婚約破棄されましたが、それよりシェフを呼んでください。

鏡おもち

文字の大きさ
13 / 28

13

しおりを挟む
王宮の正門を、一人の男が魂の抜けた足取りで潜っていった。

かつては「王国の若き太陽」と称えられた王太子ジュリアン。しかし現在の彼は、太陽というよりは、一週間ほど放置されて萎びたレタスのような哀愁を漂わせている。

「……桃。あの、氷の刃のように冷たく、しかし聖母の抱擁のように甘い桃……」

ジュリアンの口からは、うわ言のように同じ言葉が繰り返されていた。
氷室で味わったイザバラの「絶望のデザート」。
その味の記憶は、彼の味覚中枢に深々と刻み込まれ、もはや他のいかなる食物も受け付けない体へと作り変えてしまっていた。

「殿下! ああ、殿下! どこへ行かれていたのですか!」

廊下の向こうから、カトリーヌがフリルの付いたエプロン姿で駆け寄ってきた。
彼女の手には、今日も今日とて「健康に良さそうな色」をしていない何かが入った木椀が握られている。

「カトリーヌ……。私は、私はもうダメだ。あの桃を食べてからというもの、私の胃袋が、この世の全ての食材に対して『偽物だ』と叫んでいるんだ」

「何を仰っているのですか、殿下! それはきっと、あの邪悪な令嬢が食べ物に呪いをかけたに違いありませんわ。さあ、こちらを召し上がって。特製の『魂を浄化する根菜のどぶ煮』です。今日は特別に、森で見つけた苦い苔もトッピングしておきましたわ!」

ジュリアンは、その「どぶ煮」を虚ろな目で見つめた。
以前なら、カトリーヌの笑顔のために無理をして飲み込んでいたかもしれない。
しかし、今の彼には、その茶色の液体が「単なる泥水」にしか見えなかった。

「……いらん」

「え?」

「いらんと言っているんだ! 誰が好んで苔など食うか! 私は、私は人間だ! 土を食らうミミズではないんだぁぁぁ!」

ジュリアンの咆哮が廊下に響き渡り、カトリーヌの手から木椀が滑り落ちた。
床に広がった茶色の液体から、何とも言えない「湿った土」の匂いが立ち上る。

「で、殿下……? 私に向かって、そんな……」

「ベルナール! ベルナールはどこだ! あいつに伝えろ、今すぐ肉を焼けと! バターの川に溺れたような、ギトギトの肉を持ってこい! さもなければ私は今すぐこの王宮の柱をかじり始めるぞ!」

狂乱する王太子を前に、カトリーヌは震えながらも、その瞳の奥にどす黒い炎を宿した。

「……イザバラ様。貴女、そこまでして殿下を……。よろしいですわ。そこまで料理で勝負したいというのなら、私にだって考えがありますわよ!」

一方その頃、グランシエル公爵邸の最上階。
イザバラは、リュカと共に「祝杯」を上げていた。

「……閣下、このシャンパン、少し温度が高いわね。あと二度下げて。気泡の立ち上がりが、私の気まぐれな心についてこれていないわ」

「君の気まぐれに付き合わされる泡の身にもなってみろ」

リュカは呆れながらも、氷水を入れたクーラーを微調整した。
イザバラは、冷えたグラスを揺らしながら、窓の外に広がる王都の夜景を見下ろす。

「殿下のあの顔、見ましたこと? 最高に滑稽でしたわ。絶品を一口だけ与えられ、残りを永遠に奪われる屈辱。これこそが、食への愛を忘れた男に相応しい断罪ですわね」

「全くだ。……だがイザバラ、殿下が立ち直れないほど絶望したことで、王宮内では妙な動きがあるようだ。カトリーヌ嬢が、王立美食ギルドの重鎮たちを味方につけようとしている」

「美食ギルド? あの方たち、伝統という名のアスファルトで固められたような、保守的な老人たちの集まりではありませんこと?」

イザバラは、興味なさそうにフォアグラのムースをクラッカーに乗せた。

「ああ。だが、彼女はそこに『健康長寿』という甘い餌を撒いた。老い先短い重鎮たちにとって、美味いものよりも『死なない食事』は魅力的なのだろう。……近々、王宮で『真実の食を問う大博覧会』が開催されるらしい」

「博覧会? オホホホ! それは面白いですわ。不味い健康食を並べて、老いぼれたちを慰める会ですのね」

「いや。……その博覧会の最後には、王宮専属料理人の座を賭けた『御前試合(コンテスト)』が行われる。カトリーヌは、君をそこへ引きずり出すつもりらしいぞ。君がリュカ公爵家の名前を汚していると触れ回ってな」

イザバラの手が、ピタリと止まった。
彼女はゆっくりと顔を上げ、冷徹な微笑をリュカに向けた。

「……私の名前を汚す? いいえ、それは許せますわ。ですが、私の『美食』を不味い泥茶の踏み台にしようというのなら、それは万死に値しますわね」

イザバラは立ち上がり、ドレスの裾を翻した。

「閣下。私、その博覧会に参加いたしますわ。カトリーヌ様が推奨する『健康食』とやらが、いかに人間の食欲を冒涜しているか……その舌に直接叩き込んで差し上げますわ!」

「……そう来ると思ったよ。準備は、私の権力と財力で全て整えておこう」

「助かりますわ。……さあ、まずはコンテストのメニューを練らなくては。健康と美味しさの両立? そんな生温いことはいたしません。私は『食べれば食べるほど命が燃え上がるような、禁断の薬膳』をお見せしますわよ!」

イザバラの瞳は、獲物を狙う大鷲のように鋭く輝いた。
彼女の戦いは、単なる復讐を超え、今や「世界の味覚の正義」を守るための聖戦へと変貌しようとしていた。

その頃、カトリーヌは怪しげな薬師の元を訪れていた。

「……いいわ。どんなに苦くても、どんなに不味くても構わない。それを食べた瞬間に、脳が麻痺して『美味しい』と錯覚するような、究極の野草を寄越しなさい!」

悪役令嬢と偽聖女。
二人の女の「食」を巡る意地とプライドが、王都全土を巻き込む大騒動へと発展していく。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~

あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。 「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?

彼女が高級娼婦と呼ばれる理由~元悪役令嬢の戦慄の日々~

プラネットプラント
恋愛
婚約者である王子の恋人をいじめたと婚約破棄され、実家から縁を切られたライラは娼館で暮らすことになる。だが、訪れる人々のせいでライラは怯えていた。 ※完結済。

王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!

ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」 卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。 なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。

『お前の顔は見飽きた!』内心ガッツポーズで辺境へ

夏乃みのり
恋愛
「リーナ・フォン・アトラス! 貴様との婚約を破棄する!」 華やかな王宮の夜会で、第一王子ジュリアンに突きつけられた非情な宣告。冤罪を被せられ、冷酷な悪役令嬢として追放を言い渡されたリーナだったが、彼女の内心は……「やったーーー! これでやっとトレーニングに専念できるわ!」と歓喜に震えていた!

婚約破棄された王太子妃候補は第一王子に気に入られたようです。

永野水貴
恋愛
侯爵令嬢エヴェリーナは未来の王太子妃として育てられたが、突然に婚約破棄された。 王太子は真に愛する女性と結婚したいというのだった。 その女性はエヴェリーナとは正反対で、エヴェリーナは影で貶められるようになる。 そんなある日、王太子の兄といわれる第一王子ジルベルトが現れる。 ジルベルトは王太子を上回る素質を持つと噂される人物で、なぜかエヴェリーナに興味を示し…? ※「小説家になろう」にも載せています

『処刑されるたびに12歳に戻る悪役令嬢、7回目の人生は「何もせず寝て過ごす」ことに決めたら、なぜか周囲が勝手に勘違いして聖女扱いされています

六角
恋愛
公爵令嬢リリアーナは、18歳の誕生日に必ず断罪・処刑されては12歳に戻るという地獄のループを6回も繰り返していた。 真面目に努力しても、剣を極めても、裏社会を支配しても、結局は殺される運命。 心折れた彼女は、7回目の人生でついに決意する。 「もう頑張らない。どうせ死ぬなら、今回はひたすら寝て過ごそう」と。 しかし、安眠を求めて「うるさい」と敵を黙らせれば『王者の覇気』と恐れられ、寝ぼけて放った魔法は『神の奇跡』と崇められ、枕への異常なこだわりは『深遠なる儀式』と誤解されてしまう。 気がつけば、ストーカー気味のヤンデレ王子、パン屋の元ヒロイン、狂犬の如きライバル令嬢、元部下の暗殺者、そして不眠症の魔王までもが彼女の信者となり、リリアーナは意図せずして国を、そして世界を救う「最強の聖女」へと祭り上げられていく。 「お願いだから、私を寝かせて!」 睡眠欲だけで運命(システム)さえもねじ伏せる、無気力悪役令嬢の痛快勘違いサクセス(?)ストーリー!

【完結】悪役令嬢は断罪後、物語の外で微笑む

あめとおと
恋愛
断罪され、国外追放となった悪役令嬢エレノア。 けれど彼女は、泣かなかった。 すべてを失ったはずのその瞬間、彼女を迎えに来たのは、 隣国最大商会の会頭であり、“共犯者”の青年だった。 これは、物語の舞台を降りた悪役令嬢が、 自由と恋、そして本当の幸せを手に入れるまでの、 ざまぁと甘さを少しだけ含んだショートショート。

王子好きすぎ拗らせ転生悪役令嬢は、王子の溺愛に気づかない

エヌ
恋愛
私の前世の記憶によると、どうやら私は悪役令嬢ポジションにいるらしい 最後はもしかしたら全財産を失ってどこかに飛ばされるかもしれない。 でも大好きな王子には、幸せになってほしいと思う。

処理中です...