悪役令嬢として婚約破棄されましたが、異議はありません。

鏡おもち

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「……はぁ、極楽ですわ。お昼過ぎまで寝て、起きたら最高級の茶葉と職人手作りのスコーン。これこそが人間らしい生活というものですわね」

 私は公爵邸の広大な庭園を見渡せるテラスで、ゆったりと長椅子に身を預けていました。
 三年間、日の出前に起きて深夜まで書類と格闘していた日々が、今では遠い前世……ではなく、悪い夢のように思えます。

「お嬢様、お代わりはいかがですか? 本日はお嬢様の『有給休暇』を祝して、料理長が腕によりをかけた特製クロテッドクリームを用意しております」

「いただくわ、セバス。あ、それから、庭の噴水の維持費を見直しておいて。昨日の試算だと、魔法石の消費効率をあと五パーセントは改善できるはずよ」

「……お嬢様、お休み中くらいは数字のことをお忘れになっては?」

「いけないわ、セバス。数字は裏切らないけれど、放置するとすぐに増殖して牙を剥くのよ。管理こそが真の休息への近道だわ」

 私が優雅にスコーンを口に運んでいると、邸宅の門の方から、何やら騒がしい音が聞こえてきました。
 金属が擦れ合う音、そして聞き覚えのある、品のない怒鳴り声。

「ルビー! ルビーはおるか! 私を誰だと思っている! この国の第一王子、レナード・フォン・アステリアだぞ! 道を開けろ!」

 私は紅茶を一口飲み、静かにカップを置きました。

「セバス。あそこにいる騒音の塊を、不法投棄物として処理してもらえるかしら?」

「左様でございますか。では、警備の者に『正当防衛』の範囲内で対応させましょう」

「待て! 待つのだルビー! 話を聞け!」

 警備の制止を振り切り、服をボロボロにしたレナード殿下がテラスまで駆け込んできました。
 昨日の夜会での自信満々な様子はどこへやら、目の下には深いクマがあり、髪はボサボサです。

「……あら、殿下。お召し物が随分と個性的ですわね。それが今、王宮で流行りの『徹夜明けスタイル』ですの?」

「お前のせいだ! お前がパスワードを教えずに消えたせいで、王宮の金庫が開かない! 軍の給料も、私の昼食代も、全てあの箱の中なんだぞ!」

「それはお困りですね。でも、私はもう部外者ですもの。不法侵入で訴えられる前に、お帰りになってはいかが?」

「ふざけるな! 婚約破棄は……そう、一旦保留だ! お前を特別に『王宮事務次官補佐心得』として雇ってやる。だから今すぐあの忌々しい魔導端末のロックを解除しろ!」

 私は思わず、手に持っていた扇子を落としそうになりました。
 保留? 雇ってやる? この男の脳内構造は、一体どうなっているのでしょう。

「殿下、日本語……いえ、大陸共通語をご存知かしら? 『婚約破棄』という言葉には、一時停止ボタンなんて付いておりませんの。それに、その役職名は何ですの? 長ったらしいだけで、責任だけ押し付けて給料が低そうな響きですわね」

「貴様……! この私からの慈悲深い提案を断るというのか!? シルヴィアだって『ルビー様がかわいそうだから、お仕事だけは残してあげて』と言ってくれたんだぞ!」

「まあ、シルヴィア様は本当にお優しい……。自分の無能を棚に上げて、他人に仕事を押し付ける才能だけは一流ですわね。でも残念ながら、私の有給休暇はあと二十七日残っておりますの。労働基準法……はまだこの国にはありませんが、私の個人的な鉄の掟に反します」

 レナードは膝から崩れ落ち、テラスの床を叩きました。

「頼む! パスワードだけでも教えてくれ! 『LEONARD_KING』でもない、『SILVIA_MY_ANGEL』でもない! 一体何なんだ!」

「ヒントを差し上げましょうか? それは、殿下が私に対して一番欠落させていたものですわ」

「……欠落? 愛か!? 『LOVE』なのか!?」

「違います。正解は『RESPECT_AND_CASH』。敬意と現金、ですわ。ちなみに全部大文字で、末尾に殿下が踏み倒した接待費の総額を入力すれば開くように設定してあります」

「総額!? そんなもの、私が覚えているはずないだろう!」

「ええ、ですから開かないのですわ。お引取りください」

 私が冷たく言い放つと、レナードはわめき散らしながら警備員に引きずられていきました。
 その背中を見送りながら、私はセバスに命じて、新しい紅茶を淹れ直させました。

「お嬢様、少々やりすぎでは? 王宮が本当に機能停止してしまいますよ」

「いいのよ。一度完全に壊れないと、あの人たちは自分の無能さに気づかないもの。……さて、セバス。そろそろ隣国のカイル殿下にお返事を書かなくてはね」

「『前向きに検討する』と?」

「いいえ。『契約金の上乗せ次第で、明日にでも国境を越える』と書いてちょうだい」

 私は青空を見上げ、勝利の余韻に浸りました。
 自由への第一歩は、想像以上に軽やかで、そして素晴らしい利益の香りがしたのでした。
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