悪役令嬢として婚約破棄されましたが、異議はありません。

鏡おもち

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「……なんだ、この紙の山は。嫌がらせか?」

 婚約破棄から一夜明けた王宮。第一王子レナードは、自分の執務室に足を踏み入れた途端、絶叫しました。
 デスクの上には、地層のように重なった書類の束。さらに床にまで溢れ出しています。

「レナード様ぁ、おはようございます。まあ、お部屋が散らかっていますわね? お掃除の方を呼びましょうか?」

 隣でふわふわと笑っているのは、公認の婚約者気取りで付いてきたシルヴィアです。
 彼女は書類の内容など一瞥もせず、レナードの腕に抱きつきました。

「掃除の問題じゃないんだ、シルヴィア。これは全て、今日中に私が決裁しなければならない書類……らしい。なぜこんなにあるんだ? 昨日までは、デスクの上は常に真っさらだったはずなのに!」

 そこへ、顔色の悪い中年の書記官が、ふらふらとした足取りで現れました。

「……殿下、昨日まではルビー様が、殿下が登城される前に全て仕分けし、不備を直し、殿下は判を押すだけの状態に整えておられたのです」

「なんだと? あいつ、そんな余計なことをしていたのか。勝手に人の仕事に触れるとは、越権行為ではないか!」

「越権も何も、殿下が『面倒だからやっておけ』と丸投げされたのではありませんか。それより、至急この予算承認をお願いします。それと、例の会計システムのパスワードを教えてください。給与の支払いが滞っております」

 レナードは鼻で笑い、デスクにある魔導端末に向き合いました。

「ふん、あんな可愛げのない女が決めたパスワードなど、すぐに解いてみせる。……ええい、なんだこれは。『パスワードが違います』だと? 『SILVIA_LOVE』ではないのか?」

「……殿下、そんな恥ずかしい単語をルビー様が設定するはずがございません」

「では『LEONARD_KING』か? ……これも違う! 『RUBY_BEAUTIFUL』か!? ……これでもない! なぜだ、なぜ開かない!」

 レナードが端末を叩いていると、シルヴィアが横から潤んだ瞳で口を出しました。

「レナード様、そんなにイライラしないでください。あ、わかりましたわ! きっとパスワードは『愛』ですわ。愛を入力すれば、きっと機械も心を開きます」

「おお、流石はシルヴィアだ! 愛、だな! ……って、入力欄は英数字しか受け付けないぞ!」

 王宮の執務室で繰り広げられる不毛なやり取り。
 そこへ、ベルシュタイン公爵家からの使いが、一通の封筒を持って現れました。

「失礼いたします。ルビー・フォン・ベルシュタイン様より、レナード殿下へ至急の親書でございます」

「ほう、ルビーからか! さては、昨日の無礼を謝罪して、パスワードを教えるから戻らせてくれと泣きついてきたな? 現金な女だ、少しは反省したようだな」

 レナードは勝ち誇った顔で封筒をひったくり、中身を取り出しました。
 しかし、読み進めるうちに彼の顔から血の気が引いていきました。

「……な、ななな、なんだこれはっ!? 三万!? 金貨三万枚だと!?」

「まあ、レナード様、どうなすったの? 三万枚なんて、お小遣いの相談かしら?」

「バカを言うな! これは請求書だ! 今すぐ支払わなければ、王家の不払い案件として、全貴族にこの明細を公開すると書いてある!」

 シルヴィアが横から覗き込み、一瞬で顔をこわばらせました。

「ええっ!? この『シルヴィア様用特注ドレス代(肩代わり分)』って……ルビー様がお支払いしてくださったんじゃなかったんですの!?」

「あいつの金だったのか!? 私はてっきり、宮廷費から出ているものだとばかり……!」

「さらにこの『残業代』の項目を見てください……。深夜三時に殿下から送られた『今すぐ会いに来い』という呼び出しに対する、深夜特別手当一回につき金貨五十枚……。それが百回以上記録されていますわ!」

 レナードは震える手で書類をデスクに叩きつけました。

「ふざけるな! 愛する婚約者のために尽くすのは義務だろう! 金を取るなど、もはや商売ではないか! 汚らわしい、なんて汚らわしい女だ!」

 しかし、隣に立つ書記官の目は冷ややかでした。

「……殿下。この請求書には、全ての依頼内容に殿下の署名入りのメモが添付されています。法務局に持ち込まれれば、王家は確実に敗訴します。それどころか、殿下が公金を私的に流用していた証拠まで揃っているようですが……」

「う、うるさい! 私を誰だと思っている、この国の第一王子だぞ!」

「お金がない王子様なんて、ただの派手な服を着た人ですわ……レナード様、私の次の宝石はどうなるんですの?」

 シルヴィアがポロポロと涙をこぼし始めました。
 いつもなら「可愛いな」と抱き寄せるところですが、今のレナードにはその涙が、金貨が目減りしていく音にしか聞こえません。

「シルヴィア、今は泣かないでくれ! 頭が痛いんだ! ……おい、書記官! すぐにルビーを連れ戻してこい! この請求を取り下げさせ、パスワードを開かせろ! 命令だ!」

「……不可能です。ルビー様は本日未明より、全ての公職を辞任し、現在はベルシュタイン公爵邸にて『有給休暇』を満喫されているとのことです。いかなる面会も拒絶されております」

「有給休暇だと!? この非常時に、何を勝手なことを!」

「非常にされたのは殿下でしょう。……さあ、殿下。システムのパスワードが不明なため、本日中に振り込むべき国境守備隊の給与が止まっています。彼らが腹を立てて王宮に攻め込んでくる前に、なんとかしてください」

 レナードはデスクに突っ伏し、獣のような唸り声を上げました。
 一方、その頃。
 ベルシュタイン公爵邸のテラスでは、ルビーが最高級の茶葉を使った紅茶を優雅に楽しんでいました。

「……あら、なんだか王宮の方から、絶望のメロディが聞こえてくるようですわね。おーほっほっほ!」

 ルビーの手元にある算盤(そろばん)が、パチパチと軽快な音を立てます。
 彼女が弾き出したのは、王家が破産するまでのタイムリミットでした。

「さあ、レナード殿下。真実の愛で、その書類の山を片付けてみせてくださいませ?」

 ルビーの瞳は、朝日に照らされて、かつてないほど冷酷に、そして美しく輝いていました。
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