悪役令嬢として婚約破棄されましたが、異議はありません。

鏡おもち

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「お嬢様、お荷物のパッキングが完了いたしました。……こちら、金貨五千枚分の重みがございますので、馬車の床板を強化しておきました」

 深夜のベルシュタイン公爵邸。セバスがテキパキと最後の手荷物を積み込んでいきます。
 私は、長年愛用した執務デスクの引き出しを空にしながら、満足げに頷きました。

「ありがとう、セバス。ドレスは三着もあれば十分よ。それより、インクの予備と計算尺、それに隣国の税法制をまとめた資料集を忘れないでね。あれは私の『武器』なんだから」

「心得ております。……しかしお嬢様、本当に明日、挨拶もなしに出国されるおつもりで? 王宮側が国境を封鎖する可能性もございますが」

「ふふ、だからこそ今夜のうちに『最後の手土産』を届けておいたのよ。あれが発動すれば、彼らは国境どころか、自分の足元の確認で手一杯になるはずだわ」

 私が不敵に微笑んだその時です。
 邸宅の正面玄関で、再び「あの」耳障りな声が響き渡りました。

「ルビー! 開けろ! 第一王子の命令だ! 貴様を『国家機密保持法違反』の疑いで拘束する!」

 私は深く、深いため息をつきました。

「……セバス。あの人、語彙力が貧困すぎて、ついに法律の名前をデタラメに使い始めましたわね。そんな法律、この国にはまだ制定されていませんのに」

「殿下の脳内では、ご自身の言葉が即、法律になるのでしょうな。……いかがいたしますか?」

「いいわ、最後にお顔を拝んであげましょう。就職活動の成功を、不採用にした側に報告するのはマナーですもの」

 私は優雅に階段を下り、玄関ホールへと向かいました。
 そこには、近衛兵数人を引き連れ、鼻の穴を膨らませたレナード殿下が立っていました。

「ルビー! ようやく出てきたな! 隣国の王子と密会していたという報告が入っているぞ! これは明らかなスパイ行為だ!」

「密会? 失礼ね。あれは『公開ヘッドハンティング』ですわ。市場のテラス席で行われた、極めてクリーンな交渉です」

「黙れ! 貴様のような危険人物を国外に出すわけにはいかない! 今すぐ王宮へ戻り、無期限の謹慎……という名の事務作業に従事しろ!」

「お断りします。私はすでに、ヴァレンティーノ王国のカイル殿下と雇用契約を結びました。労働条件通知書も受理済みですわ。殿下、他社の内定者に無理やり労働を強いるのは、国際問題に発展しかねませんよ?」

 レナードは「こ、こようけいやく……?」と、聞いたこともない単語を繰り返しました。

「それに、殿下。私が王宮から持ち出した『機密』なんてありませんわ。私が持っているのは、私の頭の中にある『実務ノウハウ』と、殿下が踏み倒した領収書の写しだけ。……ああ、そういえば、デスクに『引継ぎ資料』を置いておきましたわ。ご覧になりました?」

「引継ぎ……? ああ、あの分厚い紙の束か! あんなもの、難解すぎて誰も読めないわ!」

「まあ、あれはまだ『序章:王宮の掃除の仕方』ですわよ? 本題は、今頃発動しているはずの『自動監査魔法陣』のことですわ」

 レナードの顔が、ぴくりと引きつりました。

「……なんだ、それは」

「私が昨日、王宮の会計端末に最後に打ち込んだプログラムです。今後、王宮で金貨一枚でも動かそうとすれば、その用途が『公共の利益』に叶っているかを魔法陣が自動判定します。もし『愛する彼女へのプレゼント』や『王子の夜食代』だった場合……」

 私はわざとらしく首をすくめて見せました。

「金庫が爆発……はしませんが、全職員のデスクに『殿下がまた無駄遣いをしました』という号外が自動で印刷される仕組みになっています。解除方法は、私が隣国で幸せに暮らすこと、ですわ」

「な、ななな……っ! 貴様、なんて性格の悪いことを!」

「性格がいいだけでは、この国は回せませんでしたのよ。さあ、殿下。近衛兵の皆様の給料が、私の嫌がらせで止まってしまう前に、早く戻って計算ドリルでもなさったら?」

 レナードの後ろに控えていた近衛兵たちが、ざわつき始めました。
「給料が止まる?」「号外が出るのか?」と、彼らの視線がレナードの背中に突き刺さります。

「お、おのれ……! ルビー、覚えていろよ! 隣国へ行ったところで、お前のような可愛げのない女、すぐに追い出されるに決まっている!」

「ええ、その時はまた、さらに高額な年俸で別の国へ転職するだけですわ。……セバス、出発しましょう。騒音の相手をしている時間は、私の時給の無駄ですもの」

 私はレナードを無視して、迎えの馬車に乗り込みました。
 窓の外では、レナードが地団駄を踏みながら何かを叫んでいましたが、馬車が走り出すとその声も心地よい夜風に消えていきました。

「お嬢様、本当によろしいのですか? あの魔法陣、実はただの『偽のアラート』を出すだけのハッタリでしょう?」

「あら、セバス。ハッタリでも何でも、あのバカ正直な人たちには十分な足止めになるわ。……さあ、明日の朝には国境よ。新しい職場に、遅刻するわけにはいかないもの」

 私は馬車の中で、カイル殿下から送られた「入社祝い」の高級チョコレートの箱を開けました。
 悪役令嬢、卒業。
 明日からは、隣国を裏から操る「最強のキャリアウーマン」としての人生が始まるのです。
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