婚約破棄されましたが、それよりシェフを呼んでください。

鏡おもち

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王都の広場に特設された巨大な舞台は、熱気……ではなく、どこか寒々しい静寂に包まれていた。

「真実の食を問う大博覧会」の開幕である。
審査員席に座るのは、美食ギルドの重鎮たち。かつては王国の味覚を支配した老人たちだが、今はカトリーヌが差し出す「聖なる水」のせいで、瞳からは生気が消え失せ、干からびた木材のような顔で座っている。

中央に座るジュリアン王太子に至っては、もはや座っているのがやっとという有様だ。

「……あ、あ。空が……青いな。……お腹が、空いたという感覚さえ、思い出せない……」

「殿下、それは貴方の魂が極限まで浄化された証拠ですわ。さあ、本日のメインイベント……私と、あのアブラまみれの令嬢との決着をつけましょう」

カトリーヌが、勝ち誇った笑みで舞台の端に立った。
彼女のテーブルには、青白く光る「聖なる沈黙草」のポタージュが並んでいる。

その時、会場の入り口から、地響きのような堂々たる足音が響いた。

「オホホホ! 皆様、随分と景気の悪い顔をしていらっしゃいますわね! まるで、一ヶ月間も塩抜きの刑に処された罪人のようですわ!」

真紅のドレスに身を包んだイザバラが、背後にリュカ公爵を従えて現れた。
彼女が歩くたびに、ドレスの裾から……いや、彼女が抱えた大きな鍋から、暴力的なまでの「熱」と「香り」が会場全体に広がっていく。

「イザバラ……! 貴女、まだそんな下俗な匂いを撒き散らして……。見てください、審査員の方々は私の『清らかな食事』ですでに心を満たしていらっしゃるのですよ」

カトリーヌが手招きすると、審査員の老人が一人、ふらふらと立ち上がり、彼女の青いポタージュを口にした。

「……おお。……何も、感じぬ。……苦みも、甘みも、悩みも……。ただ、静かな虚無が、胃袋を満たしていく……。これぞ、究極の……健康……」

老人の言葉に、観客たちはザワついた。
それは果たして健康なのか。それとも、単なる味覚の死なのか。

「退屈ですわね、カトリーヌ様。そんな『死人のスープ』で人を救えるとお思い? 美食とは、生命の爆発ですのよ!」

イザバラは舞台の中央に鍋を叩きつけるように置いた。
カパッ、と蓋を開けた瞬間、赤い蒸気が龍のように立ち上り、会場の温度が一気に五度は上昇した。

「さあ、美食ギルドの死に損ない……失礼、重鎮の皆様! そして、幽霊になりかけている殿下! 私の特製『紅蓮の薬膳・黒豚の角煮添え』を召し上がれ!」

イザバラは、煮えたぎる琥珀色のスープを、審査員たちの前に次々と並べていった。
その中心には、紅蓮生姜の熱をたっぷりと吸い込み、箸で触れれば崩れそうなほどに柔らかく煮込まれた、巨大な黒豚の角煮が鎮座している。

「……っ!? なんだ、この香りは……。鼻の奥が、焼けるように……いや、震えるように喜んでいる!」

ジュリアンの瞳に、久しぶりに野生の光が宿った。
彼は震える手でスプーンを取り、スープを一口口に運んだ。

「…………ッッ!!」

ジュリアンの全身が、目に見えてビクンと跳ねた。
顔面が瞬時に真っ赤に染まり、額からは大粒の汗が噴き出す。

「熱い……! なんだこれは、喉から胃にかけて、火の鳥が駆け抜けていくようだ! だが、その後にやってくるこの肉の旨み! 脂が……脂が、私の干からびた細胞一つ一つに、黄金の雫となって染み込んでいくぅぅぅ!」

「な……なんですって!? 殿下、いけませんわ! そんな劇薬、今すぐ吐き出して……!」

カトリーヌが慌てて駆け寄るが、他の審査員たちも、もはや彼女の声など聞こえていなかった。

「……おおお! 舌が、舌が生き返るぞ! ワシは……ワシは、自分が何を食べたかったのか、今思い出したわ!」

「沈黙などクソ食らえだ! ワシは生きたい! これを食って、あと三十年は生きてやるぞ!」

審査員たちが、狂ったように角煮を頬張り、赤いスープを飲み干していく。
イザバラの「紅蓮生姜」の圧倒的な熱量が、カトリーヌの「沈黙草」による麻痺を一瞬で焼き払ったのだ。

「カトリーヌ様。貴方の『無』は、私の『熱』には勝てませんわ。人間は、生きている限り、エネルギーを欲する生き物なのですから!」

イザバラは、汗を拭うこともせずに高笑いした。

「さあ、殿下! 判定はいかに!? 私の『命を燃やす美食』か、彼女の『心を殺す泥茶』か……どちらが真の健康食かしら?」

ジュリアンは、空になった皿を名残惜しそうに見つめ、それから力強く立ち上がった。
その顔には、かつての王太子の威厳が……いや、それ以上の「食いしん坊の生命力」が漲っていた。

「……勝者は、イザバラだ! 私は……私は今、生まれて初めて『生きていて最高に幸せだ』と感じている!」

会場は、割れんばかりの拍手と、角煮を求める観客たちの怒号に包まれた。
敗北したカトリーヌは、その場にへなへなと崩れ落ち、自分の青いスープを虚しく見つめるしかなかった。

「……ふ。君の勝ちは最初から分かっていたことだがな」

リュカが、隣でそっとイザバラにハンカチを差し出した。

「あら、閣下。私の勝利は、まだ前菜に過ぎませんわよ。……さて、殿下。元気になったところで、貴方にはたっぷりと『溜まっていた公務』をこなしていただきますわ。私は閣下と、祝杯のローストビーフを食べに行きますので!」

イザバラは優雅に背を向け、勝利の香りを振りまきながら舞台を降りた。
美食による正義。それは、不味い理想を、美味い現実で叩き潰すことにあるのである。
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