ジュリアン王太子が、皿を叩いて激昂していた。
「も、申し訳ございません殿下! カトリーヌ様が、『殿下の肝臓を浄化するためには、この苦味こそが薬になる』と仰いまして……」
「苦い! 苦すぎる! 私は人間だぞ、羊ではないんだ! ……ああ、あの時、イザバラが言っていた『黄金茸』。あれなら、あれならきっと、私のこの乾いた心を癒してくれたはずなのに……!」
ジュリアンは、タンポポをフォークで突き刺しながら、天を仰いだ。
彼の瞳には、もはや王太子の威厳はなく、ただ「美味しいものが食べたい」という根源的な渇望だけが宿っていた。
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