婚約破棄されましたが、それよりシェフを呼んでください。

鏡おもち

文字の大きさ
12 / 28

12

しおりを挟む
「……冷気、足りていなくてよ! もっと、もっと魂まで凍りつくような純白の氷を、粉雪のように削り出しなさい!」

グランシエル公爵邸の地下、巨大な氷室。
そこは、真夏でも吐く息が白くなるほどの極寒の聖域である。

イザバラは、毛皮の襟巻きを首に巻き、手には特注の鋭利な氷削り器を握っていた。
彼女の目の前には、冬の間に北の最果てから運ばれてきた、水晶のように透き通った巨大な氷の塊が鎮座している。

「イザバラ、あまり根を詰めすぎるな。氷を削るために令嬢が血管を浮き上がらせるなど、社交界の重鎮が見たら卒倒するぞ」

少し離れた場所で、リュカが厚手のコートを着て見守っていた。
彼は彼女の「新作デザート」のために、領地で最も腕の良い氷細工師まで手配したが、イザバラは「私のイメージする『雪の口溶け』は、私自身の手でしか生み出せませんわ!」と、職人から道具をひったくったのである。

「閣下、これは戦いですの。殿下が……あの脂に目覚めたばかりの浅ましい男が、私の元へ駆け込んでくるまで、残りわずか。その前に、この桃を『氷の女王』へと昇華させねばなりませんわ」

イザバラは、美しく完熟したベルシュマン産の桃を取り出した。
指で触れれば皮が弾けそうなほどに瑞々しく、芳醇な香りは冷たい空気の中でも力強く主張している。

「この桃を軽くコンポートにし、その中心をくり抜いて、中に最高級のヴァニラ・ビーンズを練り込んだ冷製クリームを詰め込みます。そして……」

シャリッ、シャリッ、と心地よい音が響く。
イザバラが削り出した氷は、もはや氷の粒ではなく、天から舞い降りたばかりの粉雪のように細かく、儚い。

「この『雪』に、桃のエッセンスとシャンパンを混ぜたシロップを回しかけ、その上に桃の女王を鎮座させる……。名付けて『麗しの氷桃(グラッセ・ペーシュ)・サヨナラを添えて』ですわ!」

「……名前の後半に、どす黒い執念を感じるが。味の想像がつかないな」

リュカが歩み寄り、差し出された試作品の欠片を口にした。

「……っ!? これは……冷たいはずなのに、口に入れた瞬間に桃の香りが熱帯の風のように吹き抜ける……。そしてこの氷、舌の上で抵抗することなく消えていくな。残るのは、クリームの濃厚なコクと、桃の鮮烈な酸味だけだ」

「でしょう? これこそが、私の『拒絶』ですわ。あまりにも甘美で、あまりにも冷たく、二度と手に入らない幻。殿下には、この一口で絶望していただきますの」

その時、氷室の入り口に、慌てふためいたセバスが駆け込んできた。

「閣下、イザバラ様! 表門に……表門に、ジュリアン殿下が! 『イザバラに会わせてくれ! 頼む、あのアブラを……いや、彼女に謝らなければならないんだ!』と叫んで、衛兵をなぎ倒さんばかりの勢いでございます!」

イザバラは、氷削り器をゆっくりと置いた。
彼女の口元に、悪役令嬢特有の、美しくも恐ろしい微笑が浮かぶ。

「……来ましたわね。予定より三十分早いですわ。殿下、よほどお腹が空いていたのかしら」

「どうする、イザバラ。追い返すか?」

リュカが剣の柄に手をかける。だが、イザバラは扇をパッと広げてそれを制した。

「いいえ閣下。お通しなさい。……ただし、応接間ではなく、この極寒の氷室へ」

「……ここでか?」

「ええ。殿下の熱すぎる『食欲』という名の煩悩を、ここで冷やして差し上げますわ。セバス、殿下をこちらへ。……ああ、その前に、特製の『桃の王冠』を仕上げなくては!」

数分後。
ガチガチと歯の根が合わないほど震えながら、ジュリアン王太子が氷室へと足を踏み入れた。
彼は昨夜の暴食(?)のせいで、少し顔色が良くなっていたが、今の急激な冷気で再び紫色の唇になっている。

「イ、イザバラ……! ここにいたのか。あいたかった……ひ、酷いところだな、ここは。早く暖かい場所へ……」

「殿下、ご機嫌麗しゅう。追放された身ゆえ、このような氷の穴ぐらがお似合いなのですわ」

イザバラは、氷の玉座のような椅子に優雅に腰掛けていた。
その前には、銀の台座に乗せられた、息を呑むほど美しい「桃のデザート」が置かれている。

「そ、れは……」

ジュリアンの目が、獲物を狙う獣のように光った。
彼の鼻は、極寒の中でもそのデザートが放つ「魔性の香り」を正確に嗅ぎ取っていた。

「殿下。貴方は仰いましたわね。『愛などは胃袋を満たさない』と。……その通りですわ。ですから、私は貴方の胃袋を、この最高の一口で『永遠に』満たして差し上げますの」

イザバラは、スプーンで桃の端をそっと掬い、ジュリアンの口元へと運んだ。

「さあ、召し上がれ。これが、私からの最後の献立(メニュー)ですわ」

ジュリアンは、吸い寄せられるようにその一口を飲み込んだ。

「…………ッ!!」

一瞬。
王太子の瞳から、全ての光が消えた。
あまりの美味しさと、脳を突き抜けるような冷徹なまでの完成度。
彼は今、自分が何を失ったのかを、味覚を通じて完璧に理解させられたのだ。

「う……うまい……。なんだこれは、天国の味がする……。だが、なぜだ。なぜ、こんなに悲しい味がするんだ、イザバラ……!」

「それは、殿下。貴方が二度と、私の作るソースも、私の選ぶ肉も、私の削る氷も……口にすることができないからですわ」

イザバラは、冷たく微笑んだ。

「さあ、殿下。お帰りにあそばせ。王宮には、カトリーヌ様の『聖なるハーブティー』が待っておりますわよ。……あ、そうそう。もう二度と、私の名前を呼びながらナプキンを噛まないでくださいましね。汚らわしいですわ。オホホホホ!」

氷室に、イザバラの高笑いが響き渡る。
ジュリアンは、その場に膝をつき、最後の一口の余韻の中で、絶望の淵へと叩き落とされた。

彼の隣で、リュカが静かに勝利の美酒を……もとい、冷えたシャンパンを口にする。

美食による復讐。
それは、どんな剣よりも鋭く、どんな毒よりも深く、王太子の心に消えない傷跡(美味の記憶)を残したのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~

あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。 「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?

彼女が高級娼婦と呼ばれる理由~元悪役令嬢の戦慄の日々~

プラネットプラント
恋愛
婚約者である王子の恋人をいじめたと婚約破棄され、実家から縁を切られたライラは娼館で暮らすことになる。だが、訪れる人々のせいでライラは怯えていた。 ※完結済。

王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!

ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」 卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。 なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。

『お前の顔は見飽きた!』内心ガッツポーズで辺境へ

夏乃みのり
恋愛
「リーナ・フォン・アトラス! 貴様との婚約を破棄する!」 華やかな王宮の夜会で、第一王子ジュリアンに突きつけられた非情な宣告。冤罪を被せられ、冷酷な悪役令嬢として追放を言い渡されたリーナだったが、彼女の内心は……「やったーーー! これでやっとトレーニングに専念できるわ!」と歓喜に震えていた!

婚約破棄された王太子妃候補は第一王子に気に入られたようです。

永野水貴
恋愛
侯爵令嬢エヴェリーナは未来の王太子妃として育てられたが、突然に婚約破棄された。 王太子は真に愛する女性と結婚したいというのだった。 その女性はエヴェリーナとは正反対で、エヴェリーナは影で貶められるようになる。 そんなある日、王太子の兄といわれる第一王子ジルベルトが現れる。 ジルベルトは王太子を上回る素質を持つと噂される人物で、なぜかエヴェリーナに興味を示し…? ※「小説家になろう」にも載せています

『処刑されるたびに12歳に戻る悪役令嬢、7回目の人生は「何もせず寝て過ごす」ことに決めたら、なぜか周囲が勝手に勘違いして聖女扱いされています

六角
恋愛
公爵令嬢リリアーナは、18歳の誕生日に必ず断罪・処刑されては12歳に戻るという地獄のループを6回も繰り返していた。 真面目に努力しても、剣を極めても、裏社会を支配しても、結局は殺される運命。 心折れた彼女は、7回目の人生でついに決意する。 「もう頑張らない。どうせ死ぬなら、今回はひたすら寝て過ごそう」と。 しかし、安眠を求めて「うるさい」と敵を黙らせれば『王者の覇気』と恐れられ、寝ぼけて放った魔法は『神の奇跡』と崇められ、枕への異常なこだわりは『深遠なる儀式』と誤解されてしまう。 気がつけば、ストーカー気味のヤンデレ王子、パン屋の元ヒロイン、狂犬の如きライバル令嬢、元部下の暗殺者、そして不眠症の魔王までもが彼女の信者となり、リリアーナは意図せずして国を、そして世界を救う「最強の聖女」へと祭り上げられていく。 「お願いだから、私を寝かせて!」 睡眠欲だけで運命(システム)さえもねじ伏せる、無気力悪役令嬢の痛快勘違いサクセス(?)ストーリー!

【完結】悪役令嬢は断罪後、物語の外で微笑む

あめとおと
恋愛
断罪され、国外追放となった悪役令嬢エレノア。 けれど彼女は、泣かなかった。 すべてを失ったはずのその瞬間、彼女を迎えに来たのは、 隣国最大商会の会頭であり、“共犯者”の青年だった。 これは、物語の舞台を降りた悪役令嬢が、 自由と恋、そして本当の幸せを手に入れるまでの、 ざまぁと甘さを少しだけ含んだショートショート。

王子好きすぎ拗らせ転生悪役令嬢は、王子の溺愛に気づかない

エヌ
恋愛
私の前世の記憶によると、どうやら私は悪役令嬢ポジションにいるらしい 最後はもしかしたら全財産を失ってどこかに飛ばされるかもしれない。 でも大好きな王子には、幸せになってほしいと思う。

処理中です...