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「……なんだ、これは」
翌朝。王宮の朝食会は、かつてない不穏な空気に包まれていた。
食卓の中央に座るジュリアン王太子は、目の前の皿を、まるで見知らぬ魔獣の亡骸でも見るかのような目で見つめていた。
そこにあるのは、申し訳程度に添えられた数粒のナッツと、色が薄すぎて底が丸見えの「ハーブティー」という名の白湯である。
「殿下、おはようございます! 今朝は特に宇宙のエネルギーが強いですから、この『浄化の種子』をよく噛んで召し上がってくださいな」
カトリーヌが、聖女のような微笑みを浮かべて隣に座る。
だが、昨夜の「背徳のサンドイッチ」によって胃袋の魂を呼び覚まされたジュリアンにとって、その声はもはや救済の鐘ではなく、断罪の響きにしか聞こえなかった。
「カトリーヌ……。私は宇宙のエネルギーではなく、鶏の卵のエネルギーを欲しているのだが」
「あら、殿下ったら。卵は命の結晶。それを頂くなんて、貴方の清らかな魂が汚れてしまいますわ」
「黙れッ!!」
ジュリアンが突然、テーブルを激しく叩いた。
並べられた「浄化の種子」が皿の上で飛び跳ね、カトリーヌの喉がヒッと鳴った。
「私は! 卵を! バターで! 焼いて食べたいと言っているんだ! ベルナール! そこにいるんだろう、ベルナール!」
影に控えていた料理長ベルナールが、待ってましたと言わんばかりに飛び出してきた。
「はっ、ここに! 殿下、本日のおすすめは、三種のチーズを練り込んだ『欲望のとろとろオムレツ』、厚切りベーコンのソテーを添えて、でございます!」
「それだ! 今すぐ持ってこい! あと、パンを焼け! 小麦の香りが厨房の外まで漏れ出すほどに、徹底的に焼き上げろ!」
「承知いたしましたぁ!」
ベルナールは、かつてない軽やかな足取りで厨房へと走り去った。
「で、殿下!? 正気ですか!? あんな毒のような食事を摂れば、貴方の美しさは……!」
「カトリーヌ、君の言う『美しさ』とは、飢え死に寸前の幽霊のような姿のことか? 私は気づいたのだ。昨夜、イザバラが私に教えてくれた。人間は、脂と塩がなければ、人を愛する余裕さえ失うのだと!」
ジュリアンは、今や別人のように瞳を爛々と輝かせている。
彼の中で、昨日までの「健康志向」という名の洗脳が、バターの芳香によって完全に焼き払われていた。
「そ、そんな……。イザバラ様、またあの方なのですか!? あの方はもう悪役令嬢として追放されたはずですのに、なぜ……っ!」
カトリーヌはハンカチを噛み締め、怒りに震えた。
彼女の「食事による王太子管理計画」は、イザバラという一人の美食家によって、木っ端微塵に粉砕されようとしていた。
一方その頃、グランシエル公爵邸のテラス。
「……ふふ。今頃、王宮では素晴らしいオムレツの祭典が始まっているはずですわ」
イザバラは、朝露に濡れる庭園を眺めながら、上品にスコーンを口に運んでいた。
彼女の表情は、一仕事終えた職人のように清々しい。
「君という人間は、毒を盛るよりも残酷な方法で、あの王太子を籠絡したな。……胃袋を掴むというのは、死に直結する快楽だ」
対面に座るリュカが、苦笑しながらコーヒーを啜った。
「あら、閣下。私はただ、迷える子羊に『真実の牧草』を教えただけですわ。……さて、王宮の騒動はベルナール様に任せるとして、私たちは次のステップへ進みましょう」
「次のステップ?」
「ええ。殿下が『正気』に戻ったということは、次にあの方は必ず、私の元へ『謝罪と復縁』を求めてやってきますわ。……あの脂の乗った顔を、私はもう一度拝むつもりはありません」
イザバラは、スコーンにたっぷりのクロテッドクリームと自家製ベリージャムを塗りたくった。
「ですから閣下、殿下が来られる前に、私はこの世で最も『甘美な拒絶』を用意したいのです。……最高に贅沢で、最高に美しく、そして食べ終えた瞬間に私のことを一生忘れられなくなるような、魔性のデザートを」
「魔性のデザート、か。……また私の厨房が火の海になりそうだな」
「オホホホ! 今回は炎ではなく、冷たい魔法を使いますわ。閣下、お屋敷の氷室に、冬の間に貯めておいた最高純度の氷はありますかしら?」
イザバラの瞳に、新たな創作への意欲が宿る。
彼女にとって、恋愛の駆け引きも、政敵の排除も、すべては「最高のメニュー」を構成するための一つのスパイスに過ぎない。
「いいだろう。氷でも何でも提供しよう。その代わり、イザバラ。そのデザートの最初の試食権は、私にある。……忘れるなよ?」
リュカが、少しだけ真剣な眼差しで彼女を見つめる。
「もちろんですわ、閣下。貴方は私の大切な『メインパトロン』ですもの。殿下には、その食べ残しの香りすら嗅がせないつもりですわ」
二人の美食家が不敵に笑い合う中、ベルシュマン公爵領から届いたばかりの完熟桃が、太陽の光を浴びて艶やかに輝いていた。
王宮の混乱を他所に、イザバラの「美食による世界征服」は、より甘く、より冷徹に加速していく。
翌朝。王宮の朝食会は、かつてない不穏な空気に包まれていた。
食卓の中央に座るジュリアン王太子は、目の前の皿を、まるで見知らぬ魔獣の亡骸でも見るかのような目で見つめていた。
そこにあるのは、申し訳程度に添えられた数粒のナッツと、色が薄すぎて底が丸見えの「ハーブティー」という名の白湯である。
「殿下、おはようございます! 今朝は特に宇宙のエネルギーが強いですから、この『浄化の種子』をよく噛んで召し上がってくださいな」
カトリーヌが、聖女のような微笑みを浮かべて隣に座る。
だが、昨夜の「背徳のサンドイッチ」によって胃袋の魂を呼び覚まされたジュリアンにとって、その声はもはや救済の鐘ではなく、断罪の響きにしか聞こえなかった。
「カトリーヌ……。私は宇宙のエネルギーではなく、鶏の卵のエネルギーを欲しているのだが」
「あら、殿下ったら。卵は命の結晶。それを頂くなんて、貴方の清らかな魂が汚れてしまいますわ」
「黙れッ!!」
ジュリアンが突然、テーブルを激しく叩いた。
並べられた「浄化の種子」が皿の上で飛び跳ね、カトリーヌの喉がヒッと鳴った。
「私は! 卵を! バターで! 焼いて食べたいと言っているんだ! ベルナール! そこにいるんだろう、ベルナール!」
影に控えていた料理長ベルナールが、待ってましたと言わんばかりに飛び出してきた。
「はっ、ここに! 殿下、本日のおすすめは、三種のチーズを練り込んだ『欲望のとろとろオムレツ』、厚切りベーコンのソテーを添えて、でございます!」
「それだ! 今すぐ持ってこい! あと、パンを焼け! 小麦の香りが厨房の外まで漏れ出すほどに、徹底的に焼き上げろ!」
「承知いたしましたぁ!」
ベルナールは、かつてない軽やかな足取りで厨房へと走り去った。
「で、殿下!? 正気ですか!? あんな毒のような食事を摂れば、貴方の美しさは……!」
「カトリーヌ、君の言う『美しさ』とは、飢え死に寸前の幽霊のような姿のことか? 私は気づいたのだ。昨夜、イザバラが私に教えてくれた。人間は、脂と塩がなければ、人を愛する余裕さえ失うのだと!」
ジュリアンは、今や別人のように瞳を爛々と輝かせている。
彼の中で、昨日までの「健康志向」という名の洗脳が、バターの芳香によって完全に焼き払われていた。
「そ、そんな……。イザバラ様、またあの方なのですか!? あの方はもう悪役令嬢として追放されたはずですのに、なぜ……っ!」
カトリーヌはハンカチを噛み締め、怒りに震えた。
彼女の「食事による王太子管理計画」は、イザバラという一人の美食家によって、木っ端微塵に粉砕されようとしていた。
一方その頃、グランシエル公爵邸のテラス。
「……ふふ。今頃、王宮では素晴らしいオムレツの祭典が始まっているはずですわ」
イザバラは、朝露に濡れる庭園を眺めながら、上品にスコーンを口に運んでいた。
彼女の表情は、一仕事終えた職人のように清々しい。
「君という人間は、毒を盛るよりも残酷な方法で、あの王太子を籠絡したな。……胃袋を掴むというのは、死に直結する快楽だ」
対面に座るリュカが、苦笑しながらコーヒーを啜った。
「あら、閣下。私はただ、迷える子羊に『真実の牧草』を教えただけですわ。……さて、王宮の騒動はベルナール様に任せるとして、私たちは次のステップへ進みましょう」
「次のステップ?」
「ええ。殿下が『正気』に戻ったということは、次にあの方は必ず、私の元へ『謝罪と復縁』を求めてやってきますわ。……あの脂の乗った顔を、私はもう一度拝むつもりはありません」
イザバラは、スコーンにたっぷりのクロテッドクリームと自家製ベリージャムを塗りたくった。
「ですから閣下、殿下が来られる前に、私はこの世で最も『甘美な拒絶』を用意したいのです。……最高に贅沢で、最高に美しく、そして食べ終えた瞬間に私のことを一生忘れられなくなるような、魔性のデザートを」
「魔性のデザート、か。……また私の厨房が火の海になりそうだな」
「オホホホ! 今回は炎ではなく、冷たい魔法を使いますわ。閣下、お屋敷の氷室に、冬の間に貯めておいた最高純度の氷はありますかしら?」
イザバラの瞳に、新たな創作への意欲が宿る。
彼女にとって、恋愛の駆け引きも、政敵の排除も、すべては「最高のメニュー」を構成するための一つのスパイスに過ぎない。
「いいだろう。氷でも何でも提供しよう。その代わり、イザバラ。そのデザートの最初の試食権は、私にある。……忘れるなよ?」
リュカが、少しだけ真剣な眼差しで彼女を見つめる。
「もちろんですわ、閣下。貴方は私の大切な『メインパトロン』ですもの。殿下には、その食べ残しの香りすら嗅がせないつもりですわ」
二人の美食家が不敵に笑い合う中、ベルシュマン公爵領から届いたばかりの完熟桃が、太陽の光を浴びて艶やかに輝いていた。
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