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「……閣下。あちらの門の隙間から、卑屈な目つきでこちらのテラスを覗き見ている金髪の男を、即刻排除していただけませんこと? せっかくの『極厚バターフライド・オイスター』の衣が、不快な視線のせいで湿気ってしまいそうですわ」
グランシエル公爵邸の昼下がり。
イザバラは、カリリッと完璧な音を立てて、黄金色の衣を纏った大粒の牡蠣を噛み締めた。
中から溢れ出すのは、海のミルクと称される濃厚な旨みと、最高級バターの芳醇なコク。
彼女は今、この世で最も幸福な「一口」を味わっているはずだった。
「言っただろう、あれはもう門番の手に負えるレベルではない。王太子の権限をフル活用して、『これは極秘の視察だ』と言い張りながら三時間もあそこに張り付いているんだ」
リュカは、呆れ果てた様子で白ワインを喉に流し込んだ。
門の外では、ジュリアン王太子が「イザバラ……その牡蠣、一口だけでいいから恵んでくれ……」と、もはや王族のプライドをドブに捨てたような呟きを漏らしている。
「あの方、博覧会で正気に戻ったのは良いですが、今度は『食欲のストーカー』に進化してしまいましたわね。……セバス! 門の近くで強力な扇風機を回して、こちら側の『ガーリックバターの香り』だけをあの方に送りつけて差し上げて! 食べられない苦しみを、その鼻腔に刻み込んで差し上げるのですわ!」
「承知いたしました、イザバラ様。最大風速で欲望を届けて参ります」
有能な執事が無表情に去っていく。
数分後、門の外から「あああぁぁ! なんという残酷な香りだ! 胃袋が……私の胃袋が爆発するぅぅぅ!」という絶叫が聞こえてきたが、イザバラは満足げに鼻を鳴らした。
「さて、閣下。不純物は放置して、真面目な話をしましょう。……最近、街の高級レストランから、次々と『生クリーム』と『砂糖』が強奪されているという噂は本当かしら?」
イザバラの瞳が、スッと冷徹な光を帯びる。
「ああ。犯人はまだ捕まっていないが、現場には必ず、奇妙な『苦い草の汁』が撒かれているらしい。……そして、そのレストランのシェフたちは、一様に『味が分からなくなった』と怯えている」
「……味覚狩り、ですわね」
イザバラは、最後の牡蠣を口に放り込み、ゆっくりと立ち上がった。
「カトリーヌ様が姿を消してからというもの、王都の食卓に不穏な影が差していますわ。私の勘が言っています……あの方は、自分の不味い理想を否定された恨みを、世界中の『美味しいもの』を消し去ることで晴らそうとしていますのよ」
「苦味の結社、か。カトリーヌが裏で糸を引いているという確証はないが、彼女を崇拝していた狂信的な健康マニアたちが、地下組織を作ったという情報がある」
「オホホホ! 素晴らしいわ! 美味しいものを守るための戦い……これぞ悪役令嬢としての本懐ですわね。閣下、私に王都中の『脂の乗った食材』の在庫リストを提出してくださいませ。あの方たちが次に狙うのは、間違いなく『バターの貯蔵庫』ですわ!」
イザバラは、ドレスの裾を翻して部屋へ戻ろうとした。
だが、その足を止めて、再びテラスの端へ向かう。
「あ、そうだ。……セバス! 扇風機を止めてちょうだい。代わりに、最高に美味しそうな『焦がし醤油の匂い』を染み込ませたハンカチを、殿下の鼻先に放り投げておきなさい。そのまま王宮まで、匂いのパンくずを辿るようにして帰して差し上げるのですわ」
「かしこまりました。殿下を王宮まで誘導(ベイト)いたします」
イザバラは満足そうに頷くと、リュカの方を振り返った。
「閣下。戦いの前に、まずは力をつけなくては。……今夜は、牛の脳天を直撃するような『超濃厚トリュフ・カルボナーラ』を所望しますわ。卵黄は、十一個使ってくださいませ!」
「……君の血管が心配だが、私の料理人に伝えよう。……イザバラ、この戦いが終わったら、一つ聞きたいことがあるんだが」
リュカが少し真面目なトーンで声をかける。
「あら、なんですの? 新しいレストランの開店祝いかしら?」
「……いや。まあ、そんなところだ。今は、そのカルボナーラに集中しよう」
リュカの少し寂しげな、しかし熱を孕んだ視線に、イザバラは気づかない。
彼女の頭の中は、今や「いかにしてバターを守り、敵を美味の迷宮に叩き落とすか」という、壮大なタクティカル・グルメ・シミュレーションで埋め尽くされていた。
一方その頃、王都の地下深く。
カトリーヌは、真っ黒なローブに身を包み、巨大な鍋の前に立っていた。
「……見ていなさい、イザバラ。貴女が愛するその『黄金の脂』を、全て私の『永遠の苦味』に変えて差し上げますわ。世界から甘みが消えた時、人々は私の泥茶を聖水と崇めるようになるのです……!」
カトリーヌの手には、怪しく紫に光る「万物を腐らせる野草」が握られていた。
美食と健康、そして復讐。
女たちのプライドを懸けた戦いは、ついに王都の「食の根源」を揺るがす最終決戦へと突入しようとしていた。
グランシエル公爵邸の昼下がり。
イザバラは、カリリッと完璧な音を立てて、黄金色の衣を纏った大粒の牡蠣を噛み締めた。
中から溢れ出すのは、海のミルクと称される濃厚な旨みと、最高級バターの芳醇なコク。
彼女は今、この世で最も幸福な「一口」を味わっているはずだった。
「言っただろう、あれはもう門番の手に負えるレベルではない。王太子の権限をフル活用して、『これは極秘の視察だ』と言い張りながら三時間もあそこに張り付いているんだ」
リュカは、呆れ果てた様子で白ワインを喉に流し込んだ。
門の外では、ジュリアン王太子が「イザバラ……その牡蠣、一口だけでいいから恵んでくれ……」と、もはや王族のプライドをドブに捨てたような呟きを漏らしている。
「あの方、博覧会で正気に戻ったのは良いですが、今度は『食欲のストーカー』に進化してしまいましたわね。……セバス! 門の近くで強力な扇風機を回して、こちら側の『ガーリックバターの香り』だけをあの方に送りつけて差し上げて! 食べられない苦しみを、その鼻腔に刻み込んで差し上げるのですわ!」
「承知いたしました、イザバラ様。最大風速で欲望を届けて参ります」
有能な執事が無表情に去っていく。
数分後、門の外から「あああぁぁ! なんという残酷な香りだ! 胃袋が……私の胃袋が爆発するぅぅぅ!」という絶叫が聞こえてきたが、イザバラは満足げに鼻を鳴らした。
「さて、閣下。不純物は放置して、真面目な話をしましょう。……最近、街の高級レストランから、次々と『生クリーム』と『砂糖』が強奪されているという噂は本当かしら?」
イザバラの瞳が、スッと冷徹な光を帯びる。
「ああ。犯人はまだ捕まっていないが、現場には必ず、奇妙な『苦い草の汁』が撒かれているらしい。……そして、そのレストランのシェフたちは、一様に『味が分からなくなった』と怯えている」
「……味覚狩り、ですわね」
イザバラは、最後の牡蠣を口に放り込み、ゆっくりと立ち上がった。
「カトリーヌ様が姿を消してからというもの、王都の食卓に不穏な影が差していますわ。私の勘が言っています……あの方は、自分の不味い理想を否定された恨みを、世界中の『美味しいもの』を消し去ることで晴らそうとしていますのよ」
「苦味の結社、か。カトリーヌが裏で糸を引いているという確証はないが、彼女を崇拝していた狂信的な健康マニアたちが、地下組織を作ったという情報がある」
「オホホホ! 素晴らしいわ! 美味しいものを守るための戦い……これぞ悪役令嬢としての本懐ですわね。閣下、私に王都中の『脂の乗った食材』の在庫リストを提出してくださいませ。あの方たちが次に狙うのは、間違いなく『バターの貯蔵庫』ですわ!」
イザバラは、ドレスの裾を翻して部屋へ戻ろうとした。
だが、その足を止めて、再びテラスの端へ向かう。
「あ、そうだ。……セバス! 扇風機を止めてちょうだい。代わりに、最高に美味しそうな『焦がし醤油の匂い』を染み込ませたハンカチを、殿下の鼻先に放り投げておきなさい。そのまま王宮まで、匂いのパンくずを辿るようにして帰して差し上げるのですわ」
「かしこまりました。殿下を王宮まで誘導(ベイト)いたします」
イザバラは満足そうに頷くと、リュカの方を振り返った。
「閣下。戦いの前に、まずは力をつけなくては。……今夜は、牛の脳天を直撃するような『超濃厚トリュフ・カルボナーラ』を所望しますわ。卵黄は、十一個使ってくださいませ!」
「……君の血管が心配だが、私の料理人に伝えよう。……イザバラ、この戦いが終わったら、一つ聞きたいことがあるんだが」
リュカが少し真面目なトーンで声をかける。
「あら、なんですの? 新しいレストランの開店祝いかしら?」
「……いや。まあ、そんなところだ。今は、そのカルボナーラに集中しよう」
リュカの少し寂しげな、しかし熱を孕んだ視線に、イザバラは気づかない。
彼女の頭の中は、今や「いかにしてバターを守り、敵を美味の迷宮に叩き落とすか」という、壮大なタクティカル・グルメ・シミュレーションで埋め尽くされていた。
一方その頃、王都の地下深く。
カトリーヌは、真っ黒なローブに身を包み、巨大な鍋の前に立っていた。
「……見ていなさい、イザバラ。貴女が愛するその『黄金の脂』を、全て私の『永遠の苦味』に変えて差し上げますわ。世界から甘みが消えた時、人々は私の泥茶を聖水と崇めるようになるのです……!」
カトリーヌの手には、怪しく紫に光る「万物を腐らせる野草」が握られていた。
美食と健康、そして復讐。
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